流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

米たにヨシトモファン 京アニに興味あり アニメ語りメイン

海獣の子供 を語る

2019-06-24 00:00:24 | ■アニメレビューとか
以下ネタバレ感想。



わかりづらい作品だと聞いていたけれど、
導入はまだ全然わかる話で全編わけわからないものを見せられるかも、
と身構えている人はも気楽に考えていいと思ったかな。
原作からかなりそぎ落とした話らしいですが、
分かる人は分かる作品として物語でも触れられている気がしたな。

特に琉花が空と出会うところなんかは示唆的。
波打ち際が教えてくれると言ってるけど、
互いの存在を海を通して2人は知っているわけで、
海の存在に近そうな人間を互いにそうだと認識するのはそう難しくないわけで。
自然が教えてくれたんじゃなくて、事前に知っていた。
そこには神秘性も何もなくて、単に事前情報に当たっているかそうでないかの違いしかない。
波の音に仮託されているのはそうした前提情報であり、
この物語の原作の位置づけもそのようなものだと言われている感があり。
単に知っているか知らないだけかの違い。
波の音だって何を言っているかわからなければ、音を聞いたって何も分からない。
何も分からないことはこの作品においてその程度の話でしかない。
宇宙がどんなものなのかなんて、誰にも分からないし。

今作は波打ち際に代表されるような境界にちょっと意識が向くかな。
琉花の学校のトーテムポールとか、水族館のバックヤード、
水族館のガラスやキャラクター同士の境界などなど、
神秘と日常の境目なんかを結構意識されているのかなという気がしたな。
最後に傷つけた少女と再会するのも、
琉花が学校という場から逃げてきて、その道を戻ろうとした時という形だったので、
神秘的な海と空の体験から日常に何を持っていくか。
そういうのが問われるラストだったように思えた。
世界の真実に触れたとき、それは日常にどのように作用するのか。

水中の描写は凄まじかったですね。
生々しく描かれていて、ジンベイザメの群れでもちょっとした恐怖心が見ていてあったな。
ジョーズに代表されるような、海洋生物への恐怖心を煽られるような印象。
クジラの歌に代表されるような神秘性などを含め、
人が踏み入れられない場所にいる人智を超えた存在としての自然の代表として、
そういった生命を印象付けられている感があったなと。
海の生物もまた君を見ているという目の見せ方もなかなか。
水族館でああいうのやられたら二度と足を向けられないなと思ったり。

隕石のかけらを体内に入れ、さらにクジラの体内へとマトリョーシカ的に入って、
クジラの歌により祭りが始まるという一連の流れがまた神秘的。
歌により隕石が反応して子宮から宇宙が生まれる、
宇宙が書き換わっていくような体験はちょっとまどマギを思い出す感じ。
隕石のかけらが海にとっては人魂というのが示唆的で、
宇宙が広がりを見せる中で人魂を琉花から取り上げようとする海は、
その人魂が必要な誰か、すなわち己だったのかなと思えたり。
神秘的な隕石のかけらは自身の中に帰ったことで神秘性を失って自壊した、みたいな。
子宮を持たない男子に移ったことで宇宙創生とはならなかったとか、
そういう風に見てもいいのかもしれないけど、
個人的に子宮信仰って自然すぎて不自然に思えるのよな。

新しい宇宙へと旅立つ感じなんかでイデオンやエヴァを連想する人もいるかもしれないけど、
そこはやはり絵の素晴らしさでもって他の追随を許していない作品だったと思います。
そういう意味でやはり劇場で体験したい作品という印象でした。

最後のへその緒切りが自分の中で定まらない感じだったけど、
ひとつであったものが分けられること、決してひとつに戻らないことへことだったのかな。
宇宙もまた孤独であるような。

リュウグウノツカイと一緒に打ち上げられていた海はつまり、とか、
色々と連想される箇所がいくつもあったような印象。
他にもいろいろ思うところも畏怖するところもあったように思いましたがちょっと思い出せず。
まだ上映しているうちにまた見たい一作なんですが、
現在長期出張中で上映してる映画館が遠いのが辛い。

海洋アニメって言うと自分の中では七つの海のティコが残ってる感じでしたが、
またひとつ作品が増えたかなという感じ。

そういえば、最近上映された映画を見ると
原、渡辺、湯浅とシンエイ系の方の作品がずらっと並ぶ格好でしたね。
久々にマインドゲームや緑の巨人伝あたりを見返してみたいところです。


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