全然まとまらなかったけど、せっかくなんで・・・。
最近アニメ+実写の作品に興味ありです。
■『ゴキブリたちの黄昏』
作画監督・キャラクター設定:兼森義則
作画監督:鈴木欽一郎
作画監督補佐:桜井邦彦
原画:百瀬義行 井上俊之 生田健 及川博史 北島信幸 さかいあきお 関修一 槌田幸一
しんはじめ 伊東誠 新川信正 栗原玲子 牟田清司 稲垣賢吾
(他スタッフはコチラを参考に↓
http://www.geocities.jp/inutori_bekkan/database/m_gokiburi.html)
パッケージの売り文句が『第39回ベルリン国際映画祭』に出品された~的なことが書かれていてネタ目的で視聴。見てみたら真面目に作ってあるからびっくりました。
『ゴキブリたちの黄昏』は1987年に公開された作品で、実写パートとアニメパートに分かれています。まあ、性格にはアニメキャラクターが実写の上で動いているアニメです。実写パートでは役者さんも出てきて、ゴキブリVS人間という私達がゴキブリと闘ってる日常をゴキブリ視点から見たアニメです。見終わった時はなかなかの衝撃作だなぁ、と思いました。実写+アニメというのはよくありますが、この作品は『ゴキブリと人間の戦い』という皮を被った『実写とアニメの戦い』を描いた作品でもあると思いました。
この作品は『殺虫剤を使われても抗体を作ってまた数を増やすゴキブリとそれを殺そうと四苦八苦する人間』を描いています。そしてアニメもそういうものであって欲しい、という意味合いも少なからず含まれているのではないかと思いました。このアニメの数年後に『AKIRA』という衝撃作が生まれていることを考えると、なかなか興味深い。このアニメのラストは旧来のゴキブリの絶滅、そして新種が生き残って数を増やしていく、という『進化』を交えたオチ。最後の一匹が死ぬところが最大の見所かな。この辺の作画が井上さんかな?個人的には実写の上を走り回るゴキブリを描いてる時点で凄いと思いました。メイキング映像があったらぜひみたいんだけどなー。
冒頭からいきなり凄い。見終わってからもう一度見ると冒頭の意味合いがわかってきます。この構図はつまりゴキブリはこの自転車が動けば潰れてしまうこと、つまり物理的に攻撃されれば死ぬということを表していると感じました。殺虫剤などの広域兵器の魔の手から逃れても物理的に攻撃されれば死ぬ。そうした死と結局隣り合わせなんだ、と思うとちょっと切ない。
あとゴキブリで一番優秀っぽい人が本に潰されるのは何の皮肉か。
人の知恵には勝てませんでしたってオチですか?
この作品に出てくる男と女それぞれの生態とゴキブリの生態の対比と思われるところなんかが結構良い感じ。男の描写はなんかオタク的だったような。どこかハードボイルドさ(笑)を狙っていた気はしますが、女に逃げられたらゴキブリ(アニメ)に逃げる。女ができたらゴキブリ(アニメ)を容赦なく殺す。当時のオタク観やアニメを見る意識も少なからず入っているのかなぁ、と思いました。女ができれば他を捨てるという男の女々しさを描いているだけとも言えるかもしれないけど。部屋に置かれた玩具、エアガンでゴキブリをスナイパーのように撃ち殺すなどイタタなところもあったり。玩具は意味深な感じだけど。
なんでゴキブリと暮らしていた男がこんな豪勢な食事をゴキブリに与えていたのか全く理解できないところが笑えます。何気に殺虫剤で殺されていくモブシーンとかとても大変そうです。これを書くためにアニメーターさんはゴキブリを殺虫剤で殺しまくったのかなぁ、とか想像してみたり。井上俊之さん曰く、キチンと観察して描いたのはAKIRA以降とのことですので、この作品も今までの技術でカバーされていたんでしょうか。でも、最後の壁よじ登りとかはゴキブリの動きを見て描いた感じがしたなぁ。あそこは百瀬さんなんだろうか。
この作品で引っかかったところ。ゴキブリを擬人化させる狙いはわかるんだ。でもなんでウ○チと会話しなければならないのか。意味がわからない。これだったら他の虫とか出した方が数倍マシじゃないか。というか出てくるキャラがゴキブリだけってのはないだろー。もう少し他の昆虫とか入れろよー、と書きながら思った。ウン○はクレイアニメもやってバラエティに飛んだ映像にしたかったんだと思えば納得がいくのでそういうことにしておこう。ぶっちゃけアニメとのすり合わせで見づらいところ結構あった気がするし。でも、ゴキブリ目線のトリッキー?な感じの足のショット、人間が立てる音を大きく、など色々試行錯誤されていて珍作目当てで見ても面白いかもしれないけど、内容が暗いし、アニメと実写をすり合わせるためか画面も暗いし、無音なことが多いし(これはSEなんかを聞かせたいからなんだろうけど)見てて笑えもしないので眠くなるし退屈。引いたカットも背景が実写とかだとカッチリしたレイアウトでも浮いてるけでそこまで面白いもんでもないのが勿体無い。
■『ゴキブリたちの黄昏』と絡めてみるetc
このアニメの進化・変化を見立てたアニメだと思いましたが、逆に進化を否定したきっかけのアニメの1つが『新世紀エヴァンゲリオン』なんじゃないかなぁ、と思ってみたり。アニメ評論家・氷川竜介さんが言うにはエヴァのTV版最終話は『アニメ補完』であるとおっしゃっていましたなぁ。エヴァ以降のアニメ乱造の流れとか見てると、逆に楽にしようとする技術が進みすぎて最終的に死滅とかしそうです。現在電脳コイルを作られてる磯光雄監督が脚本を書いた13話で『進化のいきつく先は死滅』と言われてるのが意味深な気がします。
そして『ゴキブリたちの黄昏』と類似したようなアニメが現在放送中の『天元突破グレンラガン』ではないでしょうか。22話の80年代の風味のロボットが最新の3Dメカを次元の彼方にぶっ飛ばす、というのは、戦う相手は違えど、『ゴキブリたちの黄昏』の『実写VSアニメ』という構図によく似ていると思えるんですよねぇ。
グレンラガンはエヴァの後にこういう作品が生まれるとは信じられないと言う人もいるアニメですが、エヴァによって止められた『アニメの進化』の再出発点的な役割を果たすアニメにもなりえるんじゃないのかな、と思えるんですよねぇ。『グレンラガンは内容がループしている』という言説と絡めると、グレンラガンによって80年代的なアニメの流れがループされるんじゃないか?それに類似するようなブームが今後くるのではないか?という予想も少なからずできるのはないか、と。3Dまでまだ行かなくていいよ!手描きでもまだまだ可能性はあるよ、面白いことできるよ!80年代からやり直そう!ってのがグレンラガン・・・かも。
まだ放送を終えていないのでどういうオチになるかはわかりませんが、今後を考えていく材料のひとつにはなるんじゃないかと思います。まあ、でも完全に3Dを否定してるわけではないと思います。3Dメカは倒されても嫌がらせで爆弾を落としていくし、22話も次元の彼方に吹き飛ばした、というだけだとも思えますし。結局まだ3Dは早いんじゃないか、という話に落ち着くんじゃないかなぁ、と思います。
それでもうひとつ重要な作品があって、それが『ヱヴァンゲリヲン』ではないかと。10年前にアニメの進化を止めた作品を作り直すことで、今後のアニメの進化を進めるのがヱヴァなのではないかと。まだ私は面倒臭がって見に行ってません。
まあ、色々な発言とかそういうのを踏まえて考えるならば、ですが。
■『ゴキブリ』で繋がる『京都アニメーション』
『天才ゴキブリ』というアニメを京アニが制作したんですが、その内容は人間との共存でした。そしてCGを巧く使った演出を褒めてる方もいらっしゃいました。今考えると『ゴキブリたちの黄昏』から正統に進化、変化してできたのが『天才ゴキブリ』なんじゃないかなぁ、と思いました。まあ、ゴキブリ繋がりでこじ付けで挙げたようなものなんですが。
ただ、それだけでもなくて、『黄昏』に参加された井上俊之さんがアニメスタイルの対談で、現在京アニに所属してる木上益治さんに勝てなかった~、的な発言をされてるんですが、木上さんが『天才ゴキブリ』の制作に関わっていたことを考えると、井上さん等スタッフが作ったアニメのテーマに掛かったアニメを木上さん等が作ったんだなぁ、と思うと少し感慨深い気がします。同じゴキブリですし。井上さんと木上さんの関係を『ゴキブリ』と『手法の変化』から見ることができる、と思うと少し面白い気がします。
考えてみると、京アニは今の時代に見合ったスタジオなのかもなぁ、と思う。
電脳コイルをどういう風に扱えばいいか悩むなー。
■制作されたのが1987年
ちょっとしたネタですが。
アニメが進化・変化するなら作る人も同様に進化・変化していくはずです。作品と絡めて語るなら、この年以降に生まれた方がきっともっとアニメを面白くしてくれるはず!・・・です。まあ、そんなのは電波な妄想でしかないのかもれませんが、もうこの前後に生まれた方が業界入って作品作りに貢献してるんですよね。同世代としては今後の活躍に期待してます。
最近アニメ+実写の作品に興味ありです。
■『ゴキブリたちの黄昏』
作画監督・キャラクター設定:兼森義則
作画監督:鈴木欽一郎
作画監督補佐:桜井邦彦
原画:百瀬義行 井上俊之 生田健 及川博史 北島信幸 さかいあきお 関修一 槌田幸一
しんはじめ 伊東誠 新川信正 栗原玲子 牟田清司 稲垣賢吾
(他スタッフはコチラを参考に↓
http://www.geocities.jp/inutori_bekkan/database/m_gokiburi.html)
パッケージの売り文句が『第39回ベルリン国際映画祭』に出品された~的なことが書かれていてネタ目的で視聴。見てみたら真面目に作ってあるからびっくりました。
『ゴキブリたちの黄昏』は1987年に公開された作品で、実写パートとアニメパートに分かれています。まあ、性格にはアニメキャラクターが実写の上で動いているアニメです。実写パートでは役者さんも出てきて、ゴキブリVS人間という私達がゴキブリと闘ってる日常をゴキブリ視点から見たアニメです。見終わった時はなかなかの衝撃作だなぁ、と思いました。実写+アニメというのはよくありますが、この作品は『ゴキブリと人間の戦い』という皮を被った『実写とアニメの戦い』を描いた作品でもあると思いました。
この作品は『殺虫剤を使われても抗体を作ってまた数を増やすゴキブリとそれを殺そうと四苦八苦する人間』を描いています。そしてアニメもそういうものであって欲しい、という意味合いも少なからず含まれているのではないかと思いました。このアニメの数年後に『AKIRA』という衝撃作が生まれていることを考えると、なかなか興味深い。このアニメのラストは旧来のゴキブリの絶滅、そして新種が生き残って数を増やしていく、という『進化』を交えたオチ。最後の一匹が死ぬところが最大の見所かな。この辺の作画が井上さんかな?個人的には実写の上を走り回るゴキブリを描いてる時点で凄いと思いました。メイキング映像があったらぜひみたいんだけどなー。
冒頭からいきなり凄い。見終わってからもう一度見ると冒頭の意味合いがわかってきます。この構図はつまりゴキブリはこの自転車が動けば潰れてしまうこと、つまり物理的に攻撃されれば死ぬということを表していると感じました。殺虫剤などの広域兵器の魔の手から逃れても物理的に攻撃されれば死ぬ。そうした死と結局隣り合わせなんだ、と思うとちょっと切ない。
あとゴキブリで一番優秀っぽい人が本に潰されるのは何の皮肉か。
人の知恵には勝てませんでしたってオチですか?
この作品に出てくる男と女それぞれの生態とゴキブリの生態の対比と思われるところなんかが結構良い感じ。男の描写はなんかオタク的だったような。どこかハードボイルドさ(笑)を狙っていた気はしますが、女に逃げられたらゴキブリ(アニメ)に逃げる。女ができたらゴキブリ(アニメ)を容赦なく殺す。当時のオタク観やアニメを見る意識も少なからず入っているのかなぁ、と思いました。女ができれば他を捨てるという男の女々しさを描いているだけとも言えるかもしれないけど。部屋に置かれた玩具、エアガンでゴキブリをスナイパーのように撃ち殺すなどイタタなところもあったり。玩具は意味深な感じだけど。
なんでゴキブリと暮らしていた男がこんな豪勢な食事をゴキブリに与えていたのか全く理解できないところが笑えます。何気に殺虫剤で殺されていくモブシーンとかとても大変そうです。これを書くためにアニメーターさんはゴキブリを殺虫剤で殺しまくったのかなぁ、とか想像してみたり。井上俊之さん曰く、キチンと観察して描いたのはAKIRA以降とのことですので、この作品も今までの技術でカバーされていたんでしょうか。でも、最後の壁よじ登りとかはゴキブリの動きを見て描いた感じがしたなぁ。あそこは百瀬さんなんだろうか。
この作品で引っかかったところ。ゴキブリを擬人化させる狙いはわかるんだ。でもなんでウ○チと会話しなければならないのか。意味がわからない。これだったら他の虫とか出した方が数倍マシじゃないか。というか出てくるキャラがゴキブリだけってのはないだろー。もう少し他の昆虫とか入れろよー、と書きながら思った。ウン○はクレイアニメもやってバラエティに飛んだ映像にしたかったんだと思えば納得がいくのでそういうことにしておこう。ぶっちゃけアニメとのすり合わせで見づらいところ結構あった気がするし。でも、ゴキブリ目線のトリッキー?な感じの足のショット、人間が立てる音を大きく、など色々試行錯誤されていて珍作目当てで見ても面白いかもしれないけど、内容が暗いし、アニメと実写をすり合わせるためか画面も暗いし、無音なことが多いし(これはSEなんかを聞かせたいからなんだろうけど)見てて笑えもしないので眠くなるし退屈。引いたカットも背景が実写とかだとカッチリしたレイアウトでも浮いてるけでそこまで面白いもんでもないのが勿体無い。
■『ゴキブリたちの黄昏』と絡めてみるetc
このアニメの進化・変化を見立てたアニメだと思いましたが、逆に進化を否定したきっかけのアニメの1つが『新世紀エヴァンゲリオン』なんじゃないかなぁ、と思ってみたり。アニメ評論家・氷川竜介さんが言うにはエヴァのTV版最終話は『アニメ補完』であるとおっしゃっていましたなぁ。エヴァ以降のアニメ乱造の流れとか見てると、逆に楽にしようとする技術が進みすぎて最終的に死滅とかしそうです。現在電脳コイルを作られてる磯光雄監督が脚本を書いた13話で『進化のいきつく先は死滅』と言われてるのが意味深な気がします。
そして『ゴキブリたちの黄昏』と類似したようなアニメが現在放送中の『天元突破グレンラガン』ではないでしょうか。22話の80年代の風味のロボットが最新の3Dメカを次元の彼方にぶっ飛ばす、というのは、戦う相手は違えど、『ゴキブリたちの黄昏』の『実写VSアニメ』という構図によく似ていると思えるんですよねぇ。
グレンラガンはエヴァの後にこういう作品が生まれるとは信じられないと言う人もいるアニメですが、エヴァによって止められた『アニメの進化』の再出発点的な役割を果たすアニメにもなりえるんじゃないのかな、と思えるんですよねぇ。『グレンラガンは内容がループしている』という言説と絡めると、グレンラガンによって80年代的なアニメの流れがループされるんじゃないか?それに類似するようなブームが今後くるのではないか?という予想も少なからずできるのはないか、と。3Dまでまだ行かなくていいよ!手描きでもまだまだ可能性はあるよ、面白いことできるよ!80年代からやり直そう!ってのがグレンラガン・・・かも。
まだ放送を終えていないのでどういうオチになるかはわかりませんが、今後を考えていく材料のひとつにはなるんじゃないかと思います。まあ、でも完全に3Dを否定してるわけではないと思います。3Dメカは倒されても嫌がらせで爆弾を落としていくし、22話も次元の彼方に吹き飛ばした、というだけだとも思えますし。結局まだ3Dは早いんじゃないか、という話に落ち着くんじゃないかなぁ、と思います。
それでもうひとつ重要な作品があって、それが『ヱヴァンゲリヲン』ではないかと。10年前にアニメの進化を止めた作品を作り直すことで、今後のアニメの進化を進めるのがヱヴァなのではないかと。まだ私は面倒臭がって見に行ってません。
まあ、色々な発言とかそういうのを踏まえて考えるならば、ですが。
■『ゴキブリ』で繋がる『京都アニメーション』
『天才ゴキブリ』というアニメを京アニが制作したんですが、その内容は人間との共存でした。そしてCGを巧く使った演出を褒めてる方もいらっしゃいました。今考えると『ゴキブリたちの黄昏』から正統に進化、変化してできたのが『天才ゴキブリ』なんじゃないかなぁ、と思いました。まあ、ゴキブリ繋がりでこじ付けで挙げたようなものなんですが。
ただ、それだけでもなくて、『黄昏』に参加された井上俊之さんがアニメスタイルの対談で、現在京アニに所属してる木上益治さんに勝てなかった~、的な発言をされてるんですが、木上さんが『天才ゴキブリ』の制作に関わっていたことを考えると、井上さん等スタッフが作ったアニメのテーマに掛かったアニメを木上さん等が作ったんだなぁ、と思うと少し感慨深い気がします。同じゴキブリですし。井上さんと木上さんの関係を『ゴキブリ』と『手法の変化』から見ることができる、と思うと少し面白い気がします。
考えてみると、京アニは今の時代に見合ったスタジオなのかもなぁ、と思う。
電脳コイルをどういう風に扱えばいいか悩むなー。
■制作されたのが1987年
ちょっとしたネタですが。
アニメが進化・変化するなら作る人も同様に進化・変化していくはずです。作品と絡めて語るなら、この年以降に生まれた方がきっともっとアニメを面白くしてくれるはず!・・・です。まあ、そんなのは電波な妄想でしかないのかもれませんが、もうこの前後に生まれた方が業界入って作品作りに貢献してるんですよね。同世代としては今後の活躍に期待してます。
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