“かぼちゃ ”
「今日、夕ごはん 何にしょうかなぁ」
「俺、だんご汁!かぼちゃのネ」
「うわぁー、もう、かぼちゃは飽きた!」
と云ってしまってから、はたと口をつぐんでしまった。
・・・あの暑い夏の日から60年が過ぎた。・・・
今日は戦後60年の終戦記念日
・・・空襲で焼け野原となったわが町・・・
当時、六才のわたしは戦争の意味は良くわからず、
ただ「もう防空壕に走って行かなくてもよいのだ」と思ったものだ。
自分の家らしき跡にたたずむ。焼け残った水道管の壊れた蛇口から、チョロチョロとこぼれる水を小さな手ですくってみた事を思い出す。
口にいれるものは何もない。
「おなかがすいた!」とは子供心にもいえないことがわかっていた。
田舎へ食料の買出しに。
大きなリュックを背にした母に手を引かれ一里から二里以上も
歩いてついていった。
とうもろこし、からいも、からいものつる、大豆、なす、きゅうり、とまと、 など等。
そしてなによりも空腹を満たしてくれたのはこの“かぼちゃ”が王様ではなかったか。
硬い皮はもとより種までも食べていた。
「ほゥ、おじょうちゃんも歩いて、ようこられましたのう」と農家のおばあさん。
なによりほしいお米も、わけてもらった。
おまけに頂いた大きな “かぼちゃ ”
やさしかったおばあさん、姉さんかぶり の白い手ぬぐいが
今も目に焼きついている。
その大切なかぼちゃを「もう、飽きた」などと云ってごめんね。
~こんな風景を思い出す~
(葦ペンで描いています)
その時の光景がはっきりと記憶に残っているのですね!
花おじは終戦の年に生まれたけど、体験は無し。
戦時中の苦労話は、後から父母に聞いただけ。
戦後60年、身をもって体験した人達が、だんだん少なくなってきますね。
色々なメディアやブログも通して、若い世代に伝え残していくことが大切だと思います。
今、武道館で追悼式の中継映像が流れています。
悲惨な戦争を二度と起こしてはならない!!
物にあふれ豊かさに慣れきった
今の生活・・・
終戦直後のあの悲惨さを伝えられるのは私の年令ぐらいまでではないでしょうか。
6年生の孫が修学旅行で長崎にいった。
原爆資料館をみて恐ろしさが忘れられないと話してくれた。
「よい勉強をしてきたねと・・・」
その後の食糧難・住宅難等等、喉元過ぎれば熱さ忘るる。当時の食生活を忘れなければダイエットなんて関係ないですねぇ。
自分の子供や孫たちにあのような悲しみや苦しみを経験させたくないですね。
http://blog.goo.ne.jp/sa1930/ 友達のブログです、ブログの輪に入れてください。
コメントをありがとうございました。お元気のようでなによりです。
ちょっぴり先輩の、お気持ちに同感でした。
悲惨な戦争はもういりません。若い人たちに心して伝えていかなければいけませんね。
お友達をご紹介ありがとうございました。
あとでお邪魔させていただきます。
ブログの世界はひろいですねぇ。
今日は、わたしの先生をご紹介いたします。どうぞお遊びにおいでくださいませ。
http://blog.goo.ne.jp/hanatooyaji/d/20050805
このブログ読ませていただいて、「田舎への買出し」、「農家で分けてもらったお米」など、同じ体験を頷きながら、当時を回想しています。
また、「焼け残った水道管の壊れた蛇口から」のくだりには、ほろ苦い想い出を重ねていました。遠くなりましたけど、記憶から消すことの出来ぬ日々です。
「花とおじさん」のお陰ですタイ!
勿論、杏子さんもです。
今日はコメントが出来ました。今から、病院へ行きます。
取りあえず
ご来訪にびっくり、そしてありがとうございました。
これがブログの魅力というのでしょうか。
つい先程までは見も知らぬお方から、ブログをとうして同じ感動にひたることの出来る
喜びは なにものにもかえることは出来ませ
ん。
これから時々お邪魔させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
宿六さまの文字が
涙で・・・
文字がみえんです。
よかった・・・
げんきになられて よかった!
初物のかぼちゃで!
だんごもいっぱいで!
終戦だご汁「うまかったァ!」