hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

神田鍛冶町

2016-01-19 05:00:27 | 日記

『神田をぶらり』その1。日本橋町巡りは昨年11月までに23回にわたり『日本橋』とつく街を歩き続け、ついには全てをまわり終えることができた。今年はこれに続き『神田』とつく街を歩いてみたい。ちなみに頭に神田とつく町が25、ほかに西神田・東神田・内神田・外神田と後に付く町が4つ、計29ある。さらに岩本町・三崎町・猿楽町・神保町と今は神田が付かなくなった町が3つあるので合計すると32あることになる。

今回はこの中で『鍛冶町』を取り上げてみる。早口言葉に『神田鍛冶町、角の乾物屋の勘平衛さんの勝栗買ったら固くて噛めない。』というのがあるのは御存知だろうか。『か』の音を使った早口言葉だが、この町の名前は江戸時代に遡るほど古いものである。

地図を見てみると神田駅の西に1、2丁目、東に3丁目があるが、よく見ると不思議なことに1、2丁目は鍛冶町1丁目、2丁目。3丁目は神田鍛冶町3丁目と表記が違うことに気がつく。


これは西の部分は1974年の住居表示実施時に『神田』を外したが、3丁目は住居表示をまだ行っておらず、このような不思議な事態となってしまっている。

中央通りを中心に南東部が1丁目で今川橋の交差点から中央線の線路までの一帯で山梨中央銀行東京支店などが立ち並ぶ。


今川橋は神田堀(竜閑川)掛かっていた橋で当時の名主今川氏の尽力があり作られたのでこの名前がある。しかし、1950年に川が埋め立てられ、今はその跡しかない。


中央通りを挟んで反対側が2丁目、雑居ビルや飲み屋街が並んでおり、有名な神田新八や神田光寿などもある。よく見たら、今は営業していないようだが、ソープランドもあったようだ。

一方、3丁目は線路の北側で現在は一部再開発中、他の地域もビルが並び閑散としている。因みに近くには『鍛冶町交番』はあるが、住居表示は内神田である。



鍛冶町は丁目により全く違う顔を持つ町である。