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鉄道シリーズその124。今回は西武鉄道国分寺線等を取り上げる。西武鉄道を語る上では国分寺線を見逃すわけにはいかない。西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が設立したのが1912年のこと、1915年には池袋~飯能間が開通した。
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しかし、国分寺線を開業させた川越鉄道は1892年創立され、1894年に国分寺~久米川(仮駅・現東村山)が開業、1895年には国分寺~川越の全線が開通している。つまり、現在の西武新宿線は西武新宿~本川越間だが、かつては国分寺~川越(現在の本川越)で運転していたものであり、その名残が今も本川越までの直通運転として残っている。
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ここで少し西武鉄道の話をするが、堤康次郎が創業したのは沿線開発を目的に起こした箱根土地という会社で多摩湖鉄道(国分寺~萩山、現在の多摩湖線)を1928年に開通させたもので1934年に武蔵野鉄道(池袋線など)、1943年に旧西武鉄道(新宿線、国分寺線)を傘下に入れて今の形となった。当時はその後東京都に売却した杉並線(新宿~荻窪、都電14系統)も保有していた。この線は1921年に西武軌道という会社が開通させたものだが、この『西武』を引き継いで現在の社名にしているのである。
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つまり、西武鉄道グループの中で最も古い線が国分寺線であり、堤康次郎が開通させたのが多摩湖線、両方とも国分寺が始発というのも面白い。
国分寺駅に着くとJRから西武に直接乗り換えることもできるようになっていて、手前が国分寺線、奥が多摩湖線でホームの高さが違う。国分寺線のホームに降りると本川越行の6両編成の2000系車両が待っている。国分寺線自体は東村山までだが、西武園や本川越行もある。
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国分寺駅を出るとしばらく中央線と並走し、右手に緩やかに曲がって行く。この辺りはまだ住宅地が広がり、恋ヶ窪、鷹の台と停車して行く。
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小川は比較的大きな駅で拝島線への乗換駅である。その先で同じ国分寺発の多摩湖線と交差する(多摩湖線が高架)が、ここには駅はないのが異なる鉄道会社が経営していた名残である。東村山駅ではしばらく停車、反対ホームには西武園線の車両が待っている。競輪場に行くスポーツ紙に赤鉛筆という独特な風体のおじさんたちが乗り換える。
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小生も西武園行きに乗ることにした。西武園駅、西武球場前駅、西武遊園地駅は近接はしているが、それぞれに東村山(西武新宿線)、萩山(西武拝島線)、西所沢(西武池袋線)とそれぞれ違う方向から来る。これもかつて違う会社が経営していたことによるものだが、とにかく分かりにくい。ちなみに西武園駅は西武園競輪場やゴルフ場は近いが、西武遊園地には15分くらいかかる。折角なので、小生も西武遊園地駅まで歩くことにする。(以下次回)