父の墓参りの帰りに椿山荘が近いということで食事のために行くことにした。椿山荘は山縣有朋の別荘跡を開発したためか、中々行きにくい構造にある。もちろん、宴会やホテルの宿泊などは新目白坂を上がれば車でも楽に着くのだが、ちょうどコテージのように庭園の中に作られた店に行くには正面玄関からはかなり歩かされる。これを知っているため、早稲田通りでタクシーを止めて、神田川を渡り、歩いて行く。
藤田観光の本社横を通り、先の門をくぐると庭園の入口に出る。まだ、食事まで時間があるので庭園を散策することにした。
入口すぐ右手には長松亭と名付けられた日本家屋。これは1954年に電力の鬼と言われた松永安左エ門に設計を依頼した松永好みの茶室風の建物。料亭の別館として使われることもあるようだ。
反対側には木春堂、これは石焼料理を食べさせるレストランとして営業中だが、この家屋は東急の創始者五島慶太が神奈川県中津渓谷に有していたものを譲り受け、移築したものである。
さらに登るとしめ縄が巻かれた神木が万歳をするように堂々と立ち、その先には寿老人の石像。椿山荘には七福神ならぬ八福神があるようである。
その先は二又に分かれるが、左に行くと無茶庵と名付けられた蕎麦屋。この建物は文京区林町にあった紅葉旅館の別館を1954年に移築したもの。室町時代の建物らしい。
お隣には神社があるが、これは藤田平太郎男爵が京都下鴨神社にあった一間四方の社屋を移転、1924年に京都伏見稲荷から白玉神社を勧請してこの地の守護神としたものである。
さらに登っていくと今度は三重塔(冒頭の写真)が見えてくるが、これは三筆としても知られている小野篁ゆかりの寺院、広島県賀茂郡の竹林寺にあったもので大正時代に強風から1、2層が大破していたものを移築、改修したもので国登録有形文化財にしていされている。
ほかにも七福神や井戸など多数あるらしいがこのあたりでやめておき、昼食となった。それにしても椿山荘には神社や三重塔まであるとは。何回も行ったことがあったのに、初めて知りました。