油壺からの帰り道、戦艦三笠が見たいと思い、横須賀まで来た。戦艦三笠は日露戦争で活躍した蒸気エンジンを積んだ戦艦であり、作られてから100年以上経つ。もともと対ロシア対策として日清戦争後に六六艦隊計画の一環として敷島型戦艦の4番艦として1899年にイギリスの造船所に発注、1902年に引き渡されたのである。
日露戦争の黄海海戦や日本海海戦での活躍は有名で司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも登場する名艦だが、戦前の軍縮条約で記念艦となり横須賀に保存されていた。しかし、第二次大戦後占領軍政策では甲板上にダンスホールや水族館が作られた時期もあったが、一部のアメリカ軍人と日本人の手で記念館三笠として蘇ったものである。
駐車場に車を止めると目の前に戦艦三笠の勇姿が確認できる。その前には連合艦隊司令官東郷平八郎の銅像が凛々しく立っている。
階段を上って艦内に入るが明治の軍艦とは思えない大きさに驚く。考えてみると私はこうした船に乗った記憶がないのだが、それもそのはず、日本にはこのような戦艦の現物が保存されているのは多分この三笠だけであり、後は病院船として使われた氷川丸くらいしかないであろう。(さらに第二次大戦後に日本海軍の艦船で自由に動けたのは駆逐艦雪風一艘しかなく、他の船は残っていない。強いてあげれば特務艦宗谷が残されている程度。)
まずは甲板上を歩いていたが、地下にも資料室があるため、降りていくと係員のおじさんに『説明パンフにもある通り順路は甲板の先まで行き、左舷に移りここまで戻り、資料室を見るように』指導される。
こういう事も珍しいが素直に言いつけを守り、甲板に戻り主砲40口径30.5センチ砲などを見て回る。すると再び同じおじさんが副砲のところに現れて『当時の水兵や砲手には部屋もなく、砲がある場所にハンモックを釣って生活をしていたんだ。食事もここで取るなど大変だった。』と説明してくれる。
続いて艦橋に上るがその高さに驚く。あの東郷平八郎以下の日本海海戦の絵はここが舞台でこの場所で指揮を執っていたのだという。砲弾が当たればひとたまりもない場所である。
艦内にはビデオ室があり、三笠の戦歴やその後の姿を纏めたものが流されていて、これを見ると日本海海戦の勝利がどれほどのものかがよくわかった。
階段を降りて色々な資料がならんでいる部屋を見て回る。その中で艦の先端部にあった菊の紋章は迫力があった。艦の後ろに行くと当時の艦長室や参謀・将官室など昔のままの部分もあり、艦長室の隣の会議室は下関で見た日清講和記念館を彷彿させるものであった。我々が見ていると3回目の登場となるくだんのおじさんが『以前、NHKドラマ「坂の上の雲」でこの場所を撮影場所に使おうとしたが、カメラ位置などで狭いために断念した』と教えてくれた。
とにかく広い艦内を上から下まで丁寧に見ているうちに空がかき曇り、雨が降り始めたので時間を見ると1時間以上滞在していた。
帰りには海軍カレーとZ旗のステッカーをお土産に帰途に着いた。それにしても何者かは分からなかったが丁寧に説明してくれた係員のおじさんの熱意には頭が下がる思いである。