七重塔の遺構を後に元の地点まで戻る。広くほぼ何もない草原は格好の子供達の遊び場で保育園の子供が体操をしていたり、昼休みの大人がキャッチボールを始めたりとのんびりした光景が広がる。
広場を離れ、住宅街の細い道を行くと古民家、『史跡の駅』と書かれている。町の駅の一つで国分寺市が運営、カフェ(おたカフェ)も併設している。
長い道のりを歩いたので足を休めようと中に入る。のんびりとした施設で目の前にはお鷹の道や紅葉した木々も眺められる。
コーヒーを一杯、身体が温まる。ふと目線を上げると額に仏像の写真が入っている。すると国分寺跡から出土した銅製観世音菩薩立像と書いてあり、白鳳後期つまり先日国宝の指定を受けた深大寺の釈迦如来像と同じ頃のものである。
どこに安置されているか聞くとこの先の資料館に展示されているとのこと。早速100円の入場券を買って『武蔵国分寺跡資料館』の方に向かう。入口は江戸時代後期に作られた旧本多家長屋門、この中をとおると右側に七重塔の模型がある。これは国分寺市在住の斎藤為義棟梁が実物の10分1サイズて作り、市が寄贈を受けたものである。
その隣にこじんまりした資料館、中に入ると武蔵国分寺のジオラマが目に飛び込む。順番に中を見てまわるが、明治時代に武蔵国分寺跡地を行政がまとめて買収した記録があった。ほかに勾玉などの宝飾品も展示されている。
次の部屋には例の銅製観世音立像、高さが28.4cm、重さが2.6kgで昭和57年に国分尼寺の寺域確認を行なった発掘調査で発見されたもの。台座や手の先の部分は火事により失われているが、素朴で童顔の仏様である。白鳳の銅製の仏像は法隆寺の夢違観音像、深大寺の釈迦如来像、盗まれて行方のわからない新薬師寺の香薬師像など数は極めて少なく、その由来も含めて調査できると素晴らしい発見になるのではないかと思う。
他にも竪穴住居跡から発掘された緑釉花文皿と唐草四獣文銅蓋など武蔵国分寺にゆかりのある貴重な文化財が展示してあった。(以下、次回)