hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

信濃町駅付近の坂②

2023-09-28 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その189。信濃町駅付近の坂巡り②、安珍坂は左右に曲がりながら降っていく。一旦、坂を降り、再び反対側に坂が現れたが、これが『鮫河橋坂』。



左手にはみなみもと町公園が広がるが、入口近くの説明板には『公園一帯は昔から低い土地でヨシなどが繁る池沼があり、周囲の土地から湧き出す水をたたえ、東南方向に流れて鮫河となって赤坂の溜池に注いでいた。(中略)鮫河には橋が掛かっていて鮫河橋と呼ばれていました。この付近一帯を鮫河橋と言った時代があり、いまでもみなみもと町公園前の坂に『鮫河橋坂』という名前を残しています。』とある。



今では高級住宅地だが、江戸時代から関東大震災前までは東京三大貧民窟(他は下谷山伏町、芝新網・1899年横山源之助著の日本の下層社会)と呼ばれた有名なスラムがあったらしい。今は全く面影もない。

鮫河橋坂を登ると迎賓館西口の前を通るが、ここを左に曲がると上り坂となる。



(下にみなみもとまち公園)

この坂道が『薬缶坂』、みなみもと公園の脇を上って行くが、昔は更なる急坂だったらしい。由来はやかん職人が住んでいた、地面の赤土が銅やかん色に似ていたなど幾つかの説があるがはっきりとはしない。

その先は『朝日橋』という首都高とJRの線路が並ぶ上に架かる橋となる。特にJRは総武緩行線と中央線のトンネルからすぐのところにあり、オレンジ色とレモン色の電車がひっきりなしに通っている。なぜか外国人4人組が熱心に写真を撮っていた。



このトンネルは御所トンネルで四谷側は煉瓦造り、中央線で最も古いトンネルである。(以下、次回)