hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

日本橋本町

2014-10-21 05:00:10 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その13。今回は日本橋本町を歩く。この町名は由緒ある地名で江戸時代初期に徳川家康が最初に地割を行なったため、江戸の中心地域を示している。江戸時代は『江戸本町』と称した。

位置は江戸橋を渡り、昭和通りの両側に広がる。1丁目は元は按針町などでこの町は三浦按針が拝領した土地であり、今も按針通りと呼ばれる道がある。



2丁目にはビルが林立しており、特に薬品関連の興和や第一三共、アステラスなどの本社や東京支社が多い。


3丁目には寳田恵比寿神社があり、今月19、20日にはべったら市が行われた。

4丁目は江戸通りの向こう側に位置し、元は龍閑川の河岸地であったが、今は埋め立てられている。その先はもう千代田区で神田駅も近い。

本町はさすがに古い町で史跡も『三浦按針の屋敷跡』『石町の時の鐘』『長崎屋の跡』『於竹如来井戸跡』『与謝蕪村屋敷跡』などが点在している。


特に『石町の時の鐘』は近くに長崎屋があったため、『石町の鐘はオランダまで聞こえ』の川柳もあるくらい。また、伝馬町牢屋敷ではこの鐘を基準に処刑が行われたため、処刑がある日は鐘つき番が鐘を撞く時間を遅くしたとの言い伝えも残っている。

現在の本町は周りをぐるりと回るだけでもかなりの距離がある。また、中央を昭和通りが分断し、地下通路はあるものの、地上では横断歩道が4ヶ所、歩道橋が1カ所とそれぞれの丁目が2つに分断されてしまっている。室町寄りは高いビルが林立するのに対し、小舟町寄りは小規模な古いビルが多く、統一感があまりない気がする町である。まあ、室町に近いあたりには驚くような建物もあるのだが。


とはいえ、首都高速のランプの本町しか知らなかった小生としてはこの企画で街を歩き、これが本家の『本町』ということが知れただけでも大収穫である。

謎の赤い実

2014-10-20 05:45:39 | 日記

先日、高井戸~久我山散歩でカラスウリを久々に見つけた。それ以降、街を歩く時にはついつい木や草の実がついていないがを見る癖がついた。

そんな中で井の頭公園に向かう道すがら妻に可愛らしい実がついているけどなんという草と聞かれた。

しかし、その実を見ても、小生が、知っている赤い実のつく植物~ナンテン、ニワトコ、ピラカンサス、マユミではないし、万両や千両でもない。葉は朝顔に似ているが、実はマイクロトマトのようになっていて、透明感がある美しい姿~いったいこれは何という植物なのか。

止むを得ず、写メで撮って調べても分からない。ハダカホウズキに似た実だが、葉の形が違う。ニワトコのように実が上を向いていない。ユスラウメの実には似ているが、草の実と思われる。こんなことをネットで約1時間かけて調べたが、結局分からないまま。まあ、わからなくてもいいけど可愛らしい実です。何て暇な週末。

秋の東京六大学野球観戦記(慶應・明治戦)

2014-10-19 05:00:00 | 日記
秋日和に誘われて友人2人と神宮球場に母校の応援に行く。もう六大学野球は数年ぶり、一時期早稲田が強くハンカチ王子の時代にはCSなどでTV中継も行われるほどだったが、最近はまた沈静化しつつあるが、慶応は春のシーズンで優勝し、連続優勝をかけての明治戦。しかし、東大・法政には勝ち点をとっているものの立教には連敗し、明治との試合はぜひ勝利の欲しいところ。11時丁度に試合開始だが、それより約1時間前に球場について弁当を食べて試合に備える。


慶応の先発は加藤拓、スピードは150キロでるが、今日はコントロールが定まらず、高めに抜ける苦しい投球。それでも何とか相手の攻撃を抑えて、味方の反撃を待つ。逆に相手の山崎投手は変化球を低めに集め、ゴロを打たせるタイプ。それでも3回に8番9番の連続ヒットに1番佐藤旭のラッキーなタイムリー、更に4番横尾のタイムリー3塁打で3点を先制。しかし、続く4回裏現在の首位打者である明治3番の高山にアウトコース高めをライトスタンドにホームラン。さらに4番糸原にラッキーな3塁打を打たれ、内野ゴロで生還により2点返され、さらに6回裏3塁ゴロ、ダブルプレー確実なあたりを2塁の竹内が1塁に暴投して同点。その後は慶應が押され気味で延長10回まで見て帰ったもの。試合は12回裏に一人で投げ続けた加藤拓が暴投でサヨナラ負けをしたという情けない結末だったらしい。


それでも天気が良かったからか1塁側の明治の応援席は満員、慶応の応援席も人は多く、以外に人気があるんだなと思った次第。秋の天気のいい日に母校の応援に神宮の杜に行く、これもストレス解消には効果的である。


和~銀座グルメ

2014-10-18 07:23:02 | グルメ

最近、銀座に行く機会ももっぱら減った。以前は内幸町に職場があったこともあり、時々繰り出したが、なかなか人形町からわざわざ行くことは少ない。

今回、送別会を兼ねた飲み会で昔の仕事仲間と一杯。店の名前は『和』と書いて“なごやか”と読ませる。銀座八丁目のリクルートのビルの裏手、2階にある。階段を登り、一番奥に行くとカウンターとボックスが2つのこじんまりした作り。

まずはビールで乾杯、突き出しはヒラメの昆布締めと引き上げ湯葉、優しい味からスタート。腹も減ったのですぐにつまみを注文、程なく出てきたポテトサラダがオニオンとカリカリベーコンが効いていて美味い。


おすすめの牛筋の味噌煮込みも酒粕が入っていてアッサリ頂ける。

酒に移るがとにかく種類も多く、その銘柄も素晴らしい。特にこれだけ『而今』が揃っているのは初めてである。


最初は薄濁りとたかちよ(新潟県)からいくが、この紫ラベルは初対面。この酒は新潟らしくなく、あと味がいい。
馬刺しとさんまの刺し身が到着、特にさんまが新鮮でいい。馬刺しは小生は九州の甘い醤油があればさらにいいのだが。
この辺りから『而今』の飲み比べ状態、特別純米を皮切りに、いずれも純米吟醸の『八反錦』『千本錦』『雄町』と並ぶ。飲み手3人はそれぞれに好きな物を頼むが、小生は最初の特別純米が気に入った。


さらに燻製盛り合わせ、サイコロステーキ、銘柄豚の焼き物味噌ソースかけと注文したが、いずれも酒によく合う。


酔いも進み、この辺りからはだんだんわからなくなるが、確か『花陽浴』(埼玉県)、『武勇酒造 和』(茨城県結城市)、『佐久の花』(長野県)などを次々に頼んだ。そして最後に飲んだ『東力士』(栃木県)、これはうまかった。


この店は酒の温度管理が素晴らしく、マスターの酒に対するこだわりが痛いほどよくわかる。銀座とはいえ敷居が低く、『いい酒・いいつまみ・いい店主』の本当に三拍子揃った近年稀に見るお店である。本当はブログに載せたくないみせなんだがね。



和(なごやか)
中央区銀座8ー5ー19園枝ビル2F
0335738222

人形市風情

2014-10-17 06:19:42 | 日記

人形町に勤めているとやはり人形町は観光地なのかなあと感じる時がある。この街では夏には陶器市があるが、秋には隣町の小伝馬町周辺でべったら市が行われるこの時期に人形町通りに57もの露店が並び、人形市が開催される。ただ、この催し物はそれほど歴史があるものではなく、まだ今年8回目である。


10月16日~18日の3日間で出店するのは久月、東玉、吉徳といった浅草橋周辺の大きな人形店から手作りの個人でやっている店まで色々な店がある。


また、売っているのも創作こけし、雛人形、五月人形、干支・特に来年の未といった和風のもの、キューピーや西洋人形、アンティークドールなど洋風のものと統一感のある店からロボットやブローチ、陶器など雑多な物を扱う店と多士済々である。



久月では木目込人形などを有料で作る講習会を開催しており、大変な人気である。

木曜日の朝からスタートしているが、中々店の開店準備の終わらない店もあり、のんびりモード。今年は天候にも恵まれ、秋の高い空の下で露店を冷やかすのも人形町らしくていいものだ。

動植物国宝切手 その1

2014-10-16 06:27:23 | 日記

切手シリーズ その34。動植物国宝図案切手が初めて発行されたのは1950年11月、24円平等院鳳凰堂の図案の切手である。

第一次動植物国宝図案切手は全部で7種類、特に0.8円石山寺多宝塔、14円姫路城、24円平等院鳳凰堂、50円弥勒菩薩像の4種類は小型シートもそれぞれの切手と同時に発売されたが、特に50円弥勒菩薩像は発行枚数が15万枚と少ないことから高値で取引(カタログ価格55000円)されている。

これは同じ頃に発行された郵便創始80年小型シート(売価4円)が100万枚発行されたのに比べて、いかにも発行枚数が少なく、当時の売価が高いか、そして今のカタログ価格が高いか(郵便創始80年はカタログ価格2700円)というのが分かる。

また、このシリーズは普通切手の中で最後の銭単位の切手であり、1952年以降は円単位に変わった。そして、少額通貨整理法により、1953年12月31日をもって銭の単位は廃止されたのである。

つまり、銭の単位で発行された普通切手は0.8銭石山寺多宝塔の切手が最後ということ。なお、この切手の適正使用(一枚の切手を利用して設定された郵便料金で使用されたとの意味)は1951年5~10月の第3種郵便(定期刊行物・低額)のものだけで、エンタイアは極めて少ない。

円単位になったので発行期間は2年と短いが、1円前島密、50円弥勒菩薩をはじめ、ようやくこの辺りからは見覚えのある切手が多くなってくる。



中野新橋駅

2014-10-15 06:27:17 | 日記

『metroに乗って』その6。せっかく丸の内線方南支線に乗りに来たこともあり、中野新橋駅で下車してみる。

この駅は対面2ホームしかなく、その幅も狭い。そのためにホームにはベンチすら置けないが、日中は10分以上間隔がある方南支線ではつらい人もいるのではと思う。

出口も中野坂上から来ると後ろ側一ヶ所で、階段を上がるとすぐ出口というシンプルな造り。最近、ようやくエレベーターが備えられたのか、階段にもその告知が誇らしげにされている。ただいま、駅は改良工事の真っ最中、その上、出口を出ても狭い道路に出るだけと拍子抜けする。


出口を出て右手にいくとすぐに中野通り、しかし、この道もそれほど広くはない。そして中野通りを左に曲がるとすぐに神田川が流れ、赤い欄干の橋があるが、これが駅名の『中野新橋』。元は新橋といったが港区の新橋と区別するために駅名は中野新橋にしたが、架け替えにあたり、この名前にしたとのこと。


橋を渡り、次の信用金庫の先を右に曲がるとすぐ右側に貴乃花部屋が出てくる。4階建のこじんまりしたマンションかと思う白っぽい建物だが、玄関に大きく『貴乃花部屋』と書いた看板と屋上から垂らして干してあるまわしですぐわかる。また、中野新橋の商店街のマークにもお相撲さんが描かれている。

中野通りを挟んで反対側には本郷氷川神社。境内には周辺に地元の人々が苦労をして、本郷道という道路を引いた記念碑もある。



また、駅の近くに戻る。橋の先は中野区本町、駅のある側が中野区弥生町、いずれも表通りは殆どが飲食店、しかも肩の張らない定食屋、寿司屋も値段が安い。新宿からすぐなのに下町のような、生活のしやすそうな町で、最後に駅近くで山本晋也監督に遭遇したが、まさにこの人に似合う町である。



初めての“鍼”治療

2014-10-14 06:24:08 | 日記

さすがに五十路も折り返し点を過ぎると体に色々とガタが来る。今から20年位前に一度肩が全く上がらなくなり、スーツも着れなくなるくらいひどかったので出張を切り上げて帰ってきたことがあったが、(因みにどの種の医者に行くべきかすらわからず、内科に行ってレントゲンを撮り、異常なしと言われ、痛み止めをもらって寝ていたら2日で治った)それ以来、肩痛には気を付けてマッサージでケアをするというか、誤魔化していた。
今回は両肩があの時のような痛みで、中々治らないため、鍼灸マッサージの治療院の門を叩いた。初めてなので予約もせず行くが、満員で40分待たされ、ようやく診てもらう。
すると診てくれた女性に『良ければ鍼をやってみたら』と言われ、あまり考えもせずに体験することになる。多少緊張していたが、専門の資格を持った男性が登場して、うつ伏せにベッドにねころび、背中や尻、脇腹など20カ所以上に鍼を打つ。感触はというと、若干気になるところは2~3カ所あるが、殆ど気づかないほどで痛みは全くない。

鍼を打ち終わると次は微弱電流のパルスを打つのだが、それを5分くらい続ける。電流は感じるが、特にビリビリするほどではない。ただ、治療を進めるとともに鍼を刺したあたりが暖かくなってきていて血行が良くなるのが実感できる。続いて以前に膝を打ったところに超音波を与える治療をする。

そのあとマッサージをしてくれるが、これは街中のマッサージ店と違い、短時間で強く揉み解してくれる。こちらは痛いと言えば痛いが。

しかし、家に戻って調べると鍼治療は科学的には完全に解明されておらず、一方で伝統中国医学としての鍼灸が2010年にユネスコが無形文化遺産に指定するほど認知はされている。
また、保険医療が効くので廉価な治療も可能なためか、街中のマッサージ店と比べて、大変な盛況である。本当に効くのか、まあしばらく試してみたいと思っている。

ぶらぶら散歩 高井戸~久我山

2014-10-13 08:41:41 | 日記

高井戸からぶらぶら歩きながら帰ると色々なものにお目にかかれる。環八からオオゼキの駐車場方向に歩くと綺麗にボサ菊が植えられている。


その先には『くり』の看板が。地主の内藤さんが幾つかの栗畑を持っていてその即売をやっているらしい。少し先には栗林があるが、大方の栗は落とされて僅かに幾らか残る程度。その先には茶色の小山が出来ており、よく見るとイガをまとめたもの。



先に行くと幾つかのの家の庭に立派な柿の木が沢山の柿の実をたわわに付けている。栗・柿の木とくると猿蟹合戦のようだが、柿の木は結構多い。


さらに駐車場の壁や街路樹などをみると赤や黄色のカラスウリの実が所々にぶら下がっている。カラスウリは夜行性の白い花が咲くが、地味な蔓状の植物だが、実がなる頃には葉が枯れており、実がよく目立つ植物である。




ススキはそろそろ終わりかけているが、琉球アサガオは沢山の青紫色の花を付けている。かつて育てたことがあるが、11月中くらいはかなり花をつける。
さらに、最近咲き始めたのが山茶花(サザンカ)、童謡たきびなどを思い出すとまだ早い気もするが、これから咲き始めていくのだろう。


少し前までは夾竹桃や百日紅、ポーチュラカ、日日草などが咲いていたが、秋本番を迎え、実りの秋の風情を近所を歩いても感じることができる。それにしても歳を取ると一年の速さが身にしみる10月である。

根津・弥生の坂 (その2)

2014-10-12 07:59:18 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』シリーズ その8。前回に続いて根津・弥生の坂。
言問通りを東大キャンパスに沿って弥生坂を登りきると鋭角に左に坂がある。これが暗闇坂。

この坂、江戸時代は加賀屋敷と片側寺町の間の薄暗い坂であったため、この名前が付いたが、同じ名前の坂は結構ある。右に東大工学部の建物を見ながら下るが、距離も長く緩やかな坂。


東大弥生門あたりはまだ坂だが、竹久夢二美術館(弥生美術館)あたりからは殆ど勾配もなくなる。

さらに行くと東大池之端門の前を通り、右手に境稲荷神社が出てくる。その先を行くと台東区との境を歩くことになる。


岩崎弥太郎旧邸宅を右に曲がると無縁坂になる。左に石垣があり、風情がある。元々、坂の上に無縁寺があったため、江戸時代よりこの名前が付いたが、森鴎外の『雁』の主人公岡田青年の散歩道ということで世に知られた。また、さだまさしの歌にもあり、帰去来というLPのジャケットにも使われた。



坂をのぼり、左に曲がると三菱資料館が静かに立っている。更にその先の切通公園に沿って右に曲がると春日通りにぶつかり、左折して湯島天神の前を通ると地下鉄千代田線湯島駅は目の前に現れる。

ただ、これだけ坂を登り、降るとさすがに膝にきて、もう湯島天神の男坂を登る気力は残っていなかった。