八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

弁慶の仁王立ち

2011年06月16日 10時14分58秒 | Weblog
こんな言葉があるかどうか。今も原発では、最悪からの、立ち直りに励んでいる、それに従事している方々に、感謝をしている。こんな事態になるとは、誰も想定もしていなかったのだから。事が起こってしまっては、仕方のないことだ。書物からの受け売りだが、今の政治状況は、関東大震災が起こった時と、同じ状況だとか。当時も、短命内閣が続いたという。先日の国会では、振り上げた拳も、どこえやら。多勢に無勢ではどうしょうもない。時代の変わり目には、変化が、いろいろとあるという。自然界の不自然が起こっているのかも。エネルギーの変化もあるのかも。生活様式の変化もあるのかも。目に見えないものが、人々の暮らしにも、影響があるのかも。スカスカの脳みそで考えてもしょうがない。毒にも薬にもならない考えだなぁと、承知はしている。画像は、雑草の中の1輪、気持ちはそうであっても、小生の現実は、枯れ尾花である。
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