八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

暮れ行く境内

2014年12月20日 20時58分37秒 | Weblog
今年、最後の写経に行った。手洗場で、口を漱ぎ、手を洗って清めた。長い石段を、父親が赤ちゃんを抱き、二才くらいの女の子の手を引きながら、母親が下りてきた。その後ろから、祖母と思うが、手荷物を持って、下りてきた。安産だったお礼の、参拝だったのかも。冬至間近かで、寒空。西の空に、少し晴れ間が見えたが、日暮れは早い。今年も、あと十日で、今年も終わる。法話の始まりは、「みなさん、今年はどんな一年だったのでしょうか」で、始まった。振り返ると、ばあちゃんの百歳の、お祝。八月が誕生日。お祝の会を、内輪で催した。介護がはじった頃から、書き留めていたのを、集めて、記念の小冊子を、題名を、「ありがてぇなぁ」にして、急ぎ作った。「県」と「市」、「福祉協議会」から、褒状をいただいて、お祝いの会の写真を、アルバム調にして、記念の冊子を作った。写真は、義弟が撮ったのがほとんど。敬老の日に合わせて、総理大臣からの、賀詞があったので、それも記念に、冊子にした。冊子の名は、「おかげまで」にした。当のばあちゃんは元気にしている。今朝のヘルパーさんが、ばあちゃんの世話が終わったあと、ばあちゃんに、「寅歳のばあちゃんは、優しい寅ですか。おっかない寅ですか」と、聞くと、「おつかねぇ寅だよぉ」と言う。ばあちゃんも、ヘルパーさんも、大笑いをした。
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