八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

菜根ー2

2016年11月16日 19時53分18秒 | Weblog
前掲は「有生のたのしみ」で、今回は、「迷惑をかけない」ことだという。車の事故で、まずは、家族にたいしてだ。テレビのニュースで、高齢者の車での事故を報じている。車で走行時は、前方注視でいる。追い越し車線からの、割り込みには、注意だ。一番危険なのは、交差点での、割り込みだ。予防運転の意味で、交差点に差し掛かるときは、意識をして、ブレーキペタルに足を当てている。もう一つは、自分の健康のこと。これは、まずまず心配はない。でも、いつ不健康になるかもしれない。定期に受診しているお医者さんは、「おいしく、食べられてますかぁ」と、いつも問診がある。事故と、不健康の二つは、家族に迷惑を掛けないことを、肝に銘じている。きゅうりは、夏という旬が終わった。でも、一年中食べられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜根―1

2016年11月16日 19時20分51秒 | Weblog
大分前から書棚にある、「菜根譚」を、ぺらぺらとめくってみた。「まえがき」を読むと、直訳は、葉っぱの根っこのことだが、「菜根」は、粗末な食事のことで、貧しい生活に耐えて、成長することとある。今は、成長は止まり、古木に向かっている。古木に向かうこの歳になると、良い悪いは、別にして、これから先をどのように生きるのかになる。八十一年生きてきた後を振り返ると、まあまあかなぁと思う。「わが人生に悔いなし」とは言えない。「守屋 洋 著」の菜根譚によれば、老境は、「こころ豊かに生きる」とある。まずは、「有生の楽しみ」。生きることの楽しみとある。楽しめることを、二つほどあれは、充実感がある日々を送られるようだ。画像は、使い忘れた「にんにく」。春の終わりのものは、みずみずしく、旨いなぁだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする