八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

初物七十五日

2018年04月23日 15時54分39秒 | Weblog

写経会の後、お茶と竹の子の煮物で、お接待をいただいた。柔らかく甘みがあり、ちょっとの「いごみ」があって、まさしく、旬のものだ。「いごみ」は辞典には載ってない。「渋み」と「苦味」が合わさった薄い味と、表現したらいいのかも。聞くと、いのししと競争で、朝早く、堀り起こしにいったという。「いただきます」と、二口、三口なのだが、朝早くの作業、皮を剥いで、糠を入れてゆでる。味を付ける。いろいろの苦労を思う隠しあじで、ありがた味が増大する。今日の境内は、初夏の陽射しが、若葉を鮮やかに照らし、参詣の人々の話し声が、重なって賑わっていた。小さい子どもさんの、はしゃぐ声も響いて、梵鐘は、わぁんわぁんわぁんと、余韻が少しずつ消えていった。また、「ぐおぉぉーん」と、木々をふるわせて、響いてくる。安産の祈願と、誕生の報告、薬師如来様に、体の快癒を願えられる。多くの参詣でにぎわった午後のひと時だった。写経会で、またまた、七十五日、長生きが出来る。別のことだが、「たけのこ生活」という言葉がある。在宅のばあちゃんは、戦時中、終戦後、嫁入りの着物を一枚、また一枚と売り、三人の子供を育だてたという。八月には、百四歳になる。

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