八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

手六十

2018年04月06日 21時09分13秒 | Weblog

筆字を、習い始めた、はるか四十五年前に、書いたもの。今、あらためて眺めると、書きこんでない、ほんとに素人のものだぁ。でも、その時は、それなりに、努力していた。上達は、書いて書いて、書きまくるだ。昔し言葉に、「算用十八、手六十」というのがある。意味は、算術は、若いうちに上達し、十八歳で一人前になるが、書道は長い修行が必要で、六十歳までかかるということ。なるほど、なるほどと、今頃、納得をしている。

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街中の桜

2018年04月06日 20時49分23秒 | Weblog

この桜は、枝の先は、若葉になっていた。周りのある柳も、みどりみどりしていた。「花」の二番を、ちょっと唄ってみっかぁ。「見ずやあけぼの 露浴びて われにもの言う 桜木を 見ずや夕ぐれ 手をのべて われさしまねく 青柳を」ってがぁ。小生も、はるか昔かぁし、尋常小学校の一年生になった時の、教科書は、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」だったのかも。桜が終われば、もうすぐ、青葉の季節になる。「光陰は、人を待たず」を、実感している。

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街中の桜

2018年04月06日 20時36分36秒 | Weblog

幹の樹皮も、若々しい。枝垂れ桜が満開だった。ちょっと思い出して、唄ってみっかぁ。「さくら さくら 弥生の空は 見わたす限り かすみか雲か 匂いぞ出ずる さくら さくら 花ざかり」。弥生は、三月の異名。「桜三月、菖蒲は五月」という言葉がある。三月、五月は、陰暦のことという。季節の訪れの、早い遅いは、しょうがないこと。お客さん相手の商売の方は、大忙しと、報じている。季節の巡りは、ありがたいことと思う。

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街中の桜

2018年04月06日 20時26分30秒 | Weblog

「世の中は 三日見ぬ間の さくらかな」。昔ぁーしの俳句。本来の意味は、世の中の、移り変わりのはげしくて、はかないことのたとえ。ちょっと思いだして、見物に行った。足元には、花弁が散らばっていた。季節の訪れは、早いと、テレビも新聞も、花だより。

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