八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

いわきの伝説、安寿と厨子王

2020年03月05日 14時40分33秒 | Weblog

画像の絵札は、鈴木菜穂子さんが描いた。「ふるさとが恋しい安寿と厨子王」は、森鴎外の[山椒太夫]の物語の、始まりと終わりの部分が、いわき市金山町、JR泉駅と植田駅の、ほぼ中間点の地に、伝えられている。東北地方の乱れを沈めた功労によって、祖父の平政氏が、岩城判官と名乗り砂鉄工業を興したという。しかし、京都の警護をおろそかにしたという罪で、九州に流されたと。子の政道が、二代となったが若かったので、後見役に村岡重頼を付けたと。この村岡重頼が謀反を企んでいた。政道が成人して、妻を信夫の庄より迎え、安寿と厨子王をもうけ、時は流れて、安寿は13歳、厨子王が11歳になった春のこと。後見人の村岡重頼が、自分が判官になろうと、機をねらって、花見に誘い、政道を殺害した。幼い安寿と厨子王にも、魔の手をのばし、それを察した母が、召使い一人と、四人で逃げ出した。ここからは、森鴎外の山椒太夫の話しにになるという。厨子王は、文武に励み、家来を引き連れ、佐渡が島で、目の見えない母と再会して、岩城に着き、謀反人の村岡重頼を討った。父の政道と祖父の正氏、姉の安寿の霊を慰めた。その地が金山町。安寿が生前愛用していた遺品を、埋めた地を「姫塚」といわれ、その塚には、地蔵尊が祭られているという。安寿と厨子王の母の里は、福島市弁天山椿館という。いわき市内郷高坂町には、安寿し厨子王の身代わり地蔵があるという。平政氏は、平将門の孫という。鴨志田義康著から、千年前の話と、読みました。


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