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空想歴史小説 貧乏太閤記 25(決戦 桶狭間)

2022年10月05日 19時27分56秒 | 貧乏太閤記
翌日は織田、今川互いに情報合戦が激しくなってきた
今川義元は沓掛城まで前進して一泊する
今川方には織田方の砦の人数などが正しく知らされてきた、それによれば善照寺に1000数百いる以外は300~400の人数しかいないこと
19日の朝には織田信長が善照寺砦に数百を引き連れて入るという、超極秘情報も入ってきた
さらに熱田神宮には守護斯波義銀が手勢を引き連れてやってくるという、今川の情報網の凄さである
ところが、この情報源はなんと織田方の蜂須賀党が放っているのだった、これこそ信長の作戦であった。
これを聞いた義元は「愚かな! いよいよ万策尽きて神頼みの一戦を決意したようだな、信長は打ち取り、義銀は捕えて尾張守護を禅譲させようぞ」

信長の方にも今川軍の進路が逐一知らされてくる
信長にとっての関心事は進軍路これに尽きる、義元が桶狭間に来るかどうかが勝敗を決するのであるから
信長は今夜のうちに敵が御座所を築いた周囲に100の伏兵を忍ばせる、待ち伏せである
特に選抜した武士たちと、こうした野戦の忍びの戦いに強い蜂須賀党、梁田正綱の一党もおよそ50人が別に加わっている。
信長にとって困るのは義元が沓掛城から出ない場合と、熱田、清州への近道である鎌倉街道を選び、桶狭間を通らない場合である。

「御屋形様、義元公が鎌倉街道を選んだならなんとしましょうや」重臣が聞いた
「案ずるな、義元は鎌倉街道は通らぬ、というより通れぬのだ、足が短すぎて馬に乗れぬというのは冗談であろうが
奴は権威を見せて儂の戦意をそぐつもりなのか、将軍から許された塗り輿しに乗って悠長に行列を進めているとのことだ
笑止千万なり、このわしに飾りの権威など通用するものか、今は寂れたあの狭い悪路の鎌倉街道などお公家様模様で通ることなどできぬ
100に100、義元は南の東浦街道を下るであろうよ、たいそうな輿ではそこしか通れぬ、問題はそこからよ、桶狭間に入らずに大高城へ直行するかもしれぬ、そうなれば万事休す、われらは清州に籠城するしかあるまい」

若いころから三河まで馬を乗り回していた信長にはこのあたりの小山も街道も庭のごとしである、10名ほどで担いで歩く特殊な輿は悪路や山道は無理なのだ
あとは自分の計画通りの戦術が100%できるかそれにかかっている、できることなら伏兵を隠すための霧か雨が降ればありがたい。
信長は熱田神宮に19日の深夜、兵500を率いてやってきた
しばし、ここを本陣として動かない、本隊はすべて騎馬である、藤吉郎もすでに人並みに騎馬を操る武者になっていた。
隊列を整え信長が先頭となって拝礼した
暗闇の木々の間の道から騎馬武者が一人、長槍をもって現れた
閉門謹慎中の前田利家だった
「御屋形様、此度の戦にぜひ拙者も加えていただきたい、敵を道連れに死んでお詫びいたしまする」
「犬千代か! 話は戦のあとじゃ、死ぬか生きるかは儂が決める、勝手に死んでは許さぬぞ、ついてまいれ」

「早朝に、われらは善照寺に移動する、犬千代はそこで兵100にて旗本先鋒とせよ、
木下は儂のもとに蜂須賀のうち伝騎(馬上の伝令)として使えるもの10名と共に控えよ
義元は今、われらの動きを必死に探っているはずじゃ、われらの5倍の敵に正面から当たっては大敗は必定、
まずは偽情報で敵をかく乱して、大軍を細かに分断して義元の本陣の兵が減ったところで儂が自ら突っ込んで一気に勝負をつけるぞ
我らを小国と侮って、大軍で攻め寄せてきたが、われらは地の利を生かし知恵を働かせて目にものを言わせてくれる、一人たりとも生きて返すな」
信長の戦闘モードが一気に加速してきた

信長のもとに正規の伝令が次々と駆け付けてくる
「岡崎勢(松平元康)は闇に紛れ1000にて大高城に荷駄と共に入城の様子」
第一報はこれであった
「よし、大高と岡崎勢は捨て置け、われらは義元の本陣にすべてを賭ける」信長が言った
夜が明けてきた
「われらも善照寺に合流する、急いで駆けよ」熱田の信長本隊は斯波義銀を清州に戻した後、動き出した。
「守護様を清州に送ったら護衛の兵は善照寺に急行せよ!」
信長は馬に鞭を入れた。






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