おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(9月29日)は、大阪で某社の研修を行っていました。
今日は2日目です。
私としては新ジャンルの研修で張り合いがあります。
さて、昨日、株式会社 金子書房 編集部 心理検査開発センター 編集ディレクターの天満 綾さんからメールで『勇気づけの心理学 増補・改訂版』重版(1,000部増刷、9刷)のご連絡が入りました。
これで、心理学の専門出版社からの出版にかかわらず2万部に到達します。
とてもうれしいです。
ところで、「ユングからアドラーが見えてくる」シリーズの第5回目です。
今までの4回は次のとおりです。
1回目 9月17日
2回目 9月18日
3回目 9月24日
4回目 9月27日
今回は、ユングがフロイトから決別後どうなったかに触れ、アドラーのそれと比較します。
まずは、『フロイト ― 視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版、7,143円+税)
19歳年長のフロイトから「愛する息子」「皇太子」と呼ばれ、1910年に国際精神分析学会の会長に抜擢されていたユングは、1912年11月にミュンヘンにあるパークホテルで会い、和解を試みました。
しかし、ある種の和解が成立してもフロイト側の怒りが収まらず、ユングを異常で病気だと決めつけ、国際精神分析学会の会長を追放し、機関誌の編集長を解任しました。
今度は、ユング側から書かれた本、『ユングの生涯』 (河合隼雄、第三文明社 レグルス文庫)に頼ることにしましょう。
フロイトの陣営から強烈な攻撃にさらされ、一緒に研究してきた友人の多くを失ったユングは、『自伝』の中で「フロイトと道を共にしなくなってから、しばらくの間、私は内的な不確実感に襲われた。それは方向喪失の状態と呼んでも、誇張とは言えないものであった」と述べています。
彼は、不可解で強烈な幻像や夢に襲われ続け、「科学的な本はさっぱり読めなくなってしまう」ような状態に落ち込み、ブロイラー教授の一番弟子であったチューリッヒ大学の講師の座を投げ出して、やがて神話の研究に情熱を燃やすようになります。
このことがやがて、分析心理学に道を開くことになるのです。
一方のアドラーです。
『アドラーの生涯』(エドワード・ホフマン著、岸見一郎訳、金子書房、7,400円+税)によれば、1911年の秋にウィーン精神分析学会から決定的に離別したアドラーは、フロイトから完全に独立したことで解放感と高揚感を味わい、その後の数か月の間に自由精神分析学会の旗揚げについて精力的に活動を始めました。
その間に神経科医、精神科医としての仕事も忙しくなって、理論面でも装いを新たにし、その後大いに羽ばたくことになり、病むこととは全く無縁の生活をしていました。
このように、フロイトとの離別という共通の体験をしながらもユングとアドラーは、その影響がまったく違うのは面白いところです。
<お目休めコーナー> 9月の花(28)

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