アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

この「著者になる方法」のシリーズでは、特にこれから本を出したいと思っている人に

「あなたも本を出せるのですよ。だって、この私でも本を出しをているのですから」

という立場から

1.私自身が本を出すようになった経緯

2.本を出すためのとっておきの出版社情報

3.著者としてそこそこの文章が書ける秘訣

の3点をお伝えしています。

1.の「私自身が本を出すようになった経緯」が予想外に分量を占めてしまったことをお詫びします。

さて、今回は、

2.本を出すためのとっておきの出版社情報

3.著者としてそこそこの文章が書ける秘訣

の2つのポイントです。

簡潔に書きます。


2.本を出すためのとっておきの出版社情報

もしあなたが本を出したいとお考えの時、支えになってくれる、ヒューマン・ギルドの会員のお2人をご紹介します。

(1)有限会社 井田総合研究所 http://www.ida-soken.co.jp/ 
代表取締役 井田真一さん

メール:ida-soken@sc.dcns.ne.jp 

電話番号:04-7183-2217、 FAX:04-7183-2217

井田さんは、私のサラリーマン時代からの30年来の友人で、株式会社文芸社の専務取締役兼営業本部長として新しい出版の事業モデルの開発と実務に携わった方でもあります。 

プロデューサーとして役に立ってくれます。

(2)株式会社 三恵社 http://www.sankeisha.com/index.html 
東京営業所 所長 木全(きまた)俊輔さん

メール:s-kimata@sankeisha.com

電話番号:03-6657-0970  FAX 03-6657-0971

木全さんの三恵社は、少部数発行、教科書・論文集、自費出版の会社で、完全データの原稿をもとに本にするならば(つまり編集機能を省くならば)、オンデマンド印刷により、最低価格約30万円という超破格値で本を発行してくれ、アマゾンなどのネット販売もしてくれます。

こうなると「私も本を出せる」という気持ちになりませんか?

両者とも「ヒューマン・ギルドの会員」だと名乗ると、いろいろ便宜を図ってくれるはずです。

一度、相談してみるといいと思います。


3.著者としてそこそこの文章が書ける秘訣

こちらが問題です。文章を書けなければ、本を出せません。

ただ、考えてみれば、多くの人がブログを書いています。どこかに書いた文章もあるはずです。
自分なりに推敲を重ねて編集すればいいのです。そうしてから、原稿を誰か数人に読んでもらい、ご意見をいただくのです。

「そもそも書けないで困っている」という方には、次の本がお勧めです。

原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)
齋藤 孝
大和書房

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原稿用紙10枚を書くことがスタート。それを膨らませれば本になります。

あなたが本を出すことで

あなたの足跡が残ります。

自己肯定感が高まります。

他者(読者)の役にも立ちます。

そして、

何よりも自己PRに役立ちます。


かなり時間をかけてこのブログを書きました。あなたのお役に立てるならば幸いです。


<お目休めコーナー> 桜便り⑥神田川沿いの桜

 



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ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

通勤途上、中野区の龍興禅寺の前を通りかかったら、枝垂(しだれ)桜が7部咲きでした。

さて、特にこれから本を出したいと思っている人に「あなたも本を出せるのですよ。だって、この私でも本を出しているのですから」という立場から

1.私自身が本を出すようになった経緯

2.本を出すためのとっておきの出版社情報

3.著者としてそこそこの文章が書ける秘訣

の3点についてお伝えするシリーズの第2回目です。

本来ならば、2回で終わるよう記事を書いていたら、分量がオーバーしてしまいましたので、今回を第2回目、明日の朝に第3回目をアップします。


第1回目では、「私自身が本を出すようになった経緯」に関して経営関係に重点が置かれていたような印象を与えましたが、決してそうではありません。

心理・教育のジャンルに関しても論文(エッセイ)、分担執筆があることもお伝えしておかなければなりません。

この分野では、一番古くは、社団法人 日本産業カウンセラー協会が1987年7月に発行した会報「産業カウンセリング」No.63に『やぶにらみカウンセリング論―現代アドラー心理学の立場から』というタイトルで、「こんなカウンセラーは店じまいせよ!」という1項を含んだ過激な論文を書いています。

1993年ー94年にかけては、宗教法人 解脱会発行の季刊誌“Sun-Sun”に「岩井俊憲のにこニコナイス講座」を8回連載しました。人間関係をテーマにしています。

以下は、論文のいくつか

(1)明治図書から・・・・1997年11月『生活科授業を楽しく』に「アドラー心理学の“勇気づけ”と“ほめる”・“叱る”の問題」

(2)学事出版から・・・・1997年1月号 月刊『高校教育』に「『勇気づけ』の教育」

雑誌への掲載論文がさらには連載、分担執筆、単独執筆に発展しています。

明治図書の雑誌へ論文が高橋史朗氏(明星大学教授)編著の『癒しの教育相談理論』(1997年8月発刊、高橋氏のほかに木村駿氏、相馬誠一氏と分担執筆)執筆のご縁につながりました。

この本は、明星大学心理教育学部の教科書にもなりました。

学事出版の月刊『高校教育』の論文は、これがご縁で同じ月刊『高校教育』に1997年4月号から1999年3月号まで2年間(24回)「人を動かす心理学」というタイトルの連載になり、やがて1999年6月『子ども・生徒・学生をうま~く動かす心理学』という本として単行本になりました。


分担執筆の機会は、諸富祥彦先生(明治大学教授、ヒューマン・ギルド会員)から8冊ほどいただいております。
そのうちの5冊ほどを発刊年月不同で紹介しておきます。

学級再生のコツ―カウンセリング・テクニックで上手な学級づくり
諸富 祥彦
学習研究社

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「宮台真司」をぶっとばせ!―“終わらない日常”批判
諸富 祥彦,トランスパーソナルな仲間たち
コスモスライブラリー

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カウンセリングプロセスハンドブック

金子書房

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子どものやる気を引き出すできる教師の言葉の魔法 (心を動かす言葉の法則)

教育開発研究所

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教師のやる気を引き出すできる校長・教頭の言葉の魔法 (心を動かす言葉の法則 (No.1))
諸富 祥彦
教育開発研究所

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そして、決定版が金子書房から2002年9月に出版され、累計販売部数10,000部を超えた『勇気づけの心理学』です。

勇気づけの心理学
岩井 俊憲
金子書房

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この本もヒューマン・ギルドの長い間の会員の渡邊一久さん(金子書房 金子心理研究所 副所長)のお力添えの賜です。

こう書いてみると、私がいかに人に恵まれているか、改めて感謝の念を持って回顧できます。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

ヒューマン・ギルドの会員の方には、実際に著書を出している人、出版社にいて編集の仕事をしている人、著作のプロデュースをしている人など、そして、これから本を出したい人など多彩な人材がいます。

そこで、このブログでは、特にこれから本を出したいと思っている人に

「あなたも本を出せるのですよ。だって、この私でも本を出しているのですから」

という立場から

1.私自身が本を出すようになった経緯

2.本を出すためのとっておきの出版社情報

3.著者としてそこそこの文章が書ける秘訣

の3点を、2回に分けてお伝えします。


1.私自身が本を出すようになった経緯

私は、細かく数えていませんが、今までに単独著書、翻訳、監訳、共著、分担執筆を含めると30冊近くの著書(論文を除く)を出しています。

本を出すことは、学びのアウトプットだけでなく、学びのインプットを効率的にしてくれます。

それはさておき、本を出すことでやはり自分の足跡が残ることで、自己肯定感が高まります。他者(読者)の役にも立ちます。そして、何よりも自己PRに役立ちます。

私が本を書くきっかけになったのは、雑誌に投稿した1つの論文からでした。

1988年に同友館から発行していた『企業診断』(1月号)の「組織における人間革新 ― 現代アドラー心理学の立場から」です。

これは社団法人 中小企業診断協会主催の大会で発表し、社団法人 中小企業診断協会会長賞を受賞した論文がベースになっています。


この論文が同友館の千田編集長に認められて、同じ『企業診断』4月号に「企業イノベーターをいかに育成するか」を書きました。


同じ1988年には、研修の講師としてお世話になっていたIEC(当時産業教育センター)から『提案型営業』の基本コース、中堅実践コース&マネジャー実践コースの3つの通信教育テキストの分担執筆をしています。

1991年後半から、1人のライターがヒューマン・ギルドの講座を受けにきました。

石原加受子さんというライター(現在まで著書豊富)で、ベーシック・コースからSMILE、カウンセラー養成講座を受けてくれました。

彼女は、私の講義内容を面白がり、

「岩井さん、青春出版社から本を出しましょうよ。私が紹介します」

と言ってくれて、話を同社の長沢副編集長に繋いでくれました。

青春出版社は、どういうご縁か忘れましたが、“Big Tomorrow”という雑誌から私が1980年代後半に誕生順位に関する取材を受けていて、その内容が掲載されていたためトントンと話が進んで、1992年9月同社から『人を動かす人に29の切り札』が出ました。

今ではとても考えられないことですが、いきなり30,000部発行。自分でもビックリでした。

私は、どうせ出すなら同じタイミングでもう1冊出そう、との野心を持ち、同じ時期にヒューマン・ギルドのニュースレターやさまざまな依頼原稿を集めて、ヒューマン・ギルド出版部発行として『勇気づけで生きる』を出しました。

発起人に10人くらい(一部上場会社社長、専門学校理事長も含む)協力していただき出版記念パーティーも行ったため、会場には100人ほどの人が集まりました。

これが1つの山場でした。

1996年には、サングラハ心理教育研究所主催の、奈良興福寺で行われたワークショップでPHP研究所の若林邦秀さん(『心の雨の日の過ごし方』の編集者)とのご縁ができ、若林さんのご依頼で当時ヒューマン・ギルドのスタッフだった坂本州子さんと共著でPHP研究所から『ぼく、お母さんの子どもでよかった』(1997年1月発刊)を出しました。

この本は、ロング・セラーになり、累計29,900部売れました。



1997年7月には、同じPHP研究所から『人はだれに心をひらくのか』を出しました。

この本は、現在の『アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方』(コスモス・ライブラリー)のオリジナル版です。

アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方―人はだれに心をひらくのか
岩井 俊憲
コスモスライブラリー

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かなり長くなってしまいましたので、この辺で私の体験をまとめます。

(1)私が著者になれた出発点は、論文や通信教育のテキストなどを地道に書いていたからです。

(2)人のご縁の大切さを感じます。石原加受子さんや若林邦秀さんなどとのご縁があってこそ私が著書を残せるようになっているのです。

(3)1つの論文が次の論文を、論文の集まりが著書に、著書の執筆が次の執筆に、と発展させることができているように、スモル・ステップを築きながら階上に昇ることが可能になるのです。

<お目休めコーナー> 通勤途上で(桜ではないのですが、何かは不明)

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(3月28日)は、アドラー・カウンセラー養成講座が終わってからの17:30-アドラー心理学リーダー共育塾の運営委員と打ち合わせをしました。


(左から児島史篤さん、鈴木千晶さん、菊地典子さん)

開催に向けてどう展開するかについて話し合いました。

アドラー心理学リーダー共育塾は、ヒューマン・ギルドの設立25周年を記念して、5月1日・2日(土・日)の2日間「飛び出せ!! アドラー心理学―みんなで作ろう活動の場」のテーマで行われます。

詳細は、以下のとおりです。
ヒューマン・ギルドの会員には、郵送会員には、金曜日郵送済み。メール会員には、本日発信。

お知り合いの方にも声をかけてお越しください。

1.スケジュール

5月1日(土)
13:00-13:30 受付
13:30-13:40 開会宣言と各種注意事項の説明(運営委員長:鈴木千晶さん)
13:40-16:20 シンポジウム1「今、学校現場で生かされるアドラー心理学 ― 元校長・現職教頭を囲んで」・・・・・ 滝本かな子さん、杉村秀充さん、倉田泉さん(予定)+鈴木千晶さん(運営委員長)
16:10-16:20 休憩
16:20-17:50 特別講演「声の品格を磨こう」
 ブレスヴォイストレーニング研究所代表 福島 英先生
17:50-18:00 ~シェアリング~
18:30-    懇親会(加留亜にて、3,000円会費)

5月2日(日)
10:00-10:10 導入のワーク
10:10-12:40 シンポジウム2「SMILE・アドラー心理学後の私たち」・・・・・
草柳勝子さん、高橋雅子さん、橋本江利子さん+菊地典子さん(運営委員)
12:40-13:40 昼食・休憩
13:40-16:10 シンポジウム3「心を病んだからこそ」・・・・・ 中村茂さん、原島陽一さん、朝田薫さん+児島史篤さん(運営委員)
16:10-16:20 休憩
16:20-16:50 総括講演 ヒューマン・ギルド代表 岩井俊憲
16:50-17:00 ~シェアリング・解散~

2.参加費:会員 2日間10,000円、5月1日のみ5,000円、5月2日のみ6,000円
     一般 2日間12,000円、5月1日のみ6,000円、5月2日のみ7,000円
  5/1(土)の特別講演「声の品格を磨こう」のみの参加費は、一律3,000円です。

3.会場:ヒューマン・ギルド研修室

4.申し込み:ヒューマン・ギルドへ
  電話:03-3235-6741、FAX:03-3235-6625、E-Mail、info@hgld.co.jp

<お目休めコーナー> 桜便り⑤新宿区落合の桜

 

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

2つの話題を提供します。

1.今日は、今年第1回目のアドラー・カウンセラー養成講座の最終日。

間もなく、受講者たちは、神妙に答案用紙に向かおうとしているところです。

ちょうど8日間の日程を終えて、今日が最後の日で、テストの日なのです。

とても熱心、かつ優秀な人たちで、アドラー心理学ベーシック・コースと「愛と勇気づけの親子関係セミナー(SMILE)」を終えて受講資格を得、1月末から隔週の8日間を学んできていたのです。 

中には、SMILEリーダー養成講座や他の講座を受けていたためほぼ毎週土日にヒューマン・ギルドのお越しの方もいました。

それだけに講師の私としても親近感が強まりました。

昨晩は、めったにないことなのですが、7日目の晩に、しかもヒューマン・ギルドを会場として懇親会を行いました。

お寿司を囲みながら、ビール、日本酒、紹興酒、ワインに加えて韓国のマッコリも加わり、国際色豊かなお酒を味わう集いにもなりました。

なお、次回のカウンセラー養成講座は、次のとおり予定しています。
受講を希望される方は、それまでにアドラー心理学ベーシック・コースとSMILEを修了しておいてくださいね。

日 程:8/28、29(土日)から隔週8日間、10/9、10(土日)まで
受講料:96,000円


2.話は変わりますが、このブログ、ジョセフ・ペルグリーノ博士もカナダで翻訳ソフトを使用してご覧になっています。

1980年代に撮った恩師の1人のハインツ・アンスバッハー博士(2006年6月101歳で没)の写真があるので送ってあげよう、ということで添付ファイルで送ってくれました。

ハインツ・アンスバッハー博士は、ご夫人と共にアドラーの著書・論文を集めて編集し、解説を加えた“Individual Psychology of Alfred Adler”(1956年に出版以来25版を重ねる)で有名。

Individual Psychology of Alfred Adler (Torchbooks)

Harper Perennial

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ハインツ・アンスバッハー博士は、ペルグリーノ博士によれば「生き字引」。心理学・哲学に関することなら、質問すれば何でも答えられた人だったそうです。

そもそもアドラーとの出合いは、ウォール・ストリートの証券マンだった頃。たまたま1930年にアドラーの講演を聴いて感動したのです。それからアドラーのカウンセリングを受けていました。

そのことで発心し、大学(コロンビア大学)に入り直し、心理学を専攻。その後、心理学者としてアドラーの心理学を明確化、体系化した人です。バーモント大学教授を務めていました。

なお、ハインツ・アンスバッハー博士の死亡記事をニューヨーク・タイムズ2006年6月24日版で読むことができます。
易しい英語ですから読んでみてください。


<お目休めコーナー> 桜便り④江戸川橋から見た神田川沿いの桜


 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(3月26日)は午前中、市谷の五番町鍼療院で整体の施術を受け、その後、市谷から飯田橋まで線路沿いの桜並木を歩きました。

桜は3部咲き程度でしょうか?

今年は、途中から遅れてしまっているようです。満開になるのは、来週のようです。

この通り沿いでは、最も咲いているのでも下の写真の程度です。


(後ろは法政大学の建物)

ついでに、こんな写真も撮ってきました。

法政大学の敷地内のあった桜が一番見事。


ところで、この桜の時期に発心したことがあります。

中国語を学ぶことです。

中野区国際交流協会主催で4月12日から始まる「初めての中国語Ⅰ」の講座に応募したら、受講が認められました。

動機は、私の著書『勇気づけの心理学』(金子書房、1,800円+税)が中国で翻訳・出版されることが決まって、出版のタイミングで訪中するからです。

勇気づけの心理学
岩井 俊憲
金子書房

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この道筋をつけてくれたのは、ヒューマン・ギルドでSMILEとアドラー心理学ベーシック・コースを受講された黄 建明さん(北京の高等教育出版社勤務、昨年7月27日付けの「思いがけなく充実した日々」(1)参照)です。

黄さん、本当にありがとうございます。

黄さんは、私の単独著書を何冊か出されるご計画をお持ちで、その第1号になるのが『勇気づけの心理学』です。

こんなことでしっかり中国語を勉強します。

あちらに行ったら、少しぐらいは中国語を話せるようになるかな?

勇気の伝道は、いよいよ中国にまで及ぶ!



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(3月26日)は、東京大学構内(大学院経済学研究科 経営教育研究センター)で研修の打ち合わせをしてきました。

やー広い敷地。さすが国立大学。

地下鉄南北線の東大前で降りて目的地までなんと10分以上。

研修の打ち合わせを5時に終えて福田隆二さん(東大経済学研究科 経営教育研究センター 研究員)のご案内でキャンパス内を歩いてきました。

昨日は、卒業式のためか袴(はかま)姿の人たちも見受けられました。


(安田講堂前で)

これがいちょう並木

三四郎池は、次のとおり。

6時からは、本郷3丁目の鮮魚居酒屋で盛り上がりました。


(左から雨宮利春さん、福田隆二さん、北原悦子さん)

研修講師養成の講座の打ち合わせでした。

この件は、連休明けに詳しくお伝えします。



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アスペルガー症候群 (幻冬舎新書)
岡田尊司著
幻冬舎

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『アスペルガー症候群 』(幻冬舎新書、800円+税)の著者、岡田尊司氏のことは、前著『パーソナリティ障害』『子どもの[心の病」を知る』を読んで、内容面だけでなく文章の表現力の点でも高く評価していました。

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)
岡田 尊司
PHP研究所

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子どもの「心の病」を知る
岡田 尊司
PHP研究所

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著者が第22回横溝正史賞を受賞した小笠原慧であることから「なるほど」とうなづけるところがあります。

さて、この『アスペルガー症候群 』は、そのアスペルガー症候群(アメリカ精神医学会では「アスペルガー障害」)を最初に報告したオーストリアの小児科医、ハンス・アスペルガーが出会った「大人のように話す」少年のフリッツ・Vの話から読者を引きつけます。

フリッツには、片時もじっとしていられずに、絶えず落ち着きなく動き回り、手当たり次第に物をつかみ取っては、引き裂いたり、壊したりしようとし、また、同じ動作を何度も繰り返す癖があったのです。

この本では、

アスペルガー症候群とはそもそもどんなものか?

アスペルガー症候群の症状はどのようなものか?

の問いに明確に答え、さらには、

アスペルガー症候群の診断

アスペルガー症候群が増えている原因

アスペルガー症候群と7つのパーソナリティ・タイプ

について、

さらには、それだけですまさず、

アスペルガー症候群とうまく付き合う方法

アスペルガー症候群を改善する方法

に至るまで、まさにアスペルガー症候群について「かゆいところに手が届く」ほどに書かれた本です。


アスペルガー症候群の仲間たちとしては、次のような知名人が紹介されています。

ダーウィン、キルケゴール、ビル・ゲイツ、ジョージ・ルーカス、アンデルセン、アインシュタインなど


著者は、アスペルガー症候群のデメリットだけでなくメリットもたくさん示し、アスペルガー症候群に関して優しいトーンが目立ちました。

私たちの身近にいるアスペルガー症候群の人たちに微笑を贈りたくなるような本です。

カウンセリングを学ぶ人なら読んでおきたい本としてお勧めします。
周囲にもいるし、カウンセリングでもよくお会いしますよ。


<参考>

参考までに、『DSM-Ⅳ 精神疾患の診断・統計マニュアル』(医学書院、1996)からアスペルガー障害の診断基準を引用しておきます。

A.以下のうち少なくとも2つにより示される対人相互作用の質的な障害:
(1)目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調整する多彩な非言語性行動の使用の著明な障害。

(2) 発達の水準に相応した仲間関係をつくることの失敗。

(3) 楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例:興味のあるものを見せる、もってくる、指さす)を自発的に求めることの欠如。

(4) 対人的または情緒的相互性の欠如。

B.行動、興味および活動の限定的、反復的、常同的な様式で、以下の少なくとも1つによって明らかになる:
(1) 強度または対象において異常なほど、常同的で限定された型の1つまたはいくつかの興味だけに集中すること。

(2) 特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。

(3) 常同的で反復的な衒奇的運動(例えば、手や指をばたばたさせたりねじ曲げる、または複雑な全身の動き)。

(4) 物体の一部に持続的に熱中する。

C.その障害は社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている。

D.臨床的に著しい言語の遅れがない(例えば、2歳までに単語を用い、3歳までに意思伝達的な句を用いる)。

E.認知の発達、年齢に相応した自己管理能力、(対人関係以外の)適応行動、および小児期における環境への好奇心、などについて臨床的に明らかな遅れがない。

F.他の特定の広汎性発達障害または統合失調症の基準をみたさない。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

春の気配が漂い始めています。

一昨日、早稲田正門通りを歩いていたら、桃の花が咲いていました。

会社の隣のマンションの花も開花。

東京では、桜の満開もあと数日のようです。

さて、昨日(3月23日)は、カミさんと一緒に中野ゼロホールで行われた西本智実の指揮する東京交響楽団の演奏会に行ってきました。

この会場は、我が家から徒歩13分くらいの場所なので、とても便利です。年に3-4回、ここにコンサートに出かけます。

私たちは、西本智実を追いかけてこれで3度目になります。

第1回目 2009年9月22日 「西本智実のベートーヴェン『交響曲第7番』」

第2回目 2009年12月22日 「西本智実を追いかけて」



第3回目の今回の演奏曲目は、次のとおりでした。

1.スメタナ 交響詩「モルダウ」

2.シューマン ピアノ協奏曲(ピアノ:實川 風)

3.ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

4.アンコールにドヴォルザークのスラブ舞曲集より第10番


私たちは、この日のためにオペラ・グラスを手に入れていました。

「モルダウ」の最後にアンサンブルが整わず、拍手に対して深いお辞儀をしたにもかかわらず、すぐ右上に視線を向け、「失敗したなー」とでも言うような表情をオペラ・グラスを通じて私は見逃しませんでした。

会場には、ペルグリーノ博士のワークショップの通訳を務める埴原由美さんも来ていました。

埴原さんは、冴木杏奈(アルゼンチン・タンゴ歌手)の熱狂的な追っかけで有名ですが、私たち夫婦と同じく西本智実の追っかけにもなりました。


私は、これから約半月の間に、コンサートにあと2つ行きます。

1つは、4月2日(金)の夜、四谷の紀尾井ホールで行われるモーツァルトのピアノ協奏曲第26番(戴冠式)とマーラーの交響曲第4番(大いなる喜びへの賛歌)など(高岡健 指揮、田部京子 ピアノ、天羽明惠 ソプラノ、紀尾井シンフォニエッタ東京)と

もう1つは、4月10日(土)15:00からティアラこうとうで行われる黛敏郎の「弦楽のためのエッセイ」、モーツァルトの交響曲第35番(ハフナー)と同じく「レクイエム」です。

こちらは、飯森泰次郎指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団です。

さあ、心を癒す充電の4月だー!



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

3月20日(土)、21日(日)、22日(月)の3日間、ヒューマン・ギルドで行われていた「愛と勇気づけの親子関係セミナー(SMILE)」のリーダー養成講座が修了しました。

参加者は、青森、宮城、新潟、群馬、東京、神奈川と多彩な8名で、男女各4名とバランスもよく、2日目の晩の懇親会(全員参加)も含めると、昼も夜も時間を共にしたため一体感が盛り上がりました。

参加者は、実際に2回リーダー体験をしました。

特に1回目は、困難な状況が設定されたところでリーダーをやりますので、深い学びにつながります。

2回目は、全員1回目よりも確実な進歩を遂げていることが確認できました。

ロールプレイなどを実際にガイドしたり、質問に答えたり、誘導空想などを展開することで、実際にリーダーとして活躍するための資質が徹底的に磨かれます。

講師としては、自分がやることがほとんどないのですが、いつもの講座よりもどっと疲れた3日間でした。

昨日のお昼休みは少々長くとり、5人の人たちは神楽坂方面に、私を含む4人は神田川沿いまで出向き、桜の開花を確認してきました。


◎次回のSMILEリーダー養成講座は、ヒューマン・ギルドでは次のとおり行います。

日程:9月18日(土)、19日(日)、21日(月、祝)

受講料:会員65,000円、一般70,000円(リーダー・マニュアルおよび税込み)

<お目休めコーナー> 桜便り③ー神田川沿いの桜開花

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「怨念」をキーワードにして、長州藩の長期戦略を組織の運営と関連づけて謎解きをするシリーズの第5回目です。

まずは、萩の地図をご覧ください。

左上が指月城の跡地です。この上が日本海です。

「萩市」と書かれた文字の萩の上に「明倫館跡」があります。
ちなみに、右側には、松下村塾があります。

明倫館というのは、長州藩の藩校です。藩校が市の中心にあるのは、それだけ長州藩が教育に力を入れていた証です。

何事も「そうせい」と合点し、「そうせい候」とあだ名がつけられていた歴代の藩主たちには、後世から見ると、1つの大きな資質があったのです。

人材好き

であったことです。

村田清風を家老に抜擢したのもそうですし、中嶋治平を長崎に遊学させ、西洋の科学を学ばせたのもそうですし、幕末期に吉田松陰たちにさまざまな機会を与えたのも、家老たちの献策に対して「そうせい」と応えたからでしょう。

前回述べた村田清風による改革が長州藩の教育レベルをさらに高めました。

村田清風は教育普及においても力を注ぎ、庶民層に対しても教育を薦め、1849年(嘉永2年)には明倫館の拡大も行っています。
つまり、公教育の裾野を広げたのです。


長州藩の公教育の裾野を広げたのが村田清風だとしたら、長州藩で幕末期に私教育を充実させたのが吉田松陰です。

なお、松陰のことは、以前の2つの記事をご参照ください。

2009年02月03日 吉田松陰の里を走る(1)

2009年02月14日 吉田松陰の里を走る(2)


話を第1回目に戻して、司馬 遼太郎が対談集『歴史を考える』で語ったことを再度確認しましょう。

この間まで百石の者が2石ほどになってしまうし、30石だった者は無禄でしょう。だから、どこか山野を開墾して、何とか食っていかなきゃならない。そういう家族あげての生活の痛みが恨みになっていくわけですけれども(以下略)。


また同じく司馬 遼太郎の『歴史を紀行する』を引用すると、

上級武士でも10石や15石という者がふんだんに出来、それらは士籍を持ちつつ山野を耕して自給した。農民になってしまった者も数知れずいる。

はるかな後世、高杉晋作が討幕戦のために藩に過激政権をつくろうとしクーデター戦を起こしたとき、吉敷郡から農民1,200人が現れて高杉の陣営に投じた。

彼らは、徳川以前には毛利家家臣であったと称する者どもであり、徳川によって一家は窮境に落ちた、という家系伝説を持つ者たちであった。


高杉晋作が率いる騎兵隊に加わった人たちは、藩主藩の幹部と同様「怨み」をもとにし、その意識レベルが極めて高かったのです。

5回の連載分をまとめます。

長州藩は、関ヶ原以降の徳川幕府への「怨念」をもとに財務戦略、情報戦略、マーケティング戦略、人材育成戦略の長期戦略を融合し、藩という組織のエネルギーを高め、日本の近代化に大いに影響力を発揮したのです。

5回にわたりおつき合い、ありがとうございました。
何かの参考になれば幸せです。


<お目休めコーナー> 桜便り②―中野区の小学校で



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「怨念」をキーワードにして、長州藩の長期戦略を組織の運営と関連づけて謎解きをするシリーズの第4回目です。

前回は、長州藩の財務戦略と情報戦略を扱いました。

今回は、マーケティング戦略と人材育成戦略の予定でしたが、マーケティング戦略だけにします。これに村田清風による改革を加えます。

石高を1/4に減らされた長州藩が、幕末期には、破産状態で発足した36万9千石を300年足らずの間に実質100万石近くの石高(厳密には99万8千石)にさせた謎は、何だったのでしょうか?

『歴史を紀行する』で司馬遼太郎は、次のように書いています。

長州藩は、米穀中心の幕藩経済が行き詰まりきった天保のころから藩経済の主軸を大きく産業に向かってねじまげた。

産業といっても当初は」農業生産品が主だが、それでも、「長州の三白」といわれた蝋・塩・紙(いずれも専売品)の利益は大きく、長州藩の実力はこれによって大きく飛躍したといえる。

その現金収入よりも大きな利益は、長州武士をして「商品経済」の味を覚えさせたことであろう。

長州藩は、米穀に頼っている東日本の諸藩をしりめに産業国家を目指すとともに、流通に目覚め。長州の商港である下関を内国貿易の中心地たらしめようとし、多分に成功した。


ところで、今まで述べたような戦略は、誰によって立案・遂行されたのでしょうか? 英明な藩主でしょうか?

どうもそうではないらしいようです。

藩主には独特のニックネームがありました。

そうせい候

です。

人材好きにの割りにさほど定見を持たず、何事も「そうせい」と合点し、このあだ名がつけられていたのです。

家老たちがそんな藩主たちを支えたようです。

その代表例として、家老の村田清風(1783 - 1855)による改革をあげておきます。

1838年(天保9年)、藩政の実権を掌握した村田清風は、藩主・毛利敬親のもとで天保の改革に取り組みました。

敬親は政治的に暗愚で、先祖の毛利輝元同様「そうせい侯」と呼ばれていました。村田清風は、そんな藩主を支えて、思い切って藩政改革に手腕を振るうことができたのです。

慢性的な財政難だった長州藩は、天保の時代に村田清風が、藩政全般の大改革を実行することによって、36万9千石が100万石近くになるまで成長したのです。

村田清風がどんな改革をしたか、その内容は、司馬遼太郎が『歴史を紀行する』で上のように書いているとおりです。


前回、今回で言えることは、長州藩は、関ヶ原の合戦後、怨念を蓄えつつも19世紀半ばまで慢性的な財政難を抱えていました。

それが一気に経済力、技術力を高めたのは、社長に相当する藩主の力によってではなく、村田清風という、会社でいえば副社長のような家老が進める藩の改革によって実現したのです。

長州藩のこの力が幕末期に日本の大改革につながってくるのです。

次回は、人材育成戦略です。お楽しみに。


<お目休めコーナー> 正見寺(中野区)の親鸞聖人像



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「怨念」をキーワードにして、長州藩の長期戦略を組織の運営と関連づけて謎解きをするシリーズの第3回目です。

石高を1/4に減らされた長州藩は、幕末期には、破産状態で発足した36万9千石を300年足らずの間に実質100万石近くの石高(厳密には99万8千石)にします。この間の努力は、並大抵のものではなかったでしょう。

財務戦略としては、徹底的なケチケチで行き、華美を極端に廃し、接待の場をお城ではなく、毛利家御用達の御用商人菊屋家屋敷で行います。


(菊屋家屋敷)


(菊屋家の庭)

ふつう、大きな藩の城下町には、土産物屋がつきものです。ところが、萩には殿様に献上するような、これといった土産がありません。

財務戦略に続く第2の戦略は、情報戦略です。

交通の要衝地の瀬戸内海側ではなく、日本海側に追いやられた長州藩は、中央から情報が入らないため、奇想天外の発想をします。

長崎に着目し、その地で外国人、遊女などから国内情報・国際情報ともにしっかりと入手していたのです。

山口県広報広聴課発行の「元気になるメールマガジン!! 山口きらめーる」 2007年1月26日Vol.110 の「萩のガラス」の第2回目「科学者・中嶋治平」には、次の記述があります。

19世紀半ばになりますが、こんなレベルにまで先端的な情報リテラシーを確立していたのか驚かされます。

萩にガラス製造技術をもたらした中嶋治平(なかしま じへい、1823―1866年)は、西洋科学を熱心に研究した多才な科学者でした。

幕末期、治平は、アメリカやヨーロッパの軍艦が開国を求めて来航すると、英語やオランダ語を習得する必要性を痛感します。

1856(安政3)年に、藩に願い出て3年間ほど長崎に遊学した治平は、語学だけでなく、オランダの軍医ポンペなどに師事して化学を究め、パンの製造、活版印刷、そしてガラス製造など、さまざまな知識を習得しました。

1860(万延元)年、2度目に長崎を訪れたとき、治平は当時の最新技術であった蒸気機械を購入します。そして、これを切子ガラス製造に用い、人力を省きより繊細な模様を彫り込みました。

また、このとき一緒に購入したものに小型模型蒸気機関車があり、同年、藩主に献上し、翌年萩城内の馬場で走らせたという記録が残っています。

次回は、マーケティング戦略と人材育成戦略をテーマにします。


<お目休めコーナー> 木蓮


 



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ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

H.オーグラー著『アドラー心理学入門』シリーズの第25回目。最終回です。
テーマは「結語」、副題が「アドラーとその仕事の後代に対する意義」です。

たった6ページなので、私のコメントも加えながら進めて行きましょう。


H.オーグラーは、冒頭次のように書き出しています。

すべての偉人たちと同じく、アドラーは、時世よりもずっと先んじていたから、後代の人間にして初めて彼を適切に評価できるのだろう。

しかし、ウィーンの個人心理学学校、診療所、相談所、少年院、および医師の診察室における実際的な成果と、犯罪の予防での成功とは、今日にとっての、いや、さらに将来にとってのアドラーの教説の巨大な価値を明らかに示している。

個人心理学は、問題児、神経症者、犯罪者その他の治療に素晴らしい成績をあげているのである。


時世よりもずっと先んじていたアドラーの心理学(個人心理学)は、問題児、神経症者、犯罪者その他の治療に素晴らしい成績をあげているだけではありません。より適応した人びと、他者を援助する人にも有益な理論と実践法を提供しています。

個人心理学は、その科学的な経験と知識に支えられて、人生に失敗した人々に新しい目標とそれを達成する新しい方法を示すのみならず、よく適応した人びとにも自分自身および他の人びとを理解するすべを教えるのである。

個人心理学のユニークな点は、人間性の知識を教えられるようにしたことにあり、この出発点から、個人心理学は、幸福な人生を送るための実際的な助言を展開したのである。

アドラーの教説は、悲観主義、憎しみ、羨望、卑劣、敵意などのような破壊的傾向をどうやって防ぐか、劣等コンプレックスの発達をどうやって避けるか、また、楽観主義の成長、他人に対する理解、協力、勇気、および人間らしさをどうやって助長するか、(その手段)を我々に示している。


ところで、アドラーが自分の心理学を「個人心理学」としたことについては、「個人だけの心理学」のように受け止められがちですが、次の記述でその誤解を解いておきましょう。

個人心理学は、個人を決して大衆から孤立したものとしては見ない ― なぜならば、完全に孤立した個人を想像することは不可能だから ― で、いつも世界と関連させて考察する。個人心理学は、この関連での個人の意義を強調する。


個人心理学は、英語では Individual Psychology と言われますが、Individualには、「分割不可能な」という意味合いがあります。しかし、「個人」という日本語では、そのニュアンスが消えてしまいます。


H.オーグラーは最後に「私は、邪悪な人間に悪い未来を予言する大きな声を聞かなければならなかった人間が、アドラーの柔らかな、おだやかで、親切な声に思い切って耳を貸すことを望みたい」として、まるでアドラー自身が側にいるかのように、アドラーの教えを次の言葉で結びます。

人間は、生まれつき悪者ではない。彼/彼女の過ちが何であったとしても、過ちは誤った人生観によるのであるから、そのためにふさぎこんではならない。人間は変わることができる。過去は今は死んでいる。将来自分が幸福になることも、他人に幸福をもたらすことも、人間には思いのままである

アドラーは「早すぎた預言者」とか「勇気と希望の使途」とか言われることがあります。

彼の教えは、今でも新鮮さを失うことがありません。

私も他の流派の講座に出ると「何これ、アドラーじゃないの」ということがしばしばでした。
交流分析も、認知行動療法も、ブリーフ・セラピーも、NLPなどもみんなそんな香りがしました。と同時に、「底が浅いな」とも感じています。

精神医学史学者のアンリ・エレンベルガーが『無意識の発見 下』(弘文社)で怒りを込めて述べたように、アドラーの心理学は「共同採石場」(誰もが断りなく平気で掘り出してしまう石狩場のこと)のようなもので、他派がアドラーの原著を引用したことに触れずに取り込んでいることがあります。


ところで、アドラーは、自分の理論と技法を集大成することなくこの世を去ったのですが、その後、彼の後を受けて理論家、システム化したのがルドルフ・ドライカースです。

ちなみに、彼の生涯については、ヒューマン・ギルドのニュースレターの『不完全である勇気』で連載中です(3-4月号は、ドライカースの弟子のH.モサックのことについて)。

アドラーの1930年以降に書かれた本(実は、講演や講座をもとに編纂した本)は、何を読んでもさほど代わり映えしませんが、アドラーの本を最小限に読んでおけば、という前提で申し上げると、次の4冊がお勧めです。

『人間知の心理学』(アルテ)

人間知の心理学―アドラー・セレクション
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『性格の心理学』(アルテ)

性格の心理学―アドラー・セレクション
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『生きる意味を求めて』(アルテ)

生きる意味を求めて―アドラー・セレクション
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アルテ

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『人生の意味の心理学』(アルテから今春か今夏2分冊で刊行を予定)

ただし、アドラーの本を読んだからといって、アドラー心理学の大部分がわかるわけではありません。

ある方が、ヒューマン・ギルドの講座を受けてこう言いました。

「アドラーおよびアドラー心理学の本をかなり読みこなしましたが、それは知識レベルのことでしかありませんでした。アドラー心理学ベーシック・コースとSMILEを受けて初めて、アドラー心理学の深さが腑に落ち、実践できる勇気と知恵が湧いてきました」


このシリーズの最後に、今後のアドラー心理学に関する学びについて触れます。

1.どうかこの「アドラーを読む」のカテゴリーを読みこなし、アドラー自身の本を数冊読んでください。

2.次に、講座をしっかり受けてください。畳上の水練では、いつまでたっても上達しません。

理論編 アドラー心理学ベーシック・コース

技法編 愛と勇気づけの親子関係セミナー(SMILE)

このブログを読まれた方と実際にヒューマン・ギルドでお目にかかれるのを楽しみにしております。


◎このシリーズの完結にタイミングを合わせて、ヒューマン・ギルドのホームページのTopics欄に「アドラーが遺したもの」(私が『春秋』1988年5月号 №298 に書いたものに少し手を加えた文章をアップしています。

アドラーに心理学に対する理解がより深まりますよ。
ご参照ください。


<お目休めコーナー> 道端の水仙


 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨晩(3月17日)は、カミさんとともに池袋で行われた渡部昇一氏(上智大学名誉教授)の公開講演会に行ってきました。

タイトル:「かくて皇統に憂いなし」

場所:豊島区立豊島公会堂(みらい座いけぶくろ)


内容は、ごく簡単に3つのポイントで書くと次のとおりです。

1.皇室は、いわば日本人の総本家

2.日本の天皇は、一貫して「男系」。女性天皇も歴史上存在するが、男系の女性天皇。男系は、たとえてみればタネ、女系は畑。タネである男系によって皇統が保たれている。

3.日本の皇室と神社が揺るがない限り、日本は世界7大文明(ハンチントンによる)の1つとして国家単位で存在し続けられる。


内容もさて置き、私は、今年80歳になろうとする渡部氏の頭脳の冴え(知的な側面)に感嘆しました。

講演は、原稿を持たずに直立姿勢で1時間半。

その後の質疑応答にも明快に答えていました。


私が初めて渡部氏の本を読んだのは、下の『知的生活の方法』(講談社現代新書)。初版が出た1976年のことでした。

知的生活の方法 (講談社現代新書)
渡部 昇一
講談社

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以来、渡部氏の本は、10数冊は読んでいるでしょうか。

私は、渡部氏を「現代日本の代表的知性」だと思っています。

『知的生活の方法』からもう一度彼の本を読み直してみたい。



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