おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
6月16日(木)の午後は、損保ジャパンひまわり生命の優績者21名を対象に「勇気づけのリーダーシップ」の講演(実際は研修)を行ってきました。
新宿の損保ジャパンのビルの43階からは、東京タワーと東京スカイツリーの両方が見えました。
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さて、6月13日のブログ 「ビジネス人生 VSOP説」 とも関連のある話です。
私は子どもの頃、中小企業の経営者の家に生まれ育ち、多くの社長たちを見てきました。
サラリーマンの時期も外資系企業の合弁会社の総合企画室課長(一種の秘書課長でもあるような存在、2年間人事課長も兼務)を6年半していたため、身近に経営者(社外取締役を含む)を見てきたこともあって、人間の器(特に男性)を見る力が養われていました。
それに加えて、私は、1980年代に伊藤肇という、安岡正篤(やすおかまさひろ)の弟子でもあった財界評論家の本をたくさん読んで、人間観を育てました。
伊藤肇の本では、『現代の帝王学』(プレジデント社)と『人間学』(PHP文庫)は、人間の器を見るのに大きく役立ちました。
ところで、『人間学』にこんな一節があります。
知識だけを身につけたというのでは、単なるものしりにすぎない。そんなものは人生を問題にしている間はカッコいいが、人生が問題となった時には全く役にたたない。
この知識も一歩進むと、事に当たって「この問題はこう処置しよう」とか「かくあらねばならぬ」と原理原則を持つようになる。それが見識である。
ところが、見識だけでは未だしである。一つの事をやろうとすると、どうしても反対が出る。いや見識が高ければ高いほど、低俗な輩(やから)が反対する。
それらの反対、妨害を断乎(だんこ)として排除し、実行するのが胆識である。せっかく、知識や見識を持っていても胆識がないと優柔不断に陥ってしまう。
同じ本の別のところでは、伊藤肇は胆識を次のように表現しています。
・胆識とは「決断力や実行力を持った知識や見識」のことである。
さて、あなたは、あるいは身の回りの人は、知識、見識、胆識のどのレベルの人でしょうか?
日本の総理大臣を見ても、胆識の人は、かなり昔にさかのぼらないと見出せなくなって久しい。
<お目休めコーナー> あじさい⑥
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