アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



人を動かす 新装版
デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博
創元社

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

人間だけでなくモノや植物や動物を含めた勇気づけに関連する話としての「大切にするこころ」の3回目は、鉄鋼王と言われたアンドルー・カーネギーにまつわる、名前を大事にする話です(出典はデール・カーネギーの『人を動かす』第2章「人に好かれる6原則」)。


アンドルー・カーネギーがスコットランドにいた子ども時代の話。

彼が捕まえたウサギは、腹に子を持っていて、間もなくたくさんの子ウサギが小屋に一杯になりました。餌は足りません。




そこで彼は考えて、近所の子どもたちにウサギの餌になる草をたくさん取ってきたら、その子の名前を子ウサギにつけるようにしたのです。

この計画はみごとに当たったようです。

本には書かれていないのですが、「ジョン」「ピーター」というように、まるで自分をいつくしむようにこウサギを育てたのではないでしょうか。

カーネギーは、友だちや取引関係者の名を尊重したのが成功の1つとされています。
また彼は、自分の下で働いている多数の労働者の名前を覚えていることを誇りにしていました。


自分の名前を覚えていて、しっかり呼んでくれる人に出会うと、なんだか自分自身が大切にされているような気持ちになるものです。


◎ペースダウンのご連絡

今まで状況が許す限り毎日、日記を更新してきましたが、7月12日までに出さなければならない原稿があるなど、他のことに時間が必要になってきました。
そこで、ブログは、毎日更新するようなペースを抑え、週に2-3回のペースに落します。お許しください。

日頃のご愛顧に感謝申し上げます。


<お目休めコーナー> 潮騒荘の陶板画③「サンベルナール山のナポレオン」(ラングロア)



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

人間だけでなくモノや植物や動物を含めた勇気づけに関連する話を書いているのですが、その第2回目は、「勇気づけ」とは反対の、「歴史遺産と先人に対する侮辱」、つまり勇気くじきの話です。


6月24日から26日にかけての新聞で、岐阜市立女子短大生6人(女子、2月)に続いて京都産業大学生3人(男子、3月)がイタリアのフィレンツェの大聖堂(写真はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の壁に油性フェルトペンで落書きをしていたことが報道されました。

ちなみに、大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられています。


 掲載ページ:http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/war/0107/murata/murata.html

岐阜市立女子短大生の落書きは以下の写真のとおりです(個人名モザイク)。

皆さんは、この醜悪な落書きをどう思われますか?


私は、単にモラルの欠如だけでなく、歴史遺産と先人に対する侮辱だと思います。
私は、それだけだなく落書きをした人たちの歴史遺産と先人の英知に関する共感や尊敬のなさをも疑います。

アドラー心理学の立場からすると、まったく共同体感覚に欠けた行為だと思います。
彼らが、周囲が共同体感覚の訓練を怠ってきたツケだと思います。


ここで、アドラーが共同体の構成要素を人間だけでなく、他の動物、植物に加えて無生物(建造物や道路からいろいろなものまで含まれる)まで広げたことの意味がクローズアップされます。

私は「大切にするこころ」について述べてきましたが、大切にする対象は、人間、他の生き物から植物、先人によって作られたものまで広い範囲に及び、それらを大切にするこころがある限りは、各種の愚かな所作に及ばないと思うのです。

共感とか尊敬とか信頼とか簡単に言えますが、根底に「大切にするこころ」がないならば、絵空事になるのではないでしょうか。


<情報コーナー> 世界の大聖堂や名画を集め、陶板で仕立てた大塚国際美術館(徳島県鳴門市)



写真左はスクロヴェーニ礼拝堂壁画、右がシスティーナ・ホール



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

人間だけでなくモノや植物や動物を含めた勇気づけに関連する話を書きます。

その第1回目は、植物の名前にまつわる話です。




昭和天皇と香淳皇后が那須の御用邸でご静養中に、吹上御所の庭の野草を田中直(なおる)侍従がきれいに刈り取りました。

昭和天皇は、ご帰京後、侍従を御所に呼ばれ、草を刈り取ったことの説明を求められました。

侍従は、ほめられるのでは、と期待しつつ、「雑草が生い茂って参りましたので」と話すと、昭和天皇は「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前がある」と正されました。

植物学者であられた昭和天皇にとって「雑草という草はない」のです。

含蓄の深い話です。


草花の1つひとつには、名前があります。知名度のあるものもあれば、名前を知られない草もあります。

名前を知られない草は、とかく無視されがちですが、もし、その名と、その名の由来を知れば、そこには、野辺の草にもいとおしさ、かけがえのなさが生まれ、大切にするこころが生まれるのではないでしょうか。


<お目休めコーナー> 潮騒荘の陶板画② 「ヴォルテラ付近の眺め」(コロー)



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

6月23日(月)から25日(水)までの3日間、水戸医療センター 附属 桜の郷看護学校の集中講義を行ってきました。

講座名は、1年生79人を対象とする「人間関係論Ⅰ」

私は、この看護学校の前身の国立水戸病院附属看護学校以来のこの講座の非常勤講師。1997年からご縁ができているので、今年でなんと12年目になります。

早いもので、今年の1年生の大部分は、私の18歳の息子と同じ学年です。立場は、まるでお父さん、あるいは伯父さんでした。

最初の2日は、茨城県茨城郡茨城町大字下石崎にある、涸沼(ひぬま、写真)の近くの「ひぬま荘」(写真、PHSの電波が届かないところ)。





会場は、100畳以上もある大広間(写真)。これだけの大きさがないと約80人は収容できません。

私は、いったん出来上がっている人間関係を再構築するため、リレーションづくりを3種類、丹念に行い、また、3日間ペアやグループを構成した人の名前をレジュメにどんどん書き加えてもらうことにしました。

テキストは、『アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方』(コスモス・ライブラリー、写真)。



教育主事が「岩井先生、本にサインをほしがっている学生がいますよ。サインしていただけますか」おっしゃるものだから、その旨学生に告知すると、来るわ来るわ。男性の数名を除くほぼ全員が本を手にサインを求めてやってきました。

私は、1人ひとりの名前を書き、その人にふさわしい文字を添え、その後にサインしました。
同じ文字をダブって書くことがないよう配慮したため、これは大変労力が要りました。


内容は、人間関係とコミュニケ-ション。ペアやグループで演習(一部先にデモンストレーションもあり)を行い、それから話し合いをし、講義をする、という展開なので、いつものことですが、学生を眠らせませんでした。

印象に残ったのは、付き添いの先生を部下に見立て、私が上司役として「どうしてできないんだ!」「なぜそんことをしたんだ!」と、失敗の報告に対して“why”を使って詰問すると、デモンストレーションにもかかわらず、先生は涙を浮かべてしまいました。
学生たちからは、「かわいそー」の声が。

デモンストレーションとはいえ、手加減しない私なのです。


3日目の舞台は、看護学校の体育館(写真)。



3日目になると、マンネリ気分になりがちなのですが、そこはベテランの私。「協力」をキーワードとして、学生たちを大いに盛り上げて集中講義を終えました。

学生たちは、休み時間にバレーボールなどを楽しみ、新たなつながりを確保できた人間関係講座でした。

だけど、考えてもみてください。先生がアシスタントとして時々入っていただくとしても、1人の講師が80人近くの学生を動かす(しかも眠らせずに)のは大変なことなのですよ。


<お目休めコーナー> ひぬま荘の庭のタンポポ





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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日は、電波の届かないところにいたため、150日ぶりにお休みさせていただきました。

さて、「夜回り先生」として有名な水谷 修さんにこんな話があります(産経新聞6月18日「人、瞬間(ひととき)」から)。


人生の意味を求めて大学の哲学科に進んだものの、理想と現実のギャップに悩み、キャンパスから足が遠のき、ふらふらと遊び回っている時期に、ある晩夜遊びから帰ると、机の上に封筒が置いてありました。
中をのぞくと分厚い札束で、母親が達筆な字が書かれていました。

「夢、捨てるな」

水谷さんは、そのお金を手に哲学を学ぼうとドイツに渡ります。
しかし、現地の大学入試試験に不合格。母親に顔向けできない気持ちを抱きながら故国に帰れず、2年が経過したある日、家から電報が入り一時帰国を決意しました。

久しぶりの日本では、空港から直接家に向かわず、遊び仲間と一晩過ごし、明け方の5時に帰宅。

そっと自分の部屋のふすまを開けた途端、布団から起き上がり、水谷さんを見て正座した男性がいました。
上智大学の学科長、渡辺秀先生でした。

「水谷君、お帰りなさい。君の学籍は残っている。大学に戻って一緒に勉強しよう」

水谷さんは、自分を待っている人がいることを知り、思わず涙がこぼれ、それを契機に復学し、猛勉強をしました。

今は亡き恩師は「教育はその人を信じて待つこと」という信念を抱く水谷さんの心の中に生き続けています。


私は、この話を性急さを求める最近の風潮への警告として読み取りました。
皆さんはいかがですか?


<お目休めコーナー> 潮騒荘の陶板画(1)エドガー・ドガの競馬



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日11時から1時までの2時間ヒューマン・ギルドでは、「アドラー心理学ゼミナール」が開催され、梅谷祐章さん(mixiならhttp://mixi.jp/show_friend.pl?id=7655736)に「赦すことで生かされる。生んでくれてありがとう」のお話しをいただきました。


両親と一緒に暮らしながら35年間口をきかなかった梅谷さんは、アルコール依存症その他の依存症にもがきながら、アドラー心理学との出会い、mixiによる日記による癒しにより両親との和解、ご自身の自立への道を開きました。

お話は迫力満点。牧師の話よりも実体験に基づいた裏づけがあるだけに、聴衆を魅了して、2時間があっという間でした。

最後に強調された「生んでくれてありがとう」の言葉が、自己肯定感の高まり、家族の絆の復活を証明してくれました。

私は、梅谷さんのお話しをお聴きしながら、「新たな勇気の伝道師誕生!」を見届けた思いでした。

どうか梅谷さん、これからは、あなたを待っている人のために勇気の伝道をお願いします。


*6月23日から25日までは看護学校の集中講義のため茨城に行きます。そのうち最初の2日間は、電波の届かない場所です。ブログをお休みしなければいけない事態、すぐにコメントできない状況になります。
ご容赦ください。


<お目休めコーナー> 社会人の息子撮影の海中写真 23




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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(6月21日)は、徳島に日帰り研修に出かけました。

お世話役は、大塚製薬能力開発研究所インストラクターの松本江里子さん。
写真のとおりのチャーミングな方です。ヒューマン・ギルドの会員でもあり、昨年ヒューマン・ギルドでアドラー・カウンセラー養成講座も修了されています。

こうして徳島に何度も来られるのは、松本さんのお陰です。

ありがとうございます!




私は、朝8時20分に家を出ました。気分はグーです。



9時半には羽田空港に着いてしまい、10時25分発の徳島便を待ったのですが、出発は、15分遅れ。



クラスJに乗り、晴天ならば見えるはずの富士山が、昨日は雲に隠れてとうとう見えず。

研修会場は、竜宮城のような、大塚製薬の潮騒荘。




レストランからは、鳴門の海が見えました。

私の担当の1時15分から4時15分までの研修テーマは、

メンタル・ヘルス

でした。

私は

「勇気」と「変革」をキーワードに「自己変革なくして組織変革なし」のスローガンのもと心理学的なアプローチで体験学習的に進める

ことを開講時に「ねらい」として徹底しました。

受講者の写真は最低限にしか掲載しませんが、私が話しをする際は、こんなにボディランゲージが多いのかと、今さらながら自分で驚きます。



研修後は、潮騒荘内の陶板画の「サンベルナール山のナポレオン」(ラングロア作)の前で写真を撮ってもらいました。



帰りの飛行機は、6時15分発、羽田着が7時55分。8時15分発の中野行きのリムジンバスに乗り、9時5分に家に着きました。

私は、飛行機の乗るのが大好きなので、ちっとも疲労感がありませんでした。

快適な日帰り研修の写真日記です。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

6月19日(木)の夕刊各紙は、昨年(2007年)の全国の自殺者数(警察庁のまとめ)を第1面で発表していました。
そのポイントは、以下のとおりです。

1.自殺者数が10年連続3万人を超えたこと
2.33,093人の自殺者数は、過去最悪だった2003年に続き2番目であったこと
3.30歳代(6%増の4,767人)と60歳以上(前年比8.9%増の12,107人)が過去最多で、お年寄りの「孤独感」を動機にした自殺のほか、働き盛りを中心にした「仕事疲れ」の自殺も目立ち、社会的・経済的負担が増す世代が追い詰められている現状が浮き彫りになったこと
(以上は、主に讀賣新聞による)

ここで私は、自殺という行為を社会的要因よりも心理的要因として捉えてみたいと思います。

まず言えることは、自殺という試みに、一概にくくることはできないかもしれませんが、勇気をくじかれ、人・社会とつながっていない姿(共同体感覚の欠如)を見ることができます。また、自殺には目的があることもアドラー心理学の立場から忘れてはなりません。

アドラーは、自殺の目的を 「復讐と告発」だと言っています(『個人心理学講義』P.205)。


さて、この切り口を秋葉原殺傷事件の加藤智大容疑者にあてはめて考えてみましょう。

彼の3,000回に及ぶサイトへの書き込みと事件の挙行から判断すると、彼の行動は、本来ならば自殺者が持つべき心理を他者を殺傷することに置き換えたことに他ならないことに気がつきます。

彼は、復讐と告発をしなければならないほど勇気と共同体感覚が欠けていたと、アドラーさんならきっと論評するでありましょう。


自殺という現象、凶暴な事件の報道を見るにつけ、「今こそアドラー心理学の出番だ。もっともっと勇気のタネを蒔こう」との思いを強める日々であります。


<今日の勇気の伝道>

今日は、日帰りで徳島に出張し、某製薬会社の勇気づけ研修をしてきます。

<お目休めコーナー> 社会人の息子撮影の海中写真 22





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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

再び亀井勝一郎『青春論』から「私の好きな言葉」を紹介します。

テーマは、怒りです。

亀井勝一郎は、『青春論』の第2章「愛に生きる心」の中の「愛を生む怒り」で、怒りが悪徳とされる理由として

「言うまでもなく個人的な嫉妬心や野心から発して、相手の失脚をねらったり傷つけたりするとき、怒りは確かに悪徳である。たいていの場合、それは突発的な激情となってあらわれ、盲目的行為に出ることが多い」

と述べ、その後に次のように続けます。

真の怒りとは、何よりもまず社会的な正義から発したものでなければならないと思う。盲目的行為を導き出すのではなく、逆に明晰な理性的なふるまいを呼び起こすものでなければならない。一時の激情とはまったく反対の、冷静に持続する探究心を伴い、相手の正体を正確に見ようとする強い意思でなければならない。怒りのこうしたあらわれを、われわれは忘れているのではなかろうか。

 
私は、アドラー心理学を学んでからしばらく、怒りの感情を出すことを大人気なく未熟なライフ・スタイルの発揮だと受け止めていました。しかし、今ではかなり怒りの解釈が違っています。

今の解釈は、次のようです。

怒りが問題なのではなく、怒りを破壊的・非建設的に使用することが問題なのではないか、そして、怒りを失ったとき、陰性感情の怒りがなくなるとともに、陽性感情の喜びも消滅し、感情を持てない無機質な人間になるのでは、と。

生きている中では、「それはないだろう!」という出来事に遭遇して怒りがわくことがあります。「それは許せない!」と思って、正義から発して相手の行動にNO!を言わざるをえない時があるのです。

いつも怒っているのは支配的な人間の証ですが、人生の「ここ一番」という時の怒りは、支配性とは別のような気がするのです。

怒りだけでなく、喜怒哀楽全般とのつき合いは、人間を人間らしくしてくれます。怒りを忘れたとき、心の躍動も失われるのではないでしょうか?

ここ数年のうちに怒りに関してそんなふうに思うようになったのです。


*「暗闇から光へ、無感動から感動への移行は、感情なしにはありえない」(C.G.ユング)


<お目休めコーナー> 社会人の息子撮影の海中写真 21



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ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今朝のブログはすでにアップ済みなのですが、今日(6月19日)の産経ニュースでアドラー心理学の古い仲間の星一郎さんが
〖暴発 秋葉原殺傷事件を読む〗「自己否定の末、自分主義に」という文章を書いていますので、皆さんにお知らせしたくこの日記を書きました。

星さんの文章は、秋葉原殺傷事件を「勇気くじき」や「共同体感覚」のアドラー心理学の視点からしっかり言及してくれています。

ご覧ください。



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人間知の心理学 (アドラー・セレクション)
アルフレッド・アドラー
アルテ

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

また、アドラーの本が岸見一郎さんの翻訳によりアルテから翻訳・出版されました。

『人間知の心理学』(アルフレッド・アドラー著、岸見一郎訳、アルテ、1,800円+税)です。

アドラー(著者)-岸見一郎さん(訳者)-アルテ(出版社)の組み合わせは、これで3冊目になります。

アメリカではアドラーの本の中では一番売れていながら日本では、春秋社から出版されていても読者の途中での挫折率№1が以前の訳者によるこの本でした。


今度の訳本は、岸見さんの分かりやすい名訳により挫折することがないはずです。

なお、今回ご紹介の本は、以前の訳本(春秋社版)と比べると、実に読みやすくなっていますが、原本の第1部、第2部のうち第1部を訳したものです。


構成は、次のとおりです。

序言
序論
第1章 人間の精神
第2章 精神生活の社会的性質
第3章 子どもと社会
第4章 外界の印象
第5章 劣等感
第6章 人生への準備
第7章 男女関係
第8章 きょうだい関係
訳注
解説

この本の詳細については、4月25日の「アドラーを読もう(4)『人間知の心理学』」で触れていますので、そちらをご参照ください(ただし、第2部も解説)。

第2部の訳が出るのが楽しみです。


(注) ご紹介の3冊ともヒューマン・ギルドで扱っています。ご注文ください。3冊セットだと送料サービスとさせていただきます(会員の方は、消費税も)。
『生きる意味を求めて』(2,000円+税)は5月14日15日17日の、『教育困難な子どもたち』(1,800円+税)は4月23日「アドラーを読もう」で紹介しています。

生きる意味を求めて (アドラー・セレクション)
アルフレッド・アドラー
アルテ

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教育困難な子どもたち (アドラー・セレクション)
アルフレッド・アドラー
アルテ

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 <お目休めコーナー> 社会人の息子撮影の海中写真⑳



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日、家に帰ったら、玄関先に大きな段ボール箱。中身を見ると玉ねぎととうもろこしがたっぷり。



神奈川県に住む姉夫婦がシーズンになると送ってくれるのです。

姉夫婦は、ダンナの定年退職と共に家庭菜園に凝り始め、大手自動車会社で技術職だったダンナは、研究に研究を重ね、発酵飼料を使って無農薬野菜を作っています。

収穫は、夫婦それぞれのきょうだい、親戚に送っています。我が家もそのおすそ分け。

早速とうもろこしを食べたら、歯ごたえがあってとてもおいしい。

いただいたその晩にお礼のお電話。会話量が少なくとも、久しぶりの会話がまた楽しい。

これからしばらく、我が家で姉夫婦の話題が続きそう。

きょうだいっていいな、何歳になっても。


<お目休めコーナー> 社会人の息子撮影の海中写真⑲



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

久しぶりに「私の好きな言葉」を紹介します。

私は、青春真っ盛りの高校時代に亀井勝一郎の本を読みふけっていました。
おそらく角川文庫の『青春論』が初めての本で、それから『愛の無常について』『恋愛論』『我が精神の遍歴』から、さらには『亀井勝一郎選集』まで読んでいました。
今でも書庫の1コーナーを占領しています。


私の高校生のころは、一言で表現できます。

暗かったー!!!


とにかく亀井勝一郎の本を耽読する青春だったのですから。

その亀井勝一郎の『青春論』で今でもいろいろなところで引用している、私の好きな一節があります。

第1章の最初の「青春とははじめて秘密を持つ日」の冒頭に出てくる次の言葉です(原文は改行、下線なし)。


人間は一生の間に、幾たびも生まれ変わらなければならないものである。
母の胎から生まれた日を第1の誕生日とするならば、青春は第2の誕生日と言ってよい。
自己についての意識が目覚め、「自我」が初めて生まれるわけで、青春の悩みとは、要するにこの誕生のための陣痛に他ならない。
子供は、人生の意味について問うことはない。しかし青春期に達すると、愛とは何か、死とは何か、自分の未来はどうあるべきか、神の有無等々さまざまの問いが浮かんでくる。
大切なことは、これらすべての問いのことごとくが難問で、すぐ回答が出てこないということだ。
そして、解き難き問いを発するところにこそ精神と呼ばれるものの核心が形成されるということである。
不可解なものが我々を育てる
        

私は、自分の青春が暗かったことを否定しようとはしません。

しかし、暗かったけれども深かった。
深かったがゆえにもがき続けた。

だからこそ、青春の時を青春らしく生きた、とも言えます。

そんな青春の時期に自己との対話の素材になったのが亀井勝一郎の本でした。


<お目休めコーナー> 社会人の息子撮影の海中写真⑱



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

最近ドラマやテレビ番組で神楽坂が人気のようです。

ところで、ヒューマン・ギルドは、地下鉄東西線「神楽坂駅」から徒歩2-3分のところにあります。

6月14日(土)の晩に、「勇気づけのワークショップ」の初日の研修が終わり懇親会を行う段になって、山梨からやって来た人がガイドブックで神楽坂のことを下調べしてきたのか、「懇親会は神楽坂でやってほしい」という話になりました。

いつもは、ご近所の中華料理店やカラオケパブレストランなのですが、この晩は、神楽坂通りを飯田橋に向かって歩き、名所案内をし、裏通りの石段の小路を散策した後、まずは、雰囲気のいいお店で会食をしました。

その後の2次会は、有名な カナルカフェ に行きました。写真のようにお堀端にボートが浮かぶおしゃれなレストランでおしゃべり。

とても喜んでもらえました。

「何だか外国に行ったみたい」

「こんなところでくどかれたい」

「こんなロマンチックな場所、○○県にはない」

女性たちは、しごくご満悦の様子でした。


翌日の朝、「昨日を振り返ってお話しを」と1人ひとりに話してもらったところ、懇親会に出た人たちは、研修の内容には触れず、懇親会の話題ばかりでした。


このグループ、エネルギーが高く集団で初日に下のような絵を描いてくれていたのです。




<お目休めコーナー> 早稲田通り沿いのアジサイ




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『夢を叶える!更年期レッスン―ここから始まる本当の人生』

(宮西 ナオ子著、日本教育研究センター、1,200円+税)

 

おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

何度かご紹介の宮西ナオ子さん『眠る前の7分間!』に続く最新の本です。
この本では、「更年期」という言葉を使いながら、50歳以上は第2の人生であって、大いに謳歌すべきことを、宮西さんのご体験、宮西さんの取材を通じてアピールしてくれています。

宮西さんは、更年期が自分の人生の使命や役割が見えてきたり、今まで疑問に思っていたことが徐々にひもとかれていったり、しかも、それが加速度的に進んでくる時期で、今の時代の生き方・考え方・生活習慣のあり方で「実年齢」と「見かけ年齢」にかなり差をつけることができることを訴えています。

その意味では、私が最近主張している「8掛け人生を生きること」と相通じるものがあります。

文章の後半では、新しい人生を切り開いた何人もを紹介し、その中には私自身のことも書かれています。

私の印象としては、「更年期」というと、とかく女性のことをイメージしがちですが、男性にも更年期とどうつき合い、それを克服するかのヒントが得られた貴重な本でした。


(注)『夢を叶える!更年期レッスン―ここから始まる本当の人生』は、『眠る前の7分間!』とともにヒューマン・ギルドで扱っています。セットでご注文ください。

<お目休めコーナー> 社会人の息子撮影の海中写真⑰

 



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