アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

本来ならば、「アドラーを読もう(7)『個人心理学講義』②」の順番ですが、これは明日にして、「まさか、こんなことが」と思われる「こわ~い話」をお伝えします。

2年ほど前の話です。

最寄り駅の地下鉄落合駅の地上への階段を上がりきろうとしたとき、ガシャーンという音が聞こえました。
青年の運転するバイクがタクシーに激突されたのです。交差点の50メーター手前にうずくまる蕎麦屋の出前のお兄ちゃん。意識はしっかりしているようです。

私は、何人かで道路脇に本人を運び、倒れたままのバイクを移動しました。
女性は、救急車に連絡、私は、本人にお店の電話番号を聞き電話し、意識のある本人と店主と話をさせました。

タクシーからは、運転手が降りてきて、「あぶねーんだよな、突然脇道から出てくるんだから」とお兄ちゃんに怒りの発言。続いて私に事故の模様と、仕事への影響を語りました。お気の毒。

1-2分後、黒っぽい背広を着た、浅黒い顔のタクシーの乗客が降りてきて言いました。
「『こんな渋滞の時は、突然バイクなんかが脇道から出てきて、事故が起きるんだよね』って話してたんです。そしたら、そのとおりになって。警察も救急車もなかなか来ないね。なんかあったら、僕が証言するから僕の名前を出してね」

「え、僕の名前だって」と思いながら早口のガラガラ声で語る男の顔を見ると、なんと稲川淳二ではありませんか! 確か中野区に住んでいるはず。

男は、マネジャーらしき人と別のタクシーを呼びとめ、そそくさと去ってしまいました。

せめて名刺でももらっておけば、と後悔する私でした。

稲川淳二のこわ~い話でした。





ところで、事故のその後はどうなったか、ですって。
私は、警察と消防車の到着(通報から10分以上経過)を待ち、救急車に電話をした女性と一緒にしっかり対応しました。



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個人心理学講義―生きることの科学 (Adlerian Books)
アルフレッド アドラー
一光社

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラーの本の紹介の
4冊目は、アドラーの1929年の著書『個人心理学講義生きることの科学』“The Science of Living”、岸見一郎訳、一光社、19291,800円+税)です。

構成は、以下のとおりです。

1  個人心理学の原理
2  限界を克服すること
3  劣等コンプレックスと優越コンプレックス
4  ライフ・スタイル
5  早期回想
6  身体の動きと態度
7  夢とその解釈
8  教育と問題行動のある子ども
9  誤ったライフ・スタイル
10 犯罪と共同体感覚の欠如
11 恋愛と結婚
12 性とセックスの問題
13 結論
解説

この目次をご覧になって一部の方はお気づきだと思います。他の本と大きく変わらないのです。

確かに1929年、1930年は、アメリカでアドラーが最人気の頃で、本を出せばそれだけ売れたでしょうが、逆を言えば、「また同じじゃないか」という気持ちも持たせたと受け止めることもできるでしょう。

前にも申し上げたとおり、この当時のアドラーの本は、講義・講演や症例検討会をベースにしたもので、アドラーが机に向かって、推敲を重ねながら書いた本ではないのです。
それだけに重複・散漫さを免れることができないハンディがあります。

それでも、私は、この本の中からアドラーの重要なメッセージを数点探し出し、お伝えしようと思います。

第1は、アドラーの「意識」と「無意識」の解釈について

第2は、アドラーの捉える「正常な人」について

第3は、「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」についてたっぷりと
(ただ、これは長いので、次回にします)


第1の「意識」と「無意識」についてアドラーは次のように説いています。

「意識と無意識は同じ方向へと進んでいくのであり、しばしば信じられているように、矛盾するものではありません。その上、意識と無意識を区別するはっきりとした境界線はありません」

第2の「正常な人」とは、

「正常な人とは、社会の中に生きており、その生き方が非常に適応しているので、望もうと望まざるにかかわらず、社会がその人の仕事から何らかの恩恵を受けているような人のことです。心理学的な見地からも、正常な人は、人生の課題(注:ライフ・タスクのこと)と困難がやってきたときに、それに対処するに十分なエネルギーと勇気を持っています」

と、「共同体感覚」をしっかりと身につけ、「ライフ・タスク」に対処する十分なエネルギーと勇気を持った人だと言っています。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

固くて長い文章が続いているので、今日は、いつもの数分の1の話で終わります。

私は、20数年前から、新聞・週刊誌などから「これは使えるな」という話を小さなメモ帳に書いたり、貼り付けたりしています。
今は、パワーポイントのスライドにすぐしていますが、今見直してみると、使える素材がたくさんあります。

今日は、その中から『週刊ポスト』(1987年5月1日号)から野末陳平氏の「ツキを呼ぶ10カ条」

そのまま転載します。

1.小さなツキを大切に

2.  ツキのある奴に乗れ

3.  ツキのない奴は捨てろ

4.  流行・人気を大事にしろ

5.  昇り竜に逆らうな<

6.  ボランティアはツキを呼ぶ

7.  得意なことを先にやればノリが来る

8.  ツキのないときは暮らしのパターンを変えろ

9.  自慢話はツキを失う

10. ツキのある時は動くな



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラーの本の紹介の3冊目は、アドラーの1932年の著書『人生の意味の心理学』(高尾利数訳、春秋社、2,600円+税)です。
ただ、残念ながら絶版になっています。古書店でお求めください。




原題は“What Life Should Mean to You”でしたが、今は、下の写真のように“What Life Could Mean to You”として出ています。
 
What Life Could Mean to You

Hazelden

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 構成は、以下のとおりです。

訳者まえがき
第1章 人生の意味
第2章 心とからだ
第3章 劣等感と優越感
第4章 初期の記憶(早期回想)
第5章 夢
第6章 家族の影響
第7章 学校の影響
第8章 思春期
第9章 犯罪とその予防
第10章 職業
第11章 人間とその仲間
第12章 愛と結婚
訳者あとがき


この本の出だしは、次のように格調があります。

「われわれ人間は、もろもろの意味の領域を生きている。われわれが経験するのは、決して純粋な事実などというものではなく、常に人間にとって有意義な事実というものである。・・・・(中略)・・・・いかなる人間も、意味なしには生きられない。われわれが現実を経験するのは、常に、われわらが現実に付与する意味を通してであり、われわれは、現実そのものではなく、すでに何か解釈されたものとして、それを経験するのである」

この本から読み取れる第1の大きなポイントは、人生の意味―それも人の認知を通して個々人が解釈する意味―です。

さらにアドラーは続けます。

「すべての人間は、3つの大きなきずな(ties)を持っている」

そしてアドラーは、仕事、交友、愛の3つ人生の課題(ライフ・タスク)に話を発展させ、第10章「職業」、第11章「人間とその仲間」、第12章「愛と結婚」でそれぞれ詳しく論じています。

このライフ・タスクこそが私がこの本から読み取る第2の大きなポイントです。

3つ目のポイントも指摘しておきましょうか。それは、アドラーの思春期に関する見解です。

アドラーは、思春期に入って、性格が変わったように見えることを次のように否定します。

 「思春期には多くの危険があるが、それが性格を変えうるというのは本当ではない。それは、成長しつつあるこどもに、新しい状況と新しい試練を与えるものである」
「ほとんどすべての子どもにとって、思春期は、とりわけひとつのことを意味する、つまり、その子どもは、自分はもはや子どもではないということを証明しなければならないのである」

それでは、思春期の子どもたちとかかわりを持つ大人たちは、どう理解し、どのように関わったらいいのでしょうか? アドラーは、明快に答えます。

「もし、子どもが、自分自身を社会の平等な構成員であると感じ、他者に貢献するという自分の課題を理解するように訓練されてきたのであれば、そして特に、異性を平等な同僚と見るように訓練されてきたのであらば、思春期は、成人としての人生の諸問題に対して自らの創造的かつ自立的な解決を始めるひとつの機会を提供するに過ぎないものとなるであろう」

 私は、こんなに迫力のあるアドラーの本が絶版になっているのが残念でなりません。

<お目休めコーナー>  ヒューマン・ギルドの隣のマンションの花
(この花の名前をご存知の方教えてください)




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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

2008年4月24日の『讀賣新聞』夕刊第1面に大手書店14社、計643店舗での本の万引きの実態が明らかにされていました。



出版社や書店などでつくる日本出版インフラセンターの調べでは、年間被害額は、40億円。売上高の1.4%に相当し、全国の書店約15,000店舗で同じ割合で万引きがあったと仮定すると、被害額は190億円に相当すると推計されること、書店の経営に大きな打撃を与えていること、などが明らかにされました。

本の万引きに関しては、私はもともと関心があり、ヒューマン・ギルドのニュースレター(2003年8月号巻頭言「本の万引き、あなたはどう考える」)で取り上げたことがあります。
その時は、次のように書きました。

「警察庁によると、平成9年(1997年)に万引きと警察が認めた件数が106,181件だったものが、5年後の平成14年(2002年) には30%増の140,000件を超え、しかも補導や逮捕などの検挙対象の3~4割が20歳未満の少年達でした。被害総額は47億円に達するそうです」

詳しい内容は、ヒューマン・ギルドのホームページの「トピックス」の「過去の『巻頭言』から」(http://www.hgld.co.jp/event1/kakonokanntougennkara.html 、2008年4月25日NEW)で取り上げていますので、是非ご覧ください。

出版に関する参考情報を下記します。
1.出版総販売額は、約2兆円(年々縮小傾向)です。
2.書籍新刊行点数は、75,000点と言われています(1日あたり約200点)。
3.10年ほど前の全国の書店数は、26,000店、それが現在は15,000店

本の万引き問題は、社会問題だけでなく経営問題でもあるのです。

しかし、私はそれだけでなく「教育問題」だとも思うのですが、あなたはどうお考えですか?

アドラーが生きていたら、こんな時にどんな情報発信するだろうか、と考える私です。

<お目休めコーナー> 自宅近くの公園の花
(殺伐とした気分のときほど花から清らかさをいただきましょう)



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラーの本の紹介の2回目は、アドラーがドイツ語で1927年に著した“Menschenkenntnis”(人間知)から翻訳された『人間知の心理学』(高尾利数訳、春秋社、2,600円+税)です。



ウィーンのフォルクスハイムで何百人もの聴衆を前にして行われた講演をもとにしたこの本について、アドラーは「序言」で「本書は、できるだけ広い読者層に、個人心理学(注:アドラー心理学のことをアドラーは「個人心理学」と呼んでいた)のゆるぐことのない基礎とその人間知にとっての価値を示すとともに、人間関係や自らの人生を構築する上での意味をも示そうとするものである」と述べ本書の主な課題を次のように表現しています。

「社会生活におけるわれわれの行為や活動の欠陥を、個々人の誤った態度から理解し、各人の誤りを認識して、社会関係によりよく適合させるということである」

構成は、以下のとおりです。

序言Ⅰ

第1部 総論
序論
第1章 人間の精神
第2章 精神生活の社会的生活
第3章 子どもと社会
第4章 外界の印象
第5章 劣等感と評価を求める努力
第6章 生活に対する準備
第7章 両性の関係
第8章 兄弟姉妹

第2部 性格論
第9章  総論
第10章 攻撃的な性質の性格特徴
第11章 非攻撃的な性質の性格特徴
第12章 その他の性格の表現形式
第13章 情動
付録  教育のための一般論述
結語


アドラーの本がアメリカで続々出版されるのは、この『人間知の心理学』から始まります。
『どうすれば幸福になれるか』の著者W.B.ウルフによって1927年11月に“Understanding Human Nature”のタイトルで翻訳・出版されるや、セルフ・ヘルプ(自己啓発)本のはしりとして6カ月で3回増刷、またたく間に総数10万部を超えるベスト・セラーになり、その後のアドラー・ブームのさきがけになった本です(『初めてのアドラー心理学』による)。



 



私が他の本と比較した上で、この本から読み取る大きなメッセージは、次の2つです。

1.「共同体感覚」についてしっかりと論及して、「われわれが個々人を比較する尺度は、共同社会の人間の理想像」で、「自分の眼前にある諸課題を普遍妥当な仕方で成し遂げる人間、共同体感覚を『社会生活の競技規則を守る』ほどまでに発達させた人間の理想像」なのであり、「どんな完全な人間でも、共同体感覚を養い育て、それを十分に働かせることなしには成長できないのである」と論じています。
やがて彼が「精神的な健康のバロメーター」と称した「共同体感覚」についてこの本では「理想像」としています。

2.他の本と一味違って、「性格論」に多くの紙面を割いて、「攻撃的な性質の性格特徴」と「非攻撃的な性質の性格特徴」を次のように区分し、

攻撃的な性質の性格特徴・・・・虚栄心(名誉欲)、嫉妬、羨望、貪欲、憎悪
非攻撃的な性質の性格特徴・・・・控え目さ、不安、臆病、適応不足の表現としての剥き出しの衝動

さらに、情動(emotion)を「他者を分離させる(disjunctive)情動」と「他者と結びつける(conjunctive)情動」に分け、前者で怒り、悲しみ、嘔吐、不安(恐怖)を、後者で喜び、同情、羞恥心を説いています。


この本の中に私が好きな言葉が出てきます。タイプわけを嫌うアドラーが「人間の2つのタイプ」として次のように書いています。

「一方は、より意識的に生き、人生の諸問題により客観的に対し、一方的な見方を決してしない人であり、他方は、偏見を持ち、人生や世界のほんの小さな一部分しか見ず、いつも無意識的に行動し、無意識的に議論しているような人々である」

セルフ・モニタリング・システムを働かせながら自覚的に生きることをアドラーが奨励しているかのようです。

最後に訳文について。
“Understanding Human Nature”の英文がそう難解でないのに、この日本語訳による本は、途中の挫折率№1なほどの読みにくさであるのが残念です。

ともあれ、挫折した人は、もう一度本箱から取り出し、立ち止まり立ち止まりしながらも時間をかけて読み通してほしい本です。


<お目休めコーナー> 自宅近くのお寺の牡丹(2)



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラーの本を紹介し始めながら、ふと疑念が生じました。このブログの読者には、アドラー心理学をすでに学んでいる人もいれば、まったく学んでいない人もいるはずです。

そこで、道案内のつもりで、アドラー心理学の基本的な考え方を解説しておこうと考えたのです。

より平易にアドラー心理学の全体像を書物で学びたい方は、是非、次の3冊くらいは読んでおかれることをお勧めします。

『アドラー心理学教科書』(野田俊作監修、ヒューマン・ギルド出版部、2,000円+税、写真)
『アドラー心理学への招待』(アレックス・L・チユー著、岡野守也訳、金子書房、1,800円+税)
『アドラー心理学入門』(ロバート・W・ランディン著、前田憲一訳、一光社、1,500円+税、写真)

  

さて、道案内としてアドラー心理学の基本的な考え方(基本前提)を示します。

『アルフレッド・アドラーの個人心理学』(“The Individual Psychology of Alfred Adler”、1956、写真)の編著者ハイツ・L・アンスバッハーとロウェナ・R・アンスバッハーは、「アドラー心理学(個人心理学)の基本前提」を次の12にまとめています。



『人生の意味の心理学』(A.アドラー著、高尾利数訳、春秋社)の「訳者あとがき」で訳者が『アルフレッド・アドラーの個人心理学』をもとにしたアドラー心理学の基本的な考え方として訳して紹介していますが、ここでは訳文を参考にしながらも私が少々手を加えています。
コメントを加えずに、そのまま掲載します。

1.全ての人間の背後には、一つの根本的な、そしてダイナミックな力がある。その力はマイナスと感じられた状況からプラスの状況へ、劣等感から優越・完全・全体性へ向かう努力である。

2.その努力は、その独特な方向を、各個人に固有な目標あるいは自己理想から受け取る。目標ないし自己理想は、生物学的および環境上の諸要因に影響されるが、究極的には、各個人の創造物である。その目標ないし自己理想は、理想であるがゆえに虚構(fiction)である。

3.当の個人は目標をただ「ただ漠然と描いている」だけである。ということは、彼は目標をほとんど知らず、理解していないということを意味する。「無意識とは、個人の目標の理解されていない部分のことである」というのがアドラーの無意識の定義である。

4.目標は、最終的原因になるし、また、究極的な独立した変数にもなる。目標が個人を理解するための鍵を提供するかぎり、目標は、心理学者にとって有効な仮説である。

5.すべての心理的過程は、目標の見地からすれば、最初からフィナーレを想定しながら構想されるドラマのように一貫した体系を形成する。この一貫したパーソナリティーの構造を、アドラーは「ライフ・スタイル」と呼ぶ。ライフ・スタイルは、非常に初期の段階で確立され、その時からずっと、各個人の生活全体において決定的な役割を果たしていくのである。後の一見したところ全く矛盾したような行動も、同じ目標を追求するための違った手段を採用したことを意味するにすぎない。

6.種々の衝動だとか、意識と無意識の対照だとかいう、一見明瞭なすべての心理学的カテゴリーは、統一された関係体系の諸局面にすぎず、決して個々の実体や資質を代表するものではない。

7.生物学的因子だとか、過去の個人史だとかいうすべての客観的決定因子は、目標と関連している。すなわち、すべての客観的決定因子は、直接的原因として機能するのでなく、ただ可能性を提供するだけである。各個人は、すべての客観的因子を自分のライフ・スタイルと一致させて使用する。「それらの重要性と効果は、単に媒介的な、いわば心理的代謝作用(メタボリズム)においてのみ発達させられるのである」

8.個人が自分自身について、また世界について持つ見解、彼の「統覚体系」、彼の解釈はすべて、彼のライフ・スタイルの諸局面であり、すべての心理的過程に影響を与える。「万物は、個人の見解次第である」(Omnia ex opinione suspensa sunt)というのが、アドラーが1912年に著した個人心理学の本(『神経質性格について』)のモットーであった。

9.個人は、その社会的状況から隔離しては考えられない。「個人心理学は、個人を、社会的な関連のなかにいるものとして見る。孤立した人間として見ることを拒否する」のである。

10.一定の衝動の充足を含めて、すべての重要な人生の問題は、社会的な問題になる。すべての価値は、社会的価値になる。

11.個人の社会化は、抑圧を犠牲にして達成されるのではなく、生得的な人間の能力-それは発達させられる必要性があるものであるが-によってなされるものである。アドラーが、「社会感情」とか「共同体感覚」とか呼ぶものは、この能力のことである。個人は、社会的状況のなかに根づいているので、共同体感覚は、彼の適応にとって決定的となる。

12.適応不能ということは、増大する劣等感、未発達の共同体感覚、個人的優越という誇張された非協力目標という特徴を持っている。したがって諸問題は、課題中心的な「共通感覚」(common sense)というやり方によってよりも、自己中心的な「私的感覚」(private sense)というやり方によって解決される。神経症者においては、これは失敗したという経験に導く。なぜなら彼は、彼の行動の社会的妥当性を未だ彼の究極的規範として受け入れているからである。他方、精神病者の場合には、客観的には、つまり共通感覚の目から見れば、明らかに人生において失敗したということなのであるが、失敗という経験は受け取られない。なぜなら彼は、社会的妥当性という規範を受け入れていないからである。

<お目休めコーナー> 自宅近くのお寺の牡丹(1)

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラーの本の紹介の第1回目は、最新訳書の『教育困難な子どもたち』(アルテ、1,800+税)です。

この本は、ドイツ語の“Indivudualpsychologie in der Shule”(『学校における個人心理学』1929)からの『生きる意味を求めて』(アルテ、2,000円+税)に続く岸見一郎さんによる翻訳です。

アドラーが1928年に教師を対象にウィーン市の教育研究所で行った講義を収めたもので、その時の講演テーマは「学校における教育困難な子どもたち」でした。

アドラーは、序言で「個人心理学を学校生活に導入するのを容易にすることを目的にしたもの」だと書いています。 

構成は、以下のとおりです。

序言・序文
第1章  最初の5年
第2章  問題行動の前史
第3章  子どものライフ・スタイル
第4章  運命の一撃
第5章  本当の早期回想と嘘の早期回想
第6章  子どもの早期回想と夢
第7章  早期回想・空想・夢の意味について
第8章  夢の理論
第9章  概括 共同体感覚
第10章  4つの症例
付録 図と質問表
訳注・解説  

この本が出版された1929年は、翌年の1930年とともにアドラーのゴールデン・エイジの真っ只中で、『個人心理学講義―生きることの科学』(“The Science of Living”、岸見一郎訳、一光社、1929、1,800円+税)、『子どもの教育』(“The Education of Children”、岸見一郎訳、一光社、1930、1,800円+税)、『アドラーのケース・セミナー』(“The Pattern of Life”、岩井俊憲訳、一光社、1930、2,850円+税)がアメリカで続々出版されています。
 
しかし、この本は、アドラーがウィーンでドイツ語で講演した内容をもとにしているだけに、他の本よりいっそうアドラーがライフ・スタイル、早期回想、夢の理論について流暢に、平易に語っている感があります。 アドラーが学校の課題を次のように語っているのを読むにつけ、アドラーが教育にかけた理想が今の日本でもまだまだ実現していないことを痛感するのは、私だけでないでしょう。

「学校の課題は、次のようなものです。『人生で、自立して働き続け、避けることができない課題を、自分には関係がなく他の人が解決することであると考えるのでなく、それを解決するために、自分の問題として見るような人間をどのようにして育てるか』ということです。[このような]国民の理想は、家庭の中までも及んでいます。[それゆえ]学校を終えた後、共同体に有用な(岩井注:「建設的な」)人間となるように、家庭と学校で何らかの処置を取らなければならないということは明白です」


(注)この文章は、私がヒューマン・ギルドのニュースレター(2008年5月号)用にほぼそのまま使用します。

教育困難な子どもたち (アドラー・セレクション)
アルフレッド・アドラー
アルテ



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

これから何回になるかわかりませんが、ポツリポツリとアルフレッド・アドラー(1870-1937、写真)の著作を紹介していきます。
その第1回目は、概説です。



ホームページやブログを拝見していて「アドラー」や「アドラー心理学」、「勇気づけ」を語る人が増えているのは、それはそれで結構なのですが、私には、「論語読みの論語知らず」をもじって私が時々使っている「アドラー語りのアドラー読まず」の印象を免れないのです。

私は、もっともっとアドラー自身の本が読まれてもいいのではないか、との願いを込めてこのシリーズをスタートしています。

一部の方には耳が痛い話かもしれませんが、私の思いをご理解いただき、今回から始まる60男のたわごとに耳を傾けて、こんな私のメッセージをどうか寛容に受け止めていただきたいと存じます。

さて、アドラーの本の話です。

確かにアドラーの本は、読みにくいです。現在日本で翻訳・出版されている本が、講演録やケース・セミナーをもとにしたものであるため、重複も多く、また、アドラー自身が推敲に推敲を重ねて出版したものでないことがハンディになっているのは確かです。

フロイト(1856-1939)の本が名文の評価を得、一時期、高橋義孝というドイツ文学者によって訳されていたのとは、だいぶ違います。
フロイトは、多くの本を自分で推敲を重ねながら書いていたのです。
ちなみに、例外的な、1917年発刊の『精神分析入門』ですら、1915年10月から1917年3月にかけてのウィーン大学で2度の冬学期で行った講義がベースになっているもののかなり緻密で、論理的な一貫性があります。

アドラーの本は、自分自身で書いたものでないことのほかに、アドラーがドイツ語で語ったものが通訳を通して英語の本になって、あるいは、慣れない英語で話したものがそのまま本になったのが多いために、お世辞にも名文とはいえません。
そもそもフロイトのように、文章に関するこだわり(あるいは美学)がなかったのでしょう。

慣れない英語で話したものがそのまま本になったというのは、『アドラーのケース・セミナー』(“The Pattern of Life”として1930年にアメリカで出版、日本では拙訳により2004年7月に一光社から)を訳していてつくづく感じました。

それでも、文献的な価値は十分あります。アドラーの広い教養、哲学的な素養、臨床体験に基づく人間知が彼の本から伝わってきます。

フロイディアン(フロイト派)、ユンギャン(ユング派)と同じようにアドレリアン(アドラー派)を名乗りたいならば、アドラーの、せめて日本語でもいいから、出版されている本くらいはお読みになっていてもいいのではないですか、というのが私の本心です。

そういう立場から、このブログを読む方が、1人でも多くアドラーの本を読む気になるよう、あまり読まれることのないアドラーの本をじっくり紹していくことにします。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今まで長らくウルフの『どうすれば幸福になれるか』をテキストにアドラー心理学の考え方を紹介してきました。
今回は、そのシリーズの最終回のつもりです(またいつか続編をやるかもしれませんが)。

出だしは、茨木のり子の『女がひとり頬杖をついて』「答」からです。

ばばさま ばばさま 今までで ばばさまが
一番幸せだったのは いつだった?

14歳の孫娘から問われた祖母は、間髪を入れず

火鉢のまわりに子どもたちを坐らせて
かきもちを焼いてやったとき

と答えました。

ばばさまは、子どもたちにかきもちを焼いてあげたとき、つまり子どもたちに役に立っていたとき(貢献しているとき)に幸せだった、というのです。
かきもちを食べられるのをワクワクとした気持ちで座って待っている子どもたち、時間をかけて、ニコニコしながらもちを裏返している1人の女性、なんだか目に浮かぶようではありませんか。


ウルフは、「人間の幸福は、何かを持っている(Having)とか、何かである(Being)ということからではなく、何かを行う(Doing)ことから得られる。人類の社会組織に建設的な何かを貢献した人だけが、幸福なれる」と説いています。「答」が語っていることと一致します。

現代に目を転じてみると、物を持つこと(Having)、自分が何かになること(Being)にこだわる幸福感が蔓延しているように思えてなりません。
とりわけgive & take のうち give を忘れて take しか求めないような風潮は、モノ任せ、他者依存の、幸福論ではなく「幸運観」でしかないと、私は思います。
物を持つことにこだわると、得たものを失うと、とたんに不幸が訪れます。「持つことにこだわる不幸病」が内在しているのです。
しかし、何かを行うことや貢献することは、失うべきものがありません。

再びウルフの言葉に目を向けてみましょう。

幸福な人は、協調したり、社会のために、また人類の福利のために貢献したりすることによって、もともとの劣等感を補償できることを理解している。
そういう人が従っている方式は、「仲間と人々の幸福と安全のために役立たなければならない」という実に簡単なことばで表現できる。
この世で幸福を手に入れたいと願う人にとっては、これ以上すばらしい方式はないだろう。


ウルフの幸福論は、現代に通じる幸福論、もっと言えば、現代においてこそ深い意味を持つ幸福論だと思いませんか?

こんな思いを込めて、ウルフの『どうすれば幸福になれるか』を静かに閉じます。
あなたの真の幸福をお祈りいたしております。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

またしてもウルフの『どうすれば幸福になれるか』からです。

ウルフは、メタファー(たとえ)を使う名人であるだけでなく、寓話も実に巧妙に使います。
その中の最高傑作が「共感のテクニック」と題した次の寓話です。そのまま引用してみましょう。

ロシアのある小さな町の自慢は、たった1匹のロバだった。そのロバがどういうわけか突然いなくなってしまったので、町中が大騒ぎになった。
町の長老たちの秘密の会議が招集され、3日3晩、長老たちはその席でロバがいなくなった理論上の動機と原因は何か、どうすればロバを見つけられるかをまじめくさって話し合った。
重々しい空気の会議の最中、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
町の愚か者が入ってきて、迷子になったロバを見つけたというのである。長老たちが集まって知恵を絞ってもだめだったのに、どうやってロバを見つけることができたのか、と愚か者に尋ねると、彼は答えた。
「ロバがいなくなったと聞いて、私はロバの小屋に行き、ロバと同じように壁に向かって立ってみました。そしてロバになったつもりで、私だったら小屋を抜け出してどこへ行くだろうか、考えてみたのです。それからその場所に行き、ロバを見つけました」

私は、この寓話を『アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方』(コスモス・ライブラリー、写真)で「愚か者と長老たちとの共感能力の違い」として次のようにまとめました(表)。

 

普段の対人関係だけでなく、「ここ一番」という場面でも、現場・現実感覚を持った共感の勝利をうたったウルフ。
彼から学べることは無限です。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今朝もウルフの『どうすれば幸福になれるか』の下巻をもとにして、第11章「協力のパターン―愛と結婚」から「幸福な結婚の条件」を考えてみましょう。

「結婚は課題であり契約である。ただし、それを解決したり充足したりするには、長い間まじめに準備することが必要である」、さらに「結婚する前に相手をよく知ろうと努力しなさい。だが、いったん結婚したら、あるがままの相手を受け入れ、あるがままの相手を最大限に生かしなさい」と説くウルフは、

「幸福な愛情関係にある夫婦は、2人ともが客観的な自尊心と明確な社会的感情を持っていなくてはならない。相手を犠牲にして名声を追い求めるという神経症的な行動が一切ないことも必要である」

として、幸福な結婚の基本的な前提条件のいくつかを次のようにしましています。

1.精神的に成熟していること
2.身体が健康であること
3.視野が心理的に自立していること
4.愛する技術を熟知し、避妊法を心得ていること
5.成熟した社会的責任を持っていること
6.現実に譲歩する意志があること
7.ロマンチックな理想主義に向かいがちな傾向をはじめとする神経症の資質がないこと
8.人間としての興味の範囲が幅広く、偏っていないこと
9.成長し、協力し、時には悩み、人生の失望や喜びをいつも分かち合いたいという意欲を持っていること

これらは、日常生活のなかの愛の問題をうまく解決するための基本である。相手を勇気づけようとする意欲と、相手の立場に立って考える能力があれば、通常の障害は乗り越えることができる。


逆に、ウルフは、、結婚における避けられる不幸のほとんどは、次の3つの原因による、と確信しています。

1.人間の生理と愛の技術について無知であること
2.夫婦の間で名声を競っていること
3.相手を選び、共に暮らすという問題に取り組む際に幼稚なロマンチシズムを持っていること

こうしてウルフの結婚論を読み解いてみると、結婚は、対人関係の中で最も協力が要求される営みで、愛の技術を持ち、自己受容している自立した個人が、相手への共感をもとに、お互いに勇気づけ合う関係のなかで成り立つとまとめることができるようです。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

また、ウルフの『どうすれば幸福になれるか』 に戻ります。

ウルフの『どうすれば幸福になれるか』 下巻に目を通していると、まだまだお伝えしたいことが湧いてきます。

そこで、第10章「失敗のパターン」からメタファー(たとえ)上手のウルフらしい書き方をもとにクライエントとの関わりを学ぶことにしましょう。

ウルフは、平均的な神経症者を1人の外国人(旅人)にたとえ、その人がニューヨークからサンフランシスコまで車で行こうと決心して道に迷っているとして、その人をどうガイド(道案内)するかを次のように表現しています。

1.われわれの善意を示して、その外国人との間に信頼関係を作る。

2.彼の現在の位置をはっきりと教える(地図上で彼がいる位置を示してあげる)。

3.彼のやり方の間違った点を分析する(ニューヨークからの彼のコースをたどって、旅の最初の頃の間違いを説明する)。

4.旅を続けられるという自信を取り戻させる(彼の間違いは致命的なものだはないということと、ほんの少し時間と努力を無駄にしただけだということを示す)。

5.旅人と、彼が迷い込んだ見知らぬ土地の住民とを和解させ、旅の途中でまた見知らぬ人たちに出会ったら、上手に適応するよう勇気づける(相手が敵意があるように見えたのは、その国の習慣を彼自身が知らなかったためだと説明する)。

6.目的地までの新しい道順の計画を立てる(目的地が彼の力、あるいは車の能力以上であるなら、目的地を変更することも必要である)。

7.もっと独立心を持ち、間違いを繰り返さないために、地図の読み方を教える。

8.それまでの失敗に気落ちせずに、旅を続けるように勇気づける。

9.同じような目的地に向かう他の旅行者と一緒に旅をするように勇気づける。

10.脇道に入れば、どのような美しいものをを見ることができるかを教え、彼がそこにあるとは気づかなかった美しい場所を訪れるように勇気づける(芸術的、創造的能力を伸ばし、視野を広める)。

現代アドラー心理学(一部臨床心理学)の言葉を使うと、1~10は、次のような用語に置き換えが可能です。

1・・・・(相互尊敬・相互信頼の)関係の樹立
2・・・・ライフ・タスクの分析
3・・・・ライフ・スタイルの分析
5・・・・環境調整
6・・・・目標の一致
7・・・・再教育
9・・・・協力
4、8、10・・・・勇気づけ

こうしてみると、カウンセラー/セラピストのあり方をウルフが心憎いほどのたとえを使って教えてくれていること、カウンセリング/セラピーのあらゆる場面で、さまざまなかたちの勇気づけが必要なことを学べ、感動します。

それとともに天才ウルフが35歳の若さでこの世を去ってしまったことが惜しまれてなりません。


○アドラー・カウンセラーになるには?

1.すでにアドラー・カウンセラー養成講座を修了している人のために

 さらにあなたのカウンセリング・スキルや早期回想の読み方のレベル・アップにつながる講座がございます。カウンセリングだけでなくセラピーをも学べます。

 カウンセリング&セラピーの演習
  5月17日(土)13:30-18:30、18日(日)10:00-17:00 
  ヒューマン・ギルド研修室にて、受講料(会員)25,000円

2.これからアドラー・カウンセラーになりたい人のために
 ヒューマン・ギルドでは、アドラー心理学をもとにしたカウンセリングを指導しています。アドラー心理学ベーシック・コースと「愛と勇気づけの親子関係(対人関係)講座(SMILE)」を修了した人をアドラー・カウンセラー養成講座へと誘っています。
 詳しくは、ヒューマン・ギルドのホームページの「行事案内」をご参照ください。

   http://www.hgld.co.jp/event1/index.html



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今年1月海竜社から志道不二子さんとの共著で出版した『子育ていきいきアドバイスブック』(カラー写真)が「児童心理」5月号(金子書房)の「今月の書棚(Book Guide)」で紹介されました。

  

私が主張する「パートナーとしての親子関係の考え方」を強調し、「親としてのあり方を見直す視点こそが、よりよい人間関係づくりの要となるかもしれない」と結んでくれました。

金子書房は、私のロングセラー『勇気づけの心理学』(写真)を出してくれている出版社です。



このブログの紙面を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日の時事問題(授業料未納者入学式出席拒否問題)に関しては、平素の2倍の閲覧数、訪問数があり、ヒューマン・ギルドとはまったくご縁のない方からもコメントがありました。ありがとうございました。

さて、昨朝とはうって変わって、今日は私の得意料理のご紹介です。

昨晩は、家族のリクエストで「モツ煮込み」を作りました(写真)。



モツ煮込みは、私の十八番で、「居酒屋のモツ煮込みよりずっとうまい」と言われます。
それもそのはず、私が中学生の頃から通い詰めた宇都宮の屋台のおじさんの秘伝を受け継いでいるのです。

ポイントは、次の2点です。

1.汁は、味噌と醤油を半々ずつ(お酒も)
2.薬味は、玉ねぎ(ねぎよりずっとうまい)をみじん切りしたものと七味

素材は、次のとおり使いました(3人分)。かなりシンプルでしょう。

白豚モツ  400g お湯でゆがいて臭みを取る
こんにゃく  400g 小さく拍子切り
人参     150g いちょう切り
ニンニク   30g みじん(荒)切り
しょうが    40g 千切り
木綿豆腐  340g 采の目に切る

あなたもトライしてみませんか。とてもおいしくでき上がりますよ。

 



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