おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨夜(4月17日)、自宅に帰ったら、『プレジデント Baby』(2014完全保存版、プレジデント社発行)が届いていました。
「パパの性格別、育児への参加を促す話術」に私が協力した記事が掲載されていました。
ここにも、アドラー心理学ブームの一端が見られます。
さて、「アドラー心理学ブームについて」の16回目で、「課題の分離を巡って」の2回目です。
『嫌われる勇気』が与えたインパクトのいくつかのうちで、大きいものの1つに「課題の分離」があります。
今回は、その「課題の分離」のルーツをお伝えします。
ルーツは、残念ながらアルフレッド・アドラーではありません。
アドラー心理学の中で最初に「課題の分離」に近い概念として「誰にとって問題なのか?」を最初に書いたテキストは、ドン・ディンクメイヤーとゲーリー・D・マッケイが開発したSTEP(Systematic Training for Effective Parenting)です。
この最初のテキストの第5章「コミュニケーション:問題解決への模索と『I-メッセージ』」に子どもとの関係で親が問題を感じている場合にどうすればいいか、に関連して、「誰にとって問題なのか」と考えることを勧め、トーマス・ゴードン(親業の開発者、カール・ロジャーズの弟子)の次の言葉を引用して、問題の主を決める手がかりとしています。
1.子どもが自分の欲求を満足させられないために問題が起きている場合。
これは子どもの言動が親の邪魔になっているわけではないので、親の問題ではない。
あくまでも子どもの問題。
2.子どもの欲求が満たされ、しかも、それが親にとって何ら障害になっていない場合。
これは親にとっても子どもにとっても何ら問題ではない。
3.子どもは自分の欲求を満たし、何ら制約を受けていないが、それが親の障害となる場合、これは親の問題。
そしてSTEPでは、1.に対しては、「反映的な聴き方」や「結末」を体験させるやり方、3.に対しては、「I-メッセージ」を勧めています。
今回のポイントは、「課題の分離」は、アドラーが説いた理論でもなく、アドラー心理学のオリジナルの考え方でもない、ということです。
ただ、「課題の分離」は、アドラー心理学の中に採り入れられ、他の理論とも実によくマッチしています。
このことは、私が1983年からしばらくSTEPリーダーをやっていたので、よくわかります。
いいのでしょうか、私がこんなことを書いてしまって?
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