満開を過ぎてしまった「モッコウバラ」でも、結構、庭を華やかにしてくれます。
先週、鎌倉に出かけた。
目的は「お香」を購入する事。
近隣の町でも、お香を扱っている店もあるが、私の必要とする安価で扱いやすい物(ここが大事なのに)は置いていないと(ちょいエラソーに・・・ね)言うから、ま、鎌倉まで「買い出し」に行くみたいなものだ。
考えてみれば、鎌倉までの旅費を計算すると、多少、高くてもイイのだろうが、やはり、高価な品は私には似合わないからねぇ・・・それと、気分転換も大事な要素なのだ。
「お香」の件はさて置き・・・「北鎌倉」で電車(当然、鈍行)を降り、「東慶寺」に寄って「イワタバコ」の生育状況を眺め、「備屋」のサンドウィッチランチと珈琲で一休みの後、目的の「小町通のお香屋さん」という散歩1時間から2時間程度、「鎌倉」から帰宅の電車の乗るのが毎度のコースである。
今回は、同級生の友人が同行した。
散歩道沿いの店には、季節の花を飾ってある。
あ、これは、ほら、ナントカ薔薇よね・・・なんて寝ぼけたことを話していたら、店の方が「モッコウバラです」と教えてくれた。
そうだ、そうだ・・・と言いながら、それこそ3歩進んだ所の店にもこの薔薇が飾ってあったのだけれど、またまた、名前を失念、何たることよ!
ま、イイ加減に聞いているという事だろうね、もちろん、脳細胞の劣化が主だろうが・・・。
だけど、この花の名称を知っていて思い出せない私と、知らなかった友人との違いは何か?
結果的に「花の名前は分からない」という状況は同じだろう・・・と私は思う訳なのだが、覚えた筈の事が思い出せない、忘れてしまっている事を、世の皆が問題視するんだろうね。
ならば、知らないでいる方が良いって事か?
自宅の庭にある「モッコウバラ」を見ながら、こんなバカげた思索(思索に該当するのかな?)をしている・・・自分ながらも、実に、危機感の無い生き方をしているなぁと感じているし、今に自業自得の世界に陥りそうか・・・ともね。