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庭にある「椿」が、数にムラはあるものの、全てに花が咲いた・・・どうでもイイと言いながらも、何か、安心感もある(一応、俄か庭師としての責任か?)。
実は、屋敷の東隅(文字通り日陰もの状態)に、実生の「藪椿」が2本を藪から移植(無断です)して何年かなぁ、未だ花が咲かないのが気になっているが、果たして、「藪椿」にも肥料を施すべきか否か・・・と躊躇しているのである。
退職して15年、母の介護が終って7年、その上、コロナ禍での自粛2年目となると、ホント、ブログなどに掲載できるような出来事は何事も起こらない・・・が、平常な生活となっている。
だから(ま、コロナ以前からだが)、ブログ更新が悩みの種となって、半日くらい、あれこれ考える事が多い。
前日に「あ、これいいネタだな」と思うような事もあるが、翌日になると、いったい何を書こうと思ったのかが思い出せないのだから、まぁ、どうでもイイ事だったのだろうと納得して止めてしまうのだ。
そんな中で、唯一、我が家の庭で撮った花の写真を眺めている時、ブロブの更新をしなければ・・・と、臨戦態勢気分になる(生で実物の花ではこういう反応がないのはどうしてか・・・も調べるべきかも)。
所謂、「パブロフの犬」的条件反応なのだろうか・・・そんな自分を、時々、自嘲気味に笑ってしまうが、とは言っても、唯一、脳細胞が意図なく反応するのだから認めるしかないな・・・と思っている。
しかしながら、決して、ネガティブに捉えている訳では無く、何の目的も持たず花の写真を眺めているうちに、何とな~く、頭の中が整理されてきて、小さなアイディアや短い文章が浮かんで来るのが、結構、楽しい。
まだ、文章として何も纏まっていないのに、すぐさま、更新画面に一行目を入力すると、案外、次の言葉、次の文章が浮かんできて、ただただ、浮かぶままに入力を続けて行く。
さすがに、最終的に、その文章を見直すと、文章としては、全く、纏まりを見せていないから、5、6回の校正を繰り返しなら、曲がりなりにも世間に開示するブログとしての体裁を整えるが、結果、我が心情とはちょい違うかも・・・の雰囲気になっていると感じることもある。
思いのまゝを文字に表す事が、如何に難しいか・・・はたまた、体裁を整えなければ掲載出来ない小心者というか・・・まぁ、こんなことをグタグタ言い訳している自分が、一番、情けないのかも知れないね。
我が尊敬する兼好法師が、「徒然草」にて「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ」と述べているように、その内、私も、段々、腹ふくるる状態(否、単にコロナ太りでウエスト周りが膨張しているだけだが・・・)にならぬよう、もう少し、素直になろうかな・・・と考えている(もう、十分に直球だと言われそうな・・・)。
追記:「椿の花」の写真を、一気に掲載したのは、勿論、咲いた花を一つも排除できないという「花愛」でもあるが、ホンネとして、この写真を見る度に起きる「パブロフの犬」的条件反射を少しでも逃れたいという願望の現れでもある。