多分、母が好きだったのだろうと思う・・・我が家には、数種の「椿」が植えてあり、ポチポチながら花を見せてくれる。
その一種の「侘助」と勝手に決めているこの花だが、花形と雰囲気が、如何にも「わびすけ」という風情がするのが良い。
11日月曜日の午後7時過ぎ、姪が自分の仕事帰りに我が家に立ち寄った・・・申告の最終処理をするためである。
前回で終了する予定であったのに、必要書類が不足していて、確定処理をする事が出来ていなかったからだ。
その作業は1時間ほどで終り、申告書等を再印刷し提出書類を整えて、完全終了となった。
仕事帰りだったので小腹も空いているだろうと、軽く食事(といっても、インスタントラーメンだが)を作り、それを食べている間に仕事の仕方を伝授(そんな大げさなものではないけどね)したのは、「仕事は、まず準備。その準備を疎かにすると無駄な時間(今日にように、来る必要はなかったかも)を費やすことになる」という事だった。
姪が自分の仕事ではないものの、兄の事を思っての「捨てて置けない」という心境は大事だけれど、それが負担となっては「助ける」こと自体が出来なくなってしまう。
だから、必要書類を常に整えておき、作業を初めてからあれこれ探し回ることをしないというのが、早く仕事を完了する第一条件であり、それは、自分の仕事にとっても当てはまる事だと思う。
ゆっくり作業する事の良さもあるけれど、無駄な時間を省くことも大事だよ・・・と、まぁ、少々、先輩ブッテ忠告したが、彼女は理解してくれたと思っている。
てな訳で、我が恒例の仕事を理解してくれている友人らから、終了途端に嬉しいお誘いがあり、その一つが、2年前(だったかな?)運転免許証を返却した友人からだった。
今日に至るまで、「車が無くて不便だ!ドライブも出来ないから何の楽しみもない」を、繰り返し口にする友人に、「いくら不便だと嘆いても、決して、免許は復活しないし、以前の便利さには戻れない。それよりも、今の状況を受け入れて、どうしたらこの不便さを少しでも解消できるか、どうしたら楽しい日々を過ごしていけるかを考えて欲しい」と、何度も何度も話してきた。
そんな意見を受け入れる余裕が出て来たのか、ツアー(友人はツアー旅が嫌い)で京都に出かけたらしいが、物凄い(観光客が溢れている)京都となっていて「だからツアーは嫌なんだ」と言う。
私は、「京都が凄い事になっているのはツアーの所為でなくて、諸々の社会変化の中で、京都もそういう状況に陥っているのだ」と、まぁ、ツアー会社を弁護するつもりはないけれど、友人を諭した。
で、「私はね、若い頃に自由に旅をしてとてもイイ(イイというのも個人差がある)経験をした。それを求めて、再び・三度(みたび)行きたいという気持ちが湧いてこない。世の中は、良いにつけ悪いにつけ変わって行くものだから、自分が変化に対応出来ないのなら、もう行く意味はないと思う」と話をした、理解してくれたかどうかは分からない。
そんなこんなもあったが、友人からの突然の提案(提案されると拒否出来ないのが私なのだ)で、「三島駅」から乗り合いバスに乗って「元箱根の美術館」に向かう事になった。
そこで日本画をゆっくり鑑賞し、春の気配を感じる芦ノ湖の眺望を堪能しながら、美味し~い珈琲も十分味わった(所要時間5時間弱)。
友人は、箱根には車では何度も出かけていたが、「乗り合いバス」に乗るのは初めてだと言う。
「ほらね、京都まで行かなくても、すぐ近くに未体験な事があるでしょ?それを楽しい!って思う事が日々を豊かにするのだと思うよ」
一回りも年上の知人には言うまでもない事ながら、遠出で無ければ旅ではないという考え方が強くて、足元を楽しむ事が疎かにされていると感じた一日であった・・・友人にも、固定観念に縛られない解放感を味わって欲しいと願う。