行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

台形CSGダムとしては国内最大の「成瀬ダム」の現場見学で

2024年09月30日 | 土木構造物・土木遺産


念願の「成瀬ダム」の建設現場を視察する機会をいただいた。秋田県の雄物川水系成瀬川の上流に1983年(昭和58年)から秋田県によって実施計画調査を開始し、1997年(平成9年)建設着手、ダム本体工事を2018年着手し、いよいよ2027年に完成を目指す国交省直轄の多目的ダムだ。
このダムは日本生まれの新しい技術であるCSGダムというもの。CSGは、「Cemented Sand and Gravel(石や砂れきとセメントを混合する材料)」のことで、現地で発生した材料を使用し、CSGを断面が台形に積み上げた成瀬ダムは「台形CSGダム」と呼ばれるものである。
日本でもまだ数少ない型式のダムであるが、現在建設中のものを含めても成瀬ダムの規模は群を抜いている。堤高114.5メートル、堤頂長755メートル、総貯水量7850万立方メートル。完成すればCSGダムでは国内最大級、他の形式のダムを含めても東北地方でも屈指の規模ともいえるのではないだろうか?(堤高では長井ダム(山形県)ほか、堤頂長では森吉山ダム(秋田県)、有効貯水量では玉川ダム(秋田県)ほかが上回ってはいるが…)



このダムの特徴とすれば、現地の材料を使用することで環境負荷の低減が図れること。台形という形状は構造上必要強度を小さい上に強度を保てるため永久構造物としての品質(安全性)を確保できること。工期が短くコストが低減できることなどが挙げられている(鹿島建設の見学テラスの資料などから抜粋。建設費用は約2600億円、先に紹介した八ツ場ダムの半分以下だ。)。
さらに目を見張るのは、鹿島建設が開発した建設機械の自動化建設生産システム「A4CSEL(クワッドアクセル)」など、最新鋭のICTを駆使した施工技術が採用されている。特に少人数のオペレーターが複数台の重機を操作するなど、生産性や安全性を飛躍的に高めている。
すでに堤体の工事も最終盤で、堤頂部の洪水吐のゲート工事に差し掛かっていることから、残念ながら無人のブルドーザーが動くシーンは見られなかったが、重機を遠隔操作をしていた鹿島建設「KAJIMA DX LABO(写真下)」は、見学者に説明をするスペースとして開放されている(実際、オペレーションをした部屋は見学不可でした。)。



今回の見学には、「鹿島・前田・竹中土木特定建設工事共同企業体・成瀬ダム堤体打設JV工事事務所・KAJIMA DX LABO」のコンシェルジュ・鈴木さんが現場を案内してくれた。成瀬ダムでは、見学者を積極的受け入れてくれるほか、前述のテラスからの見学や現場内へのクルマでの先導のほか、KAJIMA DX LABOでは大型スクリーンやVR・タブレットを使いながら専属のコンシェルジュが案内・説明してくれる。
その鈴木さん、契約社員とのことであったが、東成瀬村の出身でUターンでこの仕事に就いたそうである。余計なことではあったが、「ダム建設によって、村も潤いましたね?」との言葉にそっと頷いてくれた。ダム現場から10数キロを下流の場所には現場事務所が「町」を形成していた(写真下)。村の人口より工事関係者が多いのではないかと思わせるくらいだ。(東成瀬村の人口は2,363人=東成瀬村役場、工事関係者はJVと協力会社を含めて約600人(2022年10月時点))
何回となく鈴木さんとはメールのやり取りをさせていただき丁寧に対応いただいたが、なにせ2名以上での見学でないとダメだというのでこの点は苦労した。遠い秋田の山間部、往復600キロ、しかも平日、ダムの工事現場しかない場所であるから、人を誘うにも気が引けてしまう。



新潟からだとクルマで5時間、非常にアクセスは悪いし、ルートの選択も難しい。東成瀬村に入っても30分以上の山道を行かなければならない。今回はハイエース小僧の大学生・ハヤタに「運転をさせてやるから。稲庭うどんをご馳走するから」と就活中にもかかわらず頼み込み、日帰り強行に踏み切った。
もちろんダムには興味はなさそうだったが、女性の鈴木さんがダム現場で働く姿を見て、見学後、現場を走り回ったハイエースを高圧洗浄機で洗ってくれている姿を見て、何かを感じてくれたらとも思った(かなり本題からは外れてしまったが、遠くまで来て感動的なシーンも多かったはず…)。
ダムは水を貯めて人々を守り、下流に住む人の生活を潤し、田畑を潤す。ダムは村の経済も潤す。そして見学者の我々に感動を与えてくれて心を潤す。台形CSGダムの特性から、この地でなければならなかったこともあるだろうが、重厚な周辺施設整備を伴った八ツ場ダムとは一味違ったダムのあるべき姿を見たような気がする。



ところで、この成瀬ダム、「念願の」と最初に強調したことに触れておきたい。成瀬ダムについては、3年ほど前の「ICTセミナー」で講演を聞いたことがきっかけとなる。自分は技術者ではないが、「成瀬ダム」の話があるということで、お手伝いとして参加した。(CSGダムについては<リンク>で詳しく解説してある。)
とにかく、最先端のICT技術が駆使されているDX LABOの話を聞いて、「絶対に行かなくてはならない!」と思った。が、時はコロナの渦中にあり、新しいプロジェクトのお手伝いをすることになって、なかなか行く機会を見出せなかった。こんなに工事が進んでしまっているとは。
あれ!セミナーの時に講演をされて、その後の懇親会で「見学させて!」と頼んだ三浦悟さん?鹿島建設の技術研究所のプリンシパル・リサーチャー?自動化施工推進室長?DX LABOに写真とコメントを発見(写真下)。そんな偉い人に気安くお声がけして申し訳ありませんでした。これまた感動で涙が出るほど潤いました。

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奥会津「柳津西山地熱発電所」の熱で可能性を感じる

2024年09月24日 | 土木構造物・土木遺産


ダムを見に行くわけでもないのに、今回もまた山の中を走っている。これまでも奥会津地方には何回か訪れ、只見川の電源開発に関連施設を求めて行き来してきたが、今回は少し山の中に入ることになった。今回の目的地はダム式の水力発電所ではなく、地熱発電所である。
走り慣れた国道252号から少し県道を入り、柳津町と三島町の境界を何回かまたぐ道のりは10キロ弱。西山温泉を通り過ぎて寂しい山の中ではあるが、道路は完全に舗装されておりくねった道を進んだところに突如大きな建物が現れる。東北電力の「柳津西山地熱発電所」である(管理は「奥会津地熱」、熱源供給会社)。
地熱発電は、地中深く地熱によって暖められた蒸気を利用しタービンを回す発電方式で、二酸化炭素の発生は火力にと比べてはるかに少なく、再生可能エネルギーとして注目を集めている。ダムばかり追いかけ、揚水発電の蓄電装置やコストなどの課題にぶち当たり、他の発電方式にも触れておこうと調べてみると、新潟からも日帰りのできる場所に、しかも白洲次郎氏が日本の発電事業のため力を注いだこの地に地熱発電所があることを知り出かけてみた。
(写真下:柳津西山地熱発電所の本館(発電所)と冷却塔)



この発電所では、最大出力3万kW(キロワット)の発電を行っているが、以前は6万5千kWで一つのユニット(タービンを回すまでの一連の設備セット)では日本で最大の地熱発電所を誇っていたという。完成が1995年(平成7年)ということで、運転開始から20年経過し、蒸気量が減少し効率化を求めてタービンの更新をしたため計画出力の変更に至ったそうだ。
確かにこの発電の運用は低迷していた時期があった。火力発電用の燃料が安かったことが大きな要因であるが、最近の化石燃料の高騰や価格不安定、輸入に頼らざるを得ない状況に加え、災害事故のリスク回避やクリーンエネルギーの活用などが叫ばれてきたことにより、再び熱を上げているようである。
再生可能エネルギーの中でも風力や太陽光は自然の力を利用するが、水力と同様に天候にも左右される。その点、無限ともいえる地熱エネルギーは安定性は抜群で、発電施設も更新を続ければ長寿命化が図れる。そして、何と言っても純国産という点で今後無限の可能性があるというところであろうか?
(写真下:発電所に続く道路脇に見ることができる蒸気パイプ(送水用か還元用かは不明)と2017年まで使用されたタービン(実物))



地熱発電は、地下深くマグマ溜まりの上層から蒸気を汲み上げる。柳津西山の場合も、複数の掘削井を地下1,500~2,600メートルへ折れ曲がるように掘られている。地中深いことから高度の技術必要であり、開発にかかる時間や経費は掛かる。綿密な調査と的確な掘削が採算のカギを握る。ただ、日本を含む火山帯の多い太平洋沿岸や構造帯付近はその可能性が大きいという。
発電所にの近くには大概温泉がある。温泉への影響は全くないとは言えないが、地底のキャップロック(帽岩=ぼうがん)の存在により地熱貯留層のほうが深い場所にある。むしろ、国内では山の中とはいえ自然公園内に設置されているものが多く、自然環境への影響や景観上を問題、火山性ガスの排出を指摘する声もあるとか。
ただ、柳津西山では発電所建設のための森林伐採は最小限にとどめているし、発電に使用した熱水や冷却水は再び地中に還元している(他の地熱発電所でも同様)ことや、地中から噴出する硫化水素等を改修する設備を設置し肥料などに利用している。他の地域では地下還元熱水を利用したハウス栽培などの例もある。環境への配慮、地域への社会貢献という面でも魅力が多いと感じた奥会津での柳津西山地熱発電所との出会いであった。
(写真下:発電所に併設されている「PR館」と掘削井を示した模型の展示物)

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山北の謎の卵の自販機&おしゃれな卵料理専門カフェの紹介

2024年09月21日 | 食(グルメ・地酒・名物)


新潟県村上市の旧山北町(さんぽくまち)を訪ねた際には、どうしても気になるところがもう一か所、ネットやSNSで話題となっていたところで、何やら不気味(?)な「卵の自動販売機」があるとのこと。寝屋漁港や八幡橋のある勝木地区からさらに北へ数キロ、県境に近い中浜地区(新潟県では最も北の集落)に向かう。
国道7号沿いにその自販機はあるが、周りには何もなく、ポツンと海岸寄りにたまご型のオブジェ(?)に「たまご直売所」と乱雑な手書きで文字が書いてある。そばには小さな小屋。この小屋の中に自販機が並んである。数種類の卵があるようで、6個480円と1個80円?確かに最近高くはなっているが、物価の優等生である卵としては破格の値段だ。
以前、米沢にあるufu uhu garden(ウフウフガーデン)の卵を紹介したが、そこでも1個30円を少し上回る程度だったので、そこから比べても倍以上の値段。安易な自販機販売と思いきや、なかなかこだわりがあるようで恐る恐るいくつか買ってみることにした。



昼近い時間の訪問。丁度、自販機に卵パックを詰め替えに来たお店の方に聞いてみた。まとめ買いする人も多くて、一日何回か切れ替えをしなければならないほどの人気ぶり。確かに、家に帰っていただいたが、黄身がしっかりして見た目はきれいだし、味わい深く、「あっ!卵の味だ」といえるものである。
なんでも、すぐそばにある海岸端の農場で、鶏を放し飼いにして飼育しているらしい。鶏舎をオープンにして、屋外に出るか出ないかは鶏任せ。ストレスフリーの飼育で、平飼いとはまた違う方式。その昔、仕事で10万羽以上飼育する農場を見てきたが、ここでは3,000羽に行かない飼育数だそうだ。
こちらの売りは「素王卵(そおうらん)」というネーミング。何でもビタミンEが普通の鶏卵より10倍、コレステロールが20%減とのこと。飼育環境だけでなく、資料配合にも強いこだわりがあるほか、HACCP方式の徹底した衛生管理を取り入れているという。その最前線の販売所が、この自販機ということになる。



この農場と自販機、オークリッチという会社の経営。そのオークリッチでは事業再構築補助金を活用して2023年5月、自販機のある場所から少し新潟寄りの海岸線に、放し飼い卵の専門店「海辺のテーブルエッグ」というカフェをオープンした(写真上:外観)。自販機とはかけ離れたおしゃれな外観・内装である。
店に入るとショッピングコーナーに例の卵が並べられている(写真上)。右手のカフェスペースは海が見える最高のロケーション。これまたおしゃれなテラス席からは粟島も望める。店内奥の壁一面にはきれいな海岸が描かれた幕絵(タペストリー?)が飾られてあるが、マッチしているというよりは「どこだ?」というインパクトがある。外のお庭などがもう少し整備されるといいかも。
さて、お客さんも少なかったので、中央の大きなテーブルに座りメニューを見ると、もちろん卵料理。オムレツやカルボナーラなどもあったが、迷わず「卵かけご飯(メニューでは「これが卵かけご飯」1,000円)」を選んだ(まあ、塩分制限の件もあるのですがー)。



確かに美味しい。ただ、1個80円?卵かけご飯1,000円は安いとは言えない。もちろん、先に触れたとおりこだわりが詰まっているのだし、いくら高くなっているとはいえ普通にスーパーに売っているのからすればプレミアム。まあ、人気だとは言っても、私としては特別な時にってところですかねー。
それにしても、料理を運んできてくれて説明が長い。卵の種類や自家製野菜(これは新鮮で美味かった!)、そして食べ方や小皿の品の詳細説明まで。料理担当や店員の方々もみんなこだわりと誇りを持っているんでしょうねー。
ちょっと身近過ぎるたまごでしかもシンプル料理なので食レポにはなっていないが、味や価格を考えるとufu uhu gardenのほうがコストパフォーマンスが高い感じはする。ただ、オークリッチのこだわりと安心安全の取り組みは拍手を送りたいし、今後の事業展開には注目していきたい。また足を向けた際には立ち寄ってみたいと思う。





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地域を支え、林業を支える生活道路にある木製アーチ橋「八幡橋」

2024年09月17日 | 土木構造物・土木遺産


前回、新潟県村上市の寝屋漁港を紹介したが、今回は、その近くにある橋を紹介したい。以前から気になっていたものだが、近くに出かけたら立ち寄ろうと決めていた。
橋の名前は「八幡(やわた)橋」、木製の2径間の下路式アーチ橋だ。長さ42.4メートル、幅7メートル(有効幅員)。市道に架かる橋で、2002年(平成14年)に市の単独事業として現在の橋に架け替えられた。床板にプレストレストコンクリート(PC)板、横桁に鋼材を使用しているものの、アーチ部・主桁・吊材・補材を含めて杉の集成材を使用している。
一度姿を消しかけた木製橋だが、日本の林業を見直しの動きや木製材の製造・加工技術の進化向上により、主に公園や観光地での歩道橋、もちろん神社や仏閣の参道などに取り入れられているが、この八幡橋はれっきとした生活道路上の橋であり、もちろん車両の通行も可能な橋なのである。



以前、九州・大分の佐伯市浅海井(あざむい)にある「合掌大橋」という木橋を紹介したことがある(この時は感動ものだった)。群馬・碓氷峠を紹介した時には碓氷湖の「夢のせ橋」に触れたが、いずれも公園内のシンボリックな位置づけの橋である。
日本三大名橋の山口・岩国の「錦帯橋」、静岡の大井川に架かる「蓬莱橋」などは歴史的な橋で有名であるし、木製トラス橋である埼玉・日高市の高麗川にかかる「あいあい橋」(日高市には個性的な橋の宝庫!)、長野県南木曽町の「桃介橋(福沢桃介にちなみ命名)」は吊り橋で全長247メートル。ただ、これらの橋はすべて歩道橋である。
今回の八幡橋は、それほど交通量はないとしても、生活に溶け込み、道路橋としてひっそりと市民を支えている。地味で、あまり脚光を浴びることのない橋であるが、自分はそれが橋の本来の姿であると思っている。その奥ゆかしさと担う役割こそ土木構造物の真価なのである。



地域的な事情というか、これまた生活産業に密着した所以がある。これは橋が架かる村上市山北地域(旧山北町:「さんぽくまち」)は、9割以上の土地が山林。地元の特性や地場産業、特産品を利用し、何とか林業を活性化させたいとの思いが込められている。現にこの地域にある小・中学校、市役所の山北支所は木造でできている(写真上)。
このような地域は、日本の国土の各地にある。しかも古くから林業は日本の建築物を支えてきている中、外材の輸入などにより地域産業として衰退し、少子高齢化、過疎化を生んでいる山間部の小さな村も多い。そんな中で国産材をアピールするための八幡橋の存在意義は大きいのではないだろうか?
八幡橋には、2径間の途中の海側にバルコニーがあって、日本海に沈む夕陽や八幡(はちまん)岩を見ることができる(写真下)。林業の町でありながら、前回紹介した寝屋漁港や笹川流れの海の景色も楽しめる。これまたなかなかない特徴なので、今後のまちづくり・地域おこしの展開が楽しみな「マディソン郡の橋(クリントイーストウッド監督主演映画。ストーリーはフィクションらしいが、木製橋はアイオワ州で実在)」ならぬ「岩船郡の橋」なのである。(「岩船郡」=旧山北町を含む郡名)



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山形ロケに唯一食い込んだ、新潟・寝屋漁港の魅力とは?

2024年09月10日 | 本・雑誌・映画


ひょんなことで映画を見た。といっても2年前に公開されている邦画「アイアムまきもと」という阿部サダヲ主演の映画がテレビで放映されていた。そのロケ先がどうしても見たことのある場所のようで気になって調べてみたところ、やっぱりということで腰を上げて出かけてみることにした。
映画の内容は、海外のヒューマンドラマを原作に、日本版にシリアスでもありコミカルでもあるが、何か社会問題を問いかける内容のもの。身寄りがなく亡くなった方の葬儀や埋葬を担当する市役所「おみおくり係」の牧本(阿部サダヲ)のお話だが、ここでストーリーには触れないことにする。
冒頭、「庄内市役所」が映し出され、その後の風景などを見ても、そこ(ロケ地)が山形県庄内地方であるということが容易に理解できる。市役所は酒田市役所、住宅は鶴岡市の市営住宅、火葬場は庄内町ということだが、墓地だけは景色が変わるのでどこだろうと調べると山形市の霊園だそうで、いずれにしても庄内・山形でのロケであることが分かる。庄内を舞台にする映画、多いですよね!(写真下:映画のPRとロケ地紹介のパンプレット。酒田観光物産協会「やまがた酒田さんぽ」から掲載。)



確かに山形市の霊園ロケ地ほど違和感は感じなかったのだが、庄内地方にも岩場の海岸線があるのに、海岸端にある独特の形の岩と漁港は見たことがある風景。そう、お隣の町・村上市の笹川流れにある寝屋(ねや)漁港の風景だ。「鉾立岩」は笹川流れの奇岩の中でもシンボリックな岩場ですからね。
映画で、市営住宅で亡くなった蕪木(宇崎竜童)の家族を探すため、漁港で食堂を営む蕪木の元恋人・みはる(宮沢りえ)を訪ねた場所が寝屋だった。鶴岡市にも、由良(ゆら)や小波渡(こばと)などの漁港はあるのだが、多分、鶴岡市の海岸線を南下しながらロケ候補地を探し、港湾指定の鼠ヶ関港へ来たところでもう少し南へ、県境を越えた第二種漁港・寝屋港にたどり着いたのではないかと予想している。
映画の解説やロケ地紹介でもほとんどこの寝屋漁港については触れられていないが、鉾立岩が見える場所で、港の防波堤、入江を挟んだロケーションに加え、雰囲気を醸し出す食堂(実は、JFの直売所)の景色がこの映画の監督・水田伸生が描いたイメージだったに違いない。



映画の中ではみはるの働く「みはる食堂」、実在するのはJF新潟漁協山北支所の直売所で、屋号は「新鮮屋」という。漁港で水揚げされた新鮮な魚介を提供する店だが、これまた口コミなどで調べてみるとこの店が気になって仕方なくなる。(こちらも詳しくは触れないが、評価が真っ二つに分かれているので各自で検索してほしい。)
店は映画のシーンそのものにテラス席テーブル席が並び、そこから漁港や鉾立岩が望める。宮沢りえとは相当のギャップで接客に対応するお兄さんも、ニヤリとしてしまうくらいこの土地の魅力を醸し出す。そんな魅力を感じてだろうか、山形県ロケに唯一新潟県の地が食い込むほどのシチュエーションが揃っていたんだろうな。(ロケ中に阿部サダヲと直売所のお兄さんの会話はあったのだろうか?どんな会話だったのか気になる。)
私が訪れたのは8月末。この地方では岩ガキの季節で、「笹川流れ」といわれる風光明媚な海岸線沿いの食堂や民宿では岩ガキが提供される。直売所・新鮮屋でも新鮮な岩ガキの殻をその場でむいて提供している。テラス席に一人座って漁港を眺めながら美味しくいただきました。1個800円。これは紛れもなく口コミでも高評価をしてもいい品でした。(写真下:岩カキの写真で、レモン果汁は持込品です。)



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碓氷第三橋梁(めがね橋)はもちろん、見どころ満載「アプトの道」

2024年09月05日 | 鉄道


群馬訪問最終章は「碓氷鉄道文化むら」の記事の続きになる。鉄道文化むらがある信越本線・横川駅から軽井沢間の碓氷峠越えの区間の約11キロ、アプト式時代に使用されていた旧線は1997年に廃線になったが、現在その一部は「アプトの道」として遊歩道(ハイキングコース)として整備されている。
その途中にあるのが写真の通称「めがね橋」と呼ばれる旧信越本線「碓氷第三橋梁」である。全長91メートル、高さ31メートル、イギリス人技師により設計されたというレンガ造り4連アーチ、使用したレンガの数は200万個とも言われている。1893年竣工。現存するレンガ造りの橋では国内最大規模で、国の重要文化財である。
碓氷峠の山の中にあるのだが、遊歩道でのアクセスのほか、私のような汗をかきたくない、時間がないという者のため?旧国道18号からすぐ橋梁下部に容易にアプローチが可能で、遊歩道に続く階段で橋の上まで登ることができる。(当然、遊歩道利用者は階段を降りて下から見上げることも可能。)旧18号沿いには駐車場やトイレも完備されている。紅葉の頃は人気スポットだという。



この第三橋梁、歴史的に見ても価値があることは間違いないのだが、実は先の富岡製糸場の世界遺産登録が検討されている時点では、構成遺産群の一つとして候補に挙げられていたものの、橋梁の建造目的は繭や生糸などの貨物輸送よりも、旅客輸送に重点が置かれていたことから削除された経緯がある。(せめて土木遺産であってもいいと思うのだが…)
ただ、遊歩道は横川駅(鉄道文化むら)から途中の6キロの旧熊ノ平までであるが、その間にある第三橋梁を含む5つの橋梁、10か所のトンネル(遊歩道区間すべてのトンネル)、加えて丸山変電所蓄電池室及び機械室、熊ノ平変電所本屋と18もの鉄道関連施設が国の重要文化財に指定されている。遊歩道を歩かなかった自分はかなり損をしていますね!
前回からの繰り返しにはなるが、鉄道文化むらだけでなく、アプトの道を歩くことによて貴重な鉄道遺産に触れることができるほか、周辺には碓氷関所、坂本宿、峠の湯、碓氷湖など見どころも多い。上信越道「碓氷橋」(全長1,262メートルの斜張橋)」、碓氷湖の「夢のせ橋(碓氷湖の人道橋)」、アプトの道には含まれないが「碓氷第十三橋梁(重要文化財)」などなど、周辺には群馬が誇る橋の数々、こちらもぜひ見てほしい。


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「鉄道文化むら」は、碓氷の峠の高みを目指して!

2024年09月02日 | 鉄道


今回の群馬訪問で最後に紹介するのは「碓氷(うすい)峠鉄道文化むら」だ。ついに、錆びついた自分の鉄を磨くため?鉄ちゃんの聖地でもあるので、まあ以前にも来たことはあるものの、敬意を表して帰路に就く前に訪問しようと決めていた。
長野新幹線が開通し、信越本線の横川・軽井沢間は1997年には廃止が決定された。旧松井田町(現・安中市)は、横川駅構内の運転区の施設を地域活性化に役立てようと、地域住民や周辺の自治体などとも協議を重ね、この鉄道文化むらを整備することとなった。
碓氷峠で活躍した鉄道車両や資料を展示するほか、JR線直結という利点を活かし、国鉄時代の車両や機関車を展示する一大テーマパークとなった。動力車・車両・貨車など現在40数両を保有。施設は安中市が所有、指定管理者として一般財団法人・碓氷峠交流記念財団が運営している。



資料館朝一番の入場。夏休み期間ではあるが施設内はガラガラ。ちょっと張り切って、駐車場で開館時間になるのを待っていた自分が恥ずかしくなる。以前は混んでいた記憶がある。でもその分、短い時間ではあったが、ゆったりと十分に観覧することができた。
旧運転区の事務所を改装した資料館には、信越本線最大の難所・碓氷峠との闘いの記録がパネルで展示されている。勾配66.7‰(パーミル=1000分の1、1000メートルで66.7メートル昇降する勾配)に挑む鉄道マンの労苦や輸入機関車、日本初の幹鉄路での電化、アプト式(敷設したラックレールに動力車に設置した歯車をかみ合わせて勾配を上る方式)の峠越え専用のED40電気機関車の開発、峠のシェルパ・EF63電気機関車の開発・導入に至るまで、急勾配克服と時短を図るための歴史がここにある。
一方、屋外には貴重な車両が静態保存されているとともに、運輸区車庫を活用した鉄道展示館にはEF63の展示や運転を体験できるシミュレーター、何と動態保存されたEF63そのものを運転できる体験コース(400メートル)なども備えている。(有料の、学科・実技講習を受講する必要あり。)




めちゃくちゃ興味深い場所であるが、どうしてもわくわく感が湧いてこない。自分にはあまりにもマニアックすぎるからか?そうでもないとは思うのだが、入口ゲート前には遊園地のような乗り物が並び、園内にはミニSLや「あぷとくん」という園内周回するファミリー向けのミニ列車が運行されて人気となっている。
ただ、奥の車両展示スペースには、各地から集められた貴重な車両が展示されているものの、こちらの客入りはガラガラ。展示車両の部品は心無いマニアにより盗難されているというし、車両そのものは劣化も激しく、補修・整備に要する費用が急増している状況にあって、運営する財団では一般市民からの寄付や協力を募っているそうだ。
コロナ感染症の影響もあるのだろうが、鉄道文化むらの滞在者数は2019年56万人だったものが37万人台と落ち込んでいる(資料:安中市道の駅基本構想検討基礎資料集、入園者数とのカウントの方法が違う?)ようだが、この重厚でマニアックな資料や施設環境と、一般入園者を呼び込むためのファミリー向け遊園地化がどうしてもミスマッチに思えてならない。



展示資料の保存環境、一貫性、地域との密着感は先に紹介した「くりでんミュージアム」の方に強く魅力を感じる。子どもが鉄道という乗り物に親しめるという点では、立地は厳しいものの糸魚川の「ジオパル」をお勧めする。個人的な意見ではあるがー。
もちろん、鉄道文化むらの取り組みを否定するものではない。なにせ貴重な資料の数々は間違いなく鉄道資料館としては最高峰であり、歴史的な土地、首都圏からもアクセスが良く、後背地には軽井沢という一大観光地も控えている。滞在者数の記事にもあるように隣接地に「道の駅」設置などの新たな構想もあるようだ。
中山道・碓氷峠をベースに、先に紹介した富岡製糸場や甘楽町小幡、地元の坂本宿の歴史、次回紹介するめがね橋などの鉄道遺産の数々、そして信越本線横川駅とともに140年の歴史を持つ「峠の釜めし・おぎのや」などとの連携によって、さらなる魅力を引き出してもらいたい。(これまでも「碓氷峠鉄道文化むら」と「おぎのや」はたびたび周年事業などでコラボしている。おぎのやの前向きで積極的な経営は、常に峰の高みを目指している(おぎのや4代目は、故・高見沢みねじ氏))

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おっと!六合(くに)村には鉄道が走っていたんだって

2024年08月31日 | 鉄道


実はノーマークというか、まったく眼中になかった、ハッキリ言えば知らなかった。俺の「鉄」は錆びていることを改めて実感したのは、八ツ場ダムから吾嬬橋へ向かう途中、クルマから何だか貨物貨車のようなものが見えた。吾嬬橋の帰りに立ち寄ってみることにした。



「旧太子(おおし)駅」の跡地を活用した復元・展覧施設があった。軽井沢のように「軽便鉄道があったのか?」と思ったら、れっきとした旧国鉄線。吾妻線(当時は「長野原線」)の駅だったという。それはそれは小学校4年生から日本交通公社の時刻表をバイブルとしてきた自分にとって不覚であったし、ショッキングなことでもあった。
群馬鉄山の鉄鉱石の搬出のために整備された貨物専用線で、1945年吾妻線の長野原草津口まで開業と同時に営業を開始した路線(5.8キロ)と駅であるが、その後国鉄に移管。翌年、長野原線に組み込まれ旅客営業も始めたという。当時は、終着駅ということですかね。
歴史ある5.8キロの区間であるが、鉱山の閉山とともに1966年貨物輸送が廃止、渋川・長野原間の電化からも見放されて、長野原線の西への延伸(当時は「嬬恋線」)に伴い、国鉄の分割民営化議論を待たずに1971年に廃止。長野原線は吾妻線と改称され「大前」が終着駅となった。この複雑な歴史に、当時の自分は付いていけなかったのだろう。



吾嬬橋を紹介した時にも触れたが、「太子」は旧・六合(くに)村の中心地で、群馬鉱山(群馬鉄山)は北に8キロほどのところにあった。日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)が採掘をして、鉱山から太子駅までは8キロにも及ぶ索道で鉄鉱石を運び貨物列車に積み替えて、京浜工業地帯に運び出していた。
1965年に露天掘りの鉱山資源が枯渇し閉山、間もなく太子線・太子駅も廃止となるのだが、現在、駅舎や駅構内は中之条町により復元されているが、鉄鉱石を貨車に移すためのホッパーを中心とした遺構としてそのままの状態で保存されている(国の登録有形文化財)。
復元駅舎内には当時の写真や鉄道関連品などが展示されている。屋外には、鉄鉱石を運び出すのに使用した無蓋車、大井川鉄道から譲り受けたという貴重な有蓋車なども展示している。また、JR東日本には長野原線で使用していた蒸気機関車を譲り受ける交渉もしているとか。六合という土地の持つ歴史を後世に伝えようとしているのである。



本来であれば、廃線跡を辿りながら鉄道遺構を探したり、鉱山跡地(現在は、国内でも最大のチャツボミゴケ生息地として公園化されている。国の天然記念物に指定、正に「六合(くに)」の宝だ!)にも足を運びたいところでもあるが、まったく予想もしていなかったことで、県境を越え南相木ダムへ移動を急がなければならなかったため、ホントにザックリの紹介になることをお詫びしたい。
前回、八ツ場ダムでも少し触れたが観光面いどう活かしていくか!歴史を絡めて地域の魅力を伝えていくか!特に、六合へは、長野原町を経由するルートが一般的だし、中之条町との間には東吾妻町がある。すでに実施されているとは思うが、吾妻川でつながる草津町や嬬恋町とも広域的な町村連携がカギになる。
太子駅復元、ホッパーの修復にはクラウドファンディングにより多くの一般市民から寄附があったと聞くが、ぜひ多くの方々の思いを寄せ、地域住民が協力しながら、今後の吾妻川流域・吾妻線沿線の観光地としての方向性を見出し、盛り上げてほしいと思う。そのベースキャンプの役目を負うのが八ツ場ダム周辺なんだろうなー。


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八ツ場ダム!建設費は日本ダム史上最高額というが

2024年08月29日 | 土木構造物・土木遺産


決してダムづいている訳でもないのだが、群馬を訪れたからにはこのダムを紹介しないわけにはいかない。それが「八ツ場(やんば)ダム」だ。
利根川の支流である吾妻(あがつま)川の中流、群馬県長野原町にある国土交通省関東地域整備局が管轄する多目的ダムだ。堤高113メートル、堤頂長291メートル、重力式コンクリートダムで、洪水調節、不特定利水、上水道、工業用水、発電を目的として2019年に完成した若いダムである。
大規模ダムの多い利根川水系において、奈良俣ダム、八木沢ダムの大きさにはかなわないものの、群馬の最大観光地・草津温泉に続く国道145号沿いにあり、山奥のダムと違って容易に目にすることのできる巨大多目的ダムとして、その観光面でも機能し始めている。丁度、景勝地の「吾妻峡」の上流部にダムがある。



なぜこの若いダムを取り上げるかというと、八ツ場ダムの着工は1967年(昭和42年)、利根川改訂改修計画が打ち出されたのは1952年(昭和27年)ということは、着工して52年、計画発表段階からだと67年もの長い時間をかけて、ついこの間出来たというダムなのである。
経済成長にあった当時、度重なる台風被害や高まる電力需要とも相まって必要性が叫ばれていたが、建設予定地のいたるところで地域住民の建設反対運動が巻き起こっていた。利根川の悪例として「沼田ダム」という日本でも屈指の大規模ダム(総貯水量8億トンとも9億トンともいわれた。)は、計画途中の1972年に中止が決まったというのも八ツ場ダム建設にとっては逆風だったのではないだろうか。
ダム建設によって固定資産税を確保しようとする地元自治体の思惑やダム建設反対の町長の就任、中曾根康弘(地元選出、当時自民党幹事長、建設反対)vs金丸信(国土庁長官、建設推進)といった中央政界の大御所を巻き込んだ対立も生んだ後、このダムを一躍有名にした民主党政権の中でのマニュフェスト・事業仕分けなど、幾多の困難を乗り越えて2011年に建設は再開、本体工事は2014年になってから始まったダムなのである。
(写真上:整備局八ツ場ダム管理支所建物と建物内に設置されている「なるほど!やんば資料館内部の展示室。苦難の歴史を紹介する年表パネルも見える。)



この八ツ場ダム、何が日本一かというと総事業費5320億円で、まあ年々事業費はかさむ傾向は否めないが、長期にわたったということからしても日本のダム建設史上では最高額になる。まあ、決して誇れることではないかもしれない。
次々に目的が付け加えられてダム自体重厚な設備になったこと、移転補償はもちろん、堤体脇に資料館や「やんば見放台」という展望所、堤体内のエレベーターの開放などの見学者サービス施設の設置、地元の要望などによりダム管理施設の八ツ場資料館、JR吾妻線の付け替え工事と新駅(川原湯温泉駅)、道路・橋梁の整備、「道の駅・八ツ場ふるさと館」や「川原湯温泉あそびの基地NOA(日帰り温泉・キャンプ施設)」などのいわゆる地元に対する見返り施設も建設されている。
先にも触れたとおり、既存の観光地と八ツ場ダム関連施設がさらなる観光客を呼び込むことになっている現状はあるようだが、「ダムで発展した町」だけでは長続きしない。前回、歴史深い土地(吾嬬橋)と紹介したが、その辺の眠った観光資源を発掘しリンクさせるとともに、首都圏を守るというダムそのものの役割や計画から半世紀以上の歴史を発信していくことも、新たな魅力を創造することになるのではないだろうか?
(写真上:堤体内に設置されているエレベーターは見学者にも開放されている、下から八ツ場ダムを見上げるとその大きさを感じることができる。写真下:「道の駅・八ツ場ふるさと館」脇の「不動大橋」は世界初の複合トラスエクストラドーズド橋、パンフレットはJR吾妻線の付け替えにより廃線跡を利用したレールバイク「アガッタン」のPR用。)








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大切にされている群馬の橋、土木遺産の4橋の紹介

2024年08月24日 | 土木構造物・土木遺産


群馬に2泊3日、新潟からの往復の時間を考えると正味2日間という中で、朝から晩まで走り回る。
群馬には魅力的な「橋」が多い。坂東太郎「利根川」の源流部を持ち、その支流の数々は上州の赤城、尾瀬、三国、白根、榛名、妙義の名だたる山々を駆け下り、山肌を削り、深いⅤ字渓谷を作る。県北部や西部などは河岸段丘の上に街並みが存在するケースが多い。よって、橋は都市間を結ぶために重要な存在にもなっている。
群馬県では、その橋のある風景を大切にしている感じがする。県土整備部がPRしているのをはじめ、テレビや新聞などでも特集として取り上げ、財産・資源として活用し保存する取り組みが行われている。今回の群馬訪問では、数々の橋の中から土木遺産として認定されている4橋を紹介したい。



「鷺石橋(写真上)」は、群馬県沼田市の利根川に架かる橋だ。今こそバイパスが完成して交通量も変化したのかもしれないが、高崎方面から17号線が沼田市街地に入る直前にある。以前から、橋の西詰付近で直角に近い形でカーブを切る国道を上越線の車窓から見ると、いよいよ県境が近づいてきたという感じを持ったものだ。
1929年完成。鋼プラットトラス2連で、橋長104メートル。幅員が5.5メートル?架橋当時との交通事情は違ったとしても、国道としてはやけに狭い。まあ、1970年にはすぐ下流に新鷺石橋が完成しているので、現在は歩道橋として使用されている。そうすると、電車の窓から見ていたのも新鷺石橋なんだなー。
鷺石橋は3代目。上流・下流に川の狭窄部があって、過去に架けられた木製の橋は洪水で流されたこともあったが、現在3代目・4代目が仲良く並んで沼田市民や訪れる人たちを迎え入れてくれる。群馬の数ある橋の中で、現存する鋼プラットトラス形式の橋としては唯一のもの。2020年、土木学会選奨土木遺産。



次の橋は少し山あいに入る。利根川の支流・吾妻川、長野原付近で合流する支川の白砂川をクルマで10分ほど遡った場所に目的の橋「吾嬬(あづま)橋(写真上)」がある。群馬県中之条町六合(くに)(旧・六合村)という歴史ある土地にあるが、草津町、長野原町とではなく、中之条町と2020年に合併。いろいろあったようだが、ここでは言及しない。
そんな歴史の中で、吾嬬橋は1901年(明治34年)に完成した現・渋川市の坂東橋の架け替え(1959年)により、3連のトラス橋のうち1つを旧六合村などが譲り受けたもの。坂東橋からは1世紀以上、かなり年代物でレアな橋が山の中にひっそりと眠っていました。(新吾嬬橋の開通(1980年)により、現在は通行規制中)
国内唯一のピン結合タイプのペンシルベニア形鋼トラス橋、橋長69メートル。2006年土木遺産に選奨。ピン結合?ペンシルベニアトラス?というと鉄道橋のような感じもするが、実は坂東橋時代には、東武鉄道の軌道が路面に併設されていたのだそうだ。こちらもなかなかの歴史を持っていますな!



都市部にもありました!藤岡市と高崎市の旧国道17号線(主要地方道・前橋長瀞線)、烏川に架かる「柳瀬橋(写真上」。ポニートラスの10連は見事!1930年架橋で、ポニートラス橋としては現存する中で最長の349メートルという貴重な橋である。
確かに昭和初期に架橋されたポニートラス橋は、どんどん姿を消していっているし、そもそも長径間には向かない構造である。しかし柳瀬橋は、国道17号の倉賀野バイパスが完成(1969年)してからは交通量も減ったとはいえ、旧中山道の「渡し」同様に、群馬の主要都市間を結ぶ重要な位置で現在も活躍中だ。
橋の下流方向から西方を望むとJR高崎線の橋梁があり、観音山、そして遠くに榛名山や浅間山なども望める。夕景などは高崎周辺の人たちには「上州の風景の象徴(高崎新聞・橋の風景から②)」として印象付けられているようであるが、下流方向には歩道専用橋が架けられていて、この点少し残念な気もする。2013年土木遺産に選奨。



最後に紹介するのは、私がベースキャンプとした富岡市と下仁田町の境である鏑(かぶら)川に架かる「只川橋(写真上)」だ。前回、雄川でも触れたように、この地域の川は深く、鏑川もその代表格。この地点は特に深い場所であるが、下仁田の人たちにとって重要な生活道路である県道(旧国道254号)の橋である。
橋長は82メートル、1931年完成の2ヒンジ鋼ブレースドリブアーチ橋。鏑川には、コンクリートアーチ橋は多いが、当時の技術では60メートルが限界、そこで満を持して群馬県では初の鋼トラスアーチ橋が採用されたという。トラス構造が美しいというが、両岸絶壁で谷が深く河原に降りることができず、その全景を写真にとることはできなかった。
現在の只川橋は4代目。富岡市立吉田小学校の副教材からすると、以前はかなり川面近い低い場所に木製の橋があったが流されたり、幅30センチの吊り橋だけだった時代もあったりしたという。美しく、芸術的なこの4代目・只川橋は地域の念願の橋であり、自慢の橋であるということが伝わってくる。2011年、土木遺産選奨。

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世界遺産もいいけど、お隣の「小幡」の町も必見ですよ!

2024年08月20日 | 土木構造物・土木遺産


群馬での滞在先は富岡市。群馬県の南西部にあり人口4万5千人強。妙義山や上州一の宮・貫前神社、県立自然史博物館、群馬サファリパークなどを市域に持つが、何といっても「富岡製糸場と絹遺産群」として世界遺産に登録、大河ドラマにおいて渋沢栄一が登場したこともあって一躍脚光を浴びる町になった。
富岡市は、ご承知のとおり官営の製糸工場である富岡製糸場(写真上:富岡製糸場正面と富岡の町の玄関口である上信電鉄の富岡駅)の設置により繁栄をした。明治初期のことで、古い町並みは確かに魅力的で、富岡製糸場とともに当時の雰囲気を味わうことができるが、一方で市街地は道幅が狭く道路も一方通行が多い。富岡製糸場付近には駐車場もない。
そもそも富岡製糸場や世界遺産について私がここで紹介・説明するのはおこがましいことでもあるし、世界的な観光都市よりももっとマニアックな場所を求めて探していると、富岡市街から車で10分ほどのところに土木遺産があるではないか!



お邪魔したのは富岡市のすぐ隣り町の甘楽町(かんらまち)。「甘楽(甘良・から)」という地名は、奈良時代までさかのぼるという歴史ある土地。その中で注目は、小幡(おばた)地区。江戸時代に、織田信雄が所領として与えられて初代・織田信良により陣屋が置かれ城下町として発展する。
陣屋や数々の武家屋敷、その中を貫く中小路、御殿(陣屋)に併設された大名庭園で池泉回遊式庭園である国指定名勝「楽山園(写真上)」などなど、江戸時代の貴重な文化財が保存されているとともに、復元されている(写真上:小幡藩陣屋の絵図)。これらが2010年、全国でも16番目の歴史的風致維持向上地区(歴史まちづくり法)の認定都市ともなっている。
街並みをぐるぐるっと巡ってから、小幡の中心部にある大手門跡のすぐそばにある「甘楽町歴史民俗資料館」にお邪魔して、係員の方に甘楽や小幡の歴史について懇切丁寧に説明いただいた。大手門を境に南側が武家屋敷、北側が商家や養蚕農家の街並みを見ることができる。(時代は、若干違うのだが、街並みはマッチしている。)



確かに養蚕が盛んになったのは大正期。歴史民俗資料館は繭倉庫として造られたものだが、農協倉庫などを経て資料館に改装したもの(写真下:資料館全景と展示写真)。1926年(大正15年)、レンガ造りの養蚕最盛期を象徴する建造物であることから町の文化財に指定さた後、近代化産業遺産、日本遺産にも認定されている。
武州・上州・信州では養蚕業が盛んであったが、この甘楽町もその産地のひとつ。官営の技術者を養成するといった目的で設置された富岡製糸場、全国の養蚕業を支える器械製糸の指導者である工女を輩出していった。その下支えをしたのが富岡周辺の養蚕農家であった。(熱く語ってくれた資料館の係りの方の受け売りですがー。)
富岡製糸場の周辺には、甘楽社、大仁田社、松井田社といわれた組合式の製糸工場が設置されていて、実は官営の富岡製糸場とともに富岡の製糸業と日本の外貨獲得のための模範的工場が立ち並んで一大産地を形成していた言ってもいいようだ。そのひとつの供給地が近郊の甘楽であり、江戸期から大正期にかけての武家社会や養蚕業を中心とした日本の産業革命による繁栄などを、街並み全体で表現しているのが小幡なのである。



さて、その小幡にある土木遺産はというと「雄川堰」というかんがい設備である(写真下:小幡中心街と路地裏の用水路)。正確な築造時期は不明だが、鏑川をはじめとした深い谷を形成する土地形状から、織田氏が所領するころから整備が進められたという。この趣のある街並みに古くから生活用水を供給してきたものである。
小幡の中心地から鏑川の支流・雄川を3キロほど上流にある大口(取水堰)から、町中に引き込んだ用水を小堰を各所に設けながら武家屋敷に生活用水を供給するとともに、下流北部の水田を潤す農業用水として、また動力源として多目的に活用された。これが世界かんがい施設遺産(2014年)をはじめ、名水百選、水の郷里百選、疎水百選に認定され、2010年に土木学会選奨土木遺産に選奨されている。(果たしてこのエリアにいくつの認定項目が存在しているのだろう?)
藩主の織田氏・松平氏は水奉行をおいてこの用水を管理していたが、一時水の汚染が心配された時期(昭和50年以降)には住民の手で浄化運動が始まり、現在も当番制で清掃・管理が行われているそうだ。富岡もいい町との印象だけど、甘楽・小幡の街並みを支える住民の姿は感服する次第だ。世界遺産へ行った際には、ぜひ足を向けてもらいたい町だ。






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ここでも太平洋と日本海が結ばれている?(神流川発電所訪問記③)

2024年08月17日 | 土木構造物・土木遺産


純揚水式水力発電所でも、世界最大規模になるはずの東京電力神流川発電所。確かに揚水式発電は、電力需給がひっ迫した際には蓄電池としての役割を果たすが、経済的効率から設備利用率が低い上、日本では世界的に見ても貯水量が少ないと多くの課題を抱えている部分もある。大金投じて巨大な設備を導入したけど、縁の下の力持ちの出番は少ないといったとこだろうか?
貯水率?そう、神流川発電所を支えるダム(調整池)を紹介しておかなければならない。前々回触れたとおり、上部ダムは「南相木ダム(写真上)」、下部ダムは「上野ダム(写真下、下にあるのに「うえの」ダム)ということになる。有効貯水量はともに1,267万立方メートル(総貯水量では少しだけ南相木ダムが大きい。)。
南相木ダム、行ってきました!道路は整備されていたし、周辺も公園整備がされているのであるが、とにかく寂しい山の中。堤体下部の「ウズマクヒロバ」という広場にはグッドデザイン賞のモニュメントなどがあるものの誰もいない上に「クマ出没注意」看板が。同広場へのアクセスで利用するトンネルも真っ暗で、入っていいものかどうか怖かったくらい。



この南相木ダム、中央遮水型ロックフィルダム。白い堤体(表面に石灰岩を配置)が目の前に現れた時の感動は忘れられない。これまで見た中でも最も美しいダムと言っていいだろう。堤高136メートル、堤頂長444メートルの巨大ダムであり、日本では一番高所(標高1,532メートル)にあるダムとしても知られている(写真下)。
水利権や漁業権、環境や生態系への影響に配慮して、南相木川の水はそのままダム湖(奥三川湖)を経由することなく、下流に放流される仕組みになっている(増水時にはダム湖に流れこむ仕組み。)。同じ東京電力の玉原(たんばら)発電所(群馬県)と同じ方式が採用された。
山深い上野村で巨大秘密基地の神流川発電所を見学させてもらい、時間を費やして大きく上信越道を迂回してこれまた山奥の南相木村でも美しいダムを見学させてもらい、二枚のダムカードを手にしたときは何とも充実した訪問になったと余韻を楽しんでいた。(写真下:位置図)



待てよ⁉神流川を遡ってきたはずなのに、南相木川というと千曲川水系?つまりは、信濃川水系ということになるし、神流川は烏川から利根川に合流している。つまりは神流川発電所が持つダム湖は、分水嶺どころか日本の峰をまたにかけて設置されていることになる。
つまり、群馬県上野村の神流川と長野県南相木村の南相木川は、神流川発電所の揚水発電用の管路によってつながっていて、それは利根川と信濃川が結ばれたことになり、以前紹介した猪苗代湖を介して阿武隈川と阿賀野川がそうだったように、太平洋と日本海がここでもつながっているということになる。
二県にまたがってというのは、新豊根発電所(愛知県だが下部貯水池の佐久間ダム・佐久間湖は静岡・愛知の県境、J-POWER)、俣野川発電所(鳥取県・岡山県、中国電力)がある。分水嶺をまたいでというのは、奥多々良発電所(兵庫県・関西電力)の黒川ダム(市川・瀬戸内海)と多々良木ダム(円山川・日本海)などがある。(どの揚水式発電も巨大な発電量を誇っている。)



上野村から南相木村へは、当然ながら峠越えが必要である。ぶどう峠、十石峠など過酷な道を進まなくてはならない(私は、帰り道がてら上信越道・中部横断道を利用したが…)。しかし、地図上、長大で真っ直ぐな一本のトンネルが二つ村を結んでいるのに気づく。「御巣鷹山トンネル(全長2キロ)」で、ダム・発電所の管理用道路だ(写真上:御巣鷹山トンネル南相木村坑口)。我々が見学用にマイクロバスで利用したトンネルとは明らかに別ルートである。
このトンネルこそ超レアな場所であるが、ここを活用したイベントが9月29日(日)に開催される。「上信国境ダムtoダムハイランドラン大会」という山岳ロードレースの売りモノとしてコースに組み込まれているのだ。さすがに20キロ超えの山岳マラソン大会に自分は出場できないが、健脚自慢のランナーの方、まだエントリーは間に合いますよ!(写真下二枚とも:大会事務局のホームページから引用)
世界最大規模の神流川発電所は、二つのダムを結び、二つの村を結び、そして上信国境・群馬県と長野県を結び、太平洋と日本海を結んでいる。ハイランドランのコースにある秘密基地内の御巣鷹山トンネルは、過疎化に悩む自治体を結ぶ架け橋ではなく、「架け穴」になるんでしょうね!(神流川発電所訪問記:終わり)



※初回掲載後、「俣野川発電所」について追記した。なお「分水嶺」という言葉は、河川水系の分かれ目という観点から、太平洋・日本海を隔てる峰ということではないので、揚水式発電のすべてを調査したものではないことから「奥多々良発電所など」との表現に変更した。
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地下500メートルの巨大秘密基地に潜入(神流川発電所訪問記②)

2024年08月12日 | 土木構造物・土木遺産


東京電力「神流川(かんながわ)発電所」は、群馬県上野村の山深い場所にある。御巣鷹山の山中、地下500メートル、そこには巨大空間が存在する。上野村が東京電力と協力して開催している見学ツアーに申し込み潜入に成功した。
神流川発電所の1号機は、2005年(平成17年)に運転開始。翌年2号機が稼働し、47万キロワット×2基、最大94万キロワットを発電する日本でも屈指の純揚水式水力発電所である。上部ダムは南相木ダム、下部ダムは上野ダムである。
分水嶺をまたいで、全長6,000メートル強を地中の導水路・水圧管路・放水路で結び、この間落差653メートルを利用して発電電動機6基を設置し、最大282万キロワットの発電を行う計画である。これが完成すれば、世界最大級の揚水式発電となるが、現在そのうち2基が稼働中ということである。(見学ツアー時は、1機がメンテナンスのため運転停止中だった。)



見学通路入り口から、排気用の機材が設置されているスペースを抜けると、突如広がる巨大空間に発電設備がある。天井には、無数のアンカーボルト(高張力鋼)で補強されているが(写真下)、一般者が立ち入る場所でないことから、トンネルを含めてコンクリートは打ちっ放し。確かに秘密基地の様相を極めている。
ここには日本初の技術がいくつかある。勾配48度の水圧管路の掘削にはトンネルボーリングマシーン(TBM)を採用し、斜坑を下から一気に掘削。また、水車のスプリッタランナ(立軸形フランシス水車の翼に長短を設けて出力増を可能にしたもの)を東芝と東京電力が共同開発したものが採用されている。
見学時、作業用クレーンが1号機と2号機の間にあり、多少視界を妨げているところはあったが、メンテナンス中ということもあって取り出された貴重な水車ランナの部分を僅かであるが見ることができた(写真下)。これに関心を示した見学者は私以外にはいなかったようだがー。



注目は世界最大級の揚水式発電。実に大掛かりなものであり、早くから世界最大級を謳っていた東京電力だが、その点を同行説明にあたってくれた係員に尋ねてみたが、3号機以降の設置予定は具体化していないようだ。蓄電装置の進化によりここまで大掛かりなものがコスト的にいかがなものか!ということなのであろうか?
大規模蓄電装置がどのように改良を遂げていて、メリット・デメリットがあるかないかは自分には分からないが、揚水式水力発電は自然を利用した再生可能エネルギーであり、しかも3号機・4号機用の水圧管路もすでに完成しているというのに、電力需要が切迫している中で何を躊躇しているのであろう?
東京電力では、神流川発電所の付帯施設として設置したPR施設を福島第一原発の事故後廃止した。同じく、東京電力の揚水式発電を行う葛野川発電所(こちらは最大出力120万キロワット)のPR館も然り。いまこそ揚水式発電をアピールする時だと思うのだが。(続く)



(※神流川発電所は、御巣鷹山の地下にあるが、日航機事故の現場とされる「御巣鷹の尾根」は発電所より南1.7キロほどの谷を隔てた場所であり、事故現場の地下に発電所があるわけではない。実際の事故現場は、正式には「高天原山(たかまがはらやま)」の中の一つの尾根であり、当時、墜落現場となった場所を特定するために当時の上野村村長が命名したとされる。この書き込みが、図らずも39年前の事故当日になったことは偶然であるが、事故犠牲者の冥福を祈るとともに、今回上野村にお世話になり、事故当時救助活動で尽力された村民の方々に敬意を表したい。)
(※葛野川発電所(山梨県)については、規制区域があるので紹介できるかどうかわからないが、J-POWERや東京電力その他の揚水式を含む水力発電施設(ダムや概要など)についても、順次紹介していきたい。)

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世界最大級の入口である群馬県上野村を目指せ!(神流川発電所訪問記①)

2024年08月09日 | 土木構造物・土木遺産


さて、いよいよ群馬に向かうことにする。ベースキャンプにしたのは群馬県南西部の富岡市。いわずと知れた世界遺産の町である。
新潟の自宅からだと高速で300キロ、4時間といったところだが、途中寄り道などをして初日の走行距離は700キロ近く。これは予想していたことでもあり、最初から車中泊は諦めてホテル宿泊することにしてトレーラーハウス型の宿を予約した。(禁煙だったこと以外は、かなり快適に過ごせた!)
ただ、目的地はさらに山道を小1時間ほど走った先にある群馬県多野郡上野村。ここへのアクセスは実に難関だ。藤岡方向から神流川(かんながわ)沿いに国道462号で向かうつもりでいたが、下仁田・南牧経由がいいだろうと観光案内所のアドバイスから、富岡で前泊した後出発。南牧から上野村へもかなりの山道(県道)だが、湯の沢トンネル(2004年開通)により飛躍的に便利になったようだ。



この上野村、人口が1,028人(上野村ホームページ、8月1日現在)。群馬県では最も人口が少ない自治体であり、関東でも島しょ部を除くと最も少ない。人口密度も県内で最下位、居住可能面積も最も低い。過疎地で、山の中のへき地といえる場所であるが、かの平成の大合併でも「合併しない宣言」をした村である。
産業は林業と観光。「上野スカイブリッジ(写真上)」という巨大なつり橋と不二洞なる関東随一の鍾乳洞が観光のメイン。お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、航空史上最大の事故といわれている日航ジャンボ機が墜落した「御巣鷹の尾根」のある村というと、あーっという方もいるかもしれない。
今年も8月12日が近づいて、多くの遺族・関係者が慰霊登山の時期を迎えている。とにかく山深い地で、事故当時は村へのアクセスや林道の整備もされていなかったため、墜落現場の特定が難しく、救助作業も地元消防団が頼りだったことも容易に想像できる。(村に到着して、まず「慰霊の園(写真上)」で手を合わせさせてもらった。)



この山の中にあり各ランキングで最下位ばかりの村、実は財政的には群馬県内の市町村で3番目と高い位置にある(財政力指数0.85、隣の南牧村や神流町は0.1ポイント台)。というのも、上野村には、東京電力リニューアブルパワー「神流川発電所」がある。この発電所が世界最大級の揚水発電所だというのだ。(発電所1号機が運転開始したのが2005年、それまで財政力指数は0.2、完成後2008年には1.73に急上昇、当然不交付団体となる。)
村では、東京電力と協力し、この発電所の見学会を実施しているという。数日前の問い合わせ・応募であったが、直近開催日に空きがあるということでその場で申し込みをして、そして上野村に足を踏み入れ集合場所の「川の駅・上野」にある「上野村森の体験館(上野村産業情報センター、写真上)」に向かったのである。
村の用意したマイクロバスに乗り換えたのは10人ほどの団体客に、一匹狼の自分だけ。バスは、急登とカーブ続きの道をゆっくりと御巣鷹の尾根方向に進む。ただ道幅は確保されているし、長大トンネルも通過。発電所建設のため整備された道なのか?そして、山中のゲート前に東京電力の社員がバスを出迎えると、いよいよ地下500メートルへの世界最大級の発電所に潜入することになる。(続く)






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下郷発電所で、揚水発電所は「自然の蓄電池」との解説を聞いて

2024年08月06日 | 土木構造物・土木遺産
久々、会津に足を踏み入れることになった。会津は、ダムや発電所、橋梁、歴史的な建造物や物語、豊かな自然、そして美味しいものの宝庫として取り上げてきた。さらに興味をそそるものとして、前回も紹介したとおり、猪苗代湖を中間点として、太平洋と日本海を川で結ぶ海運の拠点ともいえる場所で、どうしても外せない場所になっている。
これまで阿賀野川・阿賀川、日橋川などのお雇い外国人が力を注いできた現場を何回か紹介してきているし、阿賀野川の最大支流・只見川にはJR只見線の風景や電源開発の歴史に取りつかれてもいる。とにかく自分にとっては、会津探訪はライフワークとなっている。
今回紹介する大川ダムも2021年6月に訪問、すでに紹介したものであるが、再度訪問することに。というのも、前回訪問時はコロナ感染防止の影響により、下郷発電所の展示館や国交省の資料室が閉館中。ダムカードもゲットできないでいたのでリベンジ的な訪問。ちょっと安直な動機によるものである。



大川ダムは、国交省(福島県にあるが阿賀野川水系であることから北陸地方整備局が事業主体・管轄)の多目的ダムである。コンバインダムという珍しい型式であること。治水・利水の目的から阿賀野川総合開発事業(1973年計画策定)の主要な構造物として、1978年完成したダムである。
大川ダムの建設とともに計画されたのが下郷発電所。電源開発(J-POWER)が管理するもので、先に紹介したとおり大川ダムの建設によりできた若郷湖(わかさとこ)を下部ダム、大内ダムを上部ダムとする揚水発電所である。4基の発電機で最大100万キロワットを発電する。
有効落差387メートル、導水路を通って揚水発電特有の地下に発電所を設けるという方式で、夜間に余剰の電力でまた大内ダムの調整池に水を汲み上げて電力需要に備えている。発電所の事務所に併設される展示館で、「自然の蓄電池といえる」とのガイダンスを聞く。なるほど!(写真上:下郷発電所と大川ダム、発電所事務所と併設の展示館、写真下:展示館内部と展示資料の一部)



同じくJ-POWERの奥清津発電所を訪れた時、展示館の「電力ミュージアム・OKKY(オッキー)」は、展示館の窓から発電所の内部を見ることができたし、庭の奥に設けられたトンネルに入って導水管も拝むことができた。(奥清津発電所は、清津川の沿いに地上に建てられていて、奥清津第二発電所が展示館を併設している。)
奥清津と同様、大規模揚水発電所である下郷発電所であるが、その施設としてはダム湖畔の送電所や送電線が見て取れるだけ。その代わりとして、展示館には何とも丁寧に、そしてわかりやすく揚水発電を解説してくれる模型があった(写真下)。これは録画しないとと思い、何回も音声ガイダンス付きのスタートボタンを押した。(容量の関係で、動画がアップできない、申し訳ない!)
揚水発電かー!今後の電力需要に応えられる再生可能エネルギーとして注目していきたいと思うが、沼沢発電所も行ったことがあるが、果たしてほかにもあるのか?調べるとあるある!栃木に群馬に長野、山梨にも、憧れの佐久間ダムにも、岐阜や兵庫、全国各地に40か所以上ある。中でも「世界最大規模?」と銘打つ東京電力の発電所が目にとまる。よし、次は群馬だ!




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