:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 悪の根源」 について -「エゾ鹿」 と 「ウサギ」 の哲学的・神学的対話-その15

2008-06-02 00:55:07 | ★ 日記 ・ 小話


                 
  〔エゾ鹿〕 善なる神と悪なる神の二元論が成り立たないとすれば、この被造物の世界は、全て善なる神に由来することになる。善なる神は被造物の世界をご自分の本性に似せて、善なるものとして創ったと考えるのが自然だろう。
〔ウサギ〕そんなこと、僕にだって分かるさ。問題なのは、それなのに被造物の世界、とりわけ人間の世界に悪があると言う、この疑う余地のない現実をどう理解するかでしょう。その悪が善なる神にまで遡らないとすれば、その悪は一体何処からか降って湧いたのですかね?これが、問題のそもそもの出発点だったでしょう。さあ、早く分かりやすく答えてくださいよ。
〔エゾ鹿〕 私の考えによれば、悪は人間の罪の結果ではないか、という想定が成り立つと思う。
〔ウサギ〕 罪、罪って、そう簡単に言いますけどね、罪って一体何ですか?先ず罪を正しく定義することが必要じゃないですか?
〔エゾ鹿〕 罪とは、人間の内に聞こえる良心の声にそむくことだと言うことは、このシリーズの10,11,12あたりで既に詳しく取り上げたけど、そのことはまだ覚えているかい?
〔ウサギ〕 良心の中身は時代や文化や個人の生い立ちで微妙に違うことはあっても、善を勧め、悪を避けよと言う原則は絶対的なものだということ。そして、その声は自分の魂の最も奥深いところに響くもの、しかも、誰か自分以外の他者の声だということ、ですか?
〔エゾ鹿〕 その通り。よく覚えていてくれたね。
〔ウサギ〕 そういえば、良心はいつも必ず「善をなせ。悪を避けよ」と言う点において絶対的だと言われましたよね。そこまでは僕にもそんなに難しい話ではなかった。しかし、良心の声は、人によって強くて疑いの余地がないほどはっきりしていることもあるが、聞き取れないほど弱く曖昧な場合もあって、その個人差には非常に大きなものがある。良心の声の強さは人によってずいぶん開きのある相対的なもののように思われるけど、それはどうしてなんですか。
〔エゾ鹿〕それが、あのファンダメンタルオプションの問題なのさ。この「知床日記」の11と12のテーマで取り扱い始めただろう?
〔ウサギ〕ファンダメンタルオプションねえ!?あのカカオアレルギーの少年の話のことですか?あの少年は女の子の手からチョコレートを取って食べて、そのあとどうなったのでしょうね。
〔エゾ鹿〕 その続きには、いろんな展開の仕方が考えられるが、ここでは、その後、その子の心の中でどんな葛藤が始まり、優しいお父さんとの関係がどう変化していったかという点をを中心に見ようと思う。
〔ウサギ〕 生まれて初めて食べたチョコレートは、ほっぺたが落ちるほど美味しくて、嬉しくなって、その可愛い女の子と、そのおにいちゃんの悪餓鬼と日暮れまで楽しく遊んで、そして、家に帰ったのでしょう?
〔エゾ鹿〕 それはそうなんだけど・・・
〔ウサギ〕 えっ?どうかしたんですか?何かあったんですか?
〔エゾ鹿〕 実は、遊び呆けている間は全く気がつかなかったんだけど、独りになった途端、坊やは心の奥底に響くはっきりした強い口調の良心の声を聞いたんだよ。「坊や、あなたのやったことは良くなかった。あなたを愛している優しいお父さんを悲しませるようなことをしたのだよ。帰ったらすぐにお父さんに謝りなさい。」その声は強く執拗に付き纏って坊やの心から離れなかった。耳を押さえて走ってみたけど、ますます心の中を広く占領していった。その声は、あたかも、坊やの魂の一番奥まったところから聞こえてくるようだった。それはお父さんの声ではなかった。もちろん自分の声でもなかった。それは、明らかに誰か分からぬ第三者のものだった。その声は「坊や、あなたは罪を犯した。あなたは悪を行った」と断罪していた。
〔ウサギ〕 ふーん(?)それで?坊やはお家に帰ってどうしたの?お父さんに正直に本当のことを話して謝ったの?
〔エゾ鹿〕 そうだったらよかったんだけどね!玄関を入ると靴がないのでお父さんがまだ帰っていないことを知ると、坊やは真直ぐ2階の勉強部屋に入って、電気もつけず、真っ暗な部屋の机に向かってすわり、一生懸命良心の声と戦っていた。お父さんの帰ってきた気配がしたけれど、いつものように階段を走り降りてお父さんに飛びつき、お父さんの周りを子犬のようにころころ付きまとうことをしなかった。夕飯の時間になっても暗い部屋から出てこなかった。お母さんが心配して迎えに行くと、空腹に耐えかねてしぶしぶ降りてきたけれど、食卓についてもうつむいてお父さんの顔を見ようとしなかった。坊やの態度がいつもと違うことを見て取ったお父さんは、すぐ坊やが何処かでチョコレートを食べてきたことを見抜いた。しかし、お父さんは坊やの方から話し出して謝るのを忍耐強く待った。それでも、坊やはそのことには触れようとしなかった。そこで、お父さんは、「坊や、今晩は久しぶりにお父さんと一緒にお風呂に入ろう」と誘った。その言葉には、思いつきの言い訳では断れないような重い響きがあった。坊やは黙って無抵抗にお父さんの後に続いてお風呂に入った。お父さんは、坊やの体を流しながらその小さな体を眺めた。そして、お腹とお尻のところにかすかな赤い斑点があるのを見落とさなかった。それは「カカオアレルギー」の明らかな兆候だった。お風呂から上がった坊やを、お父さんは優しく呼び寄せて、「坊や、今日チョコレート食べたでしょう?怒らないから正直に言ってご覧。坊やのお腹とお尻の赤い斑点はチョコレートアレルギーの反応だよ」と言った。自分ではそれに気付いていなかった坊やは、虚を衝かれて取り乱し、とっさに自分でも何を言っているのかよく分からないまま「だってあの女の子が食べろって言ったから」と答えた。お父さんは悲しそうな顔をして、「お前はよくないことをしたんだよ」と優しく諭した。しかし、決して叱ったり罰したりしなかった。それで坊やは、ハッと我に帰り、素直に「父さん、ごめんなさい」と言った。お父さんは、全てを許した。しかし、お父さんは知っていた。坊やの体に免疫力低下の抗体がうまれ、エイズや肝炎より遥かに厄介な緩やかな死に向かう不可逆的な過程がすでに始まっていることを。
〔ウサギ〕 ちょーっと待ったー、エゾ鹿さん。長い話はいいけれど、それと、あのー、何とか言ったっけかなー、ああ、あの「ファンダメンタルオプション」とやらや、そして、人によって良心の声の大きさが違うあの「良心の相対性」との関連はどうなってしまったの?
〔エゾ鹿〕 関連は大有りさ。だけど、今日はここまでにしよう。きっと読む人の頭疲れちゃったと思うよ。その話は、多分次の回で決着がつくはずだから。(つづく)

コメント
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