オット!出番を間違えた!(イスラエルの駱駝の独り言)
〔ウサギ〕 それからどうなったの。
〔エゾ鹿〕 お父さんが叱らなかったこと、罰しなかったことは、坊やにはショックだった。その優しさと赦しの寛大さは、身に応えた。だから、もう二度と言いつけにはそむくまいと固く心に誓ったのさ。
〔ウサギ〕ふーん?結構いい子なんだ!それから?
〔エゾ鹿〕 それからまた暫らくして、坊やはまたあの悪餓鬼の家に遊びに行った。楽しく遊んでいるうちにまたおやつの時間になった。そしたら、その家のお母さんはまたチョコレートを器に一杯載せてもってきた。坊やは内心、果物かケーキなら良かったのにな、と思った。そして、心の中で自分に言い聞かせた。今日は食べないぞ。お父さんに悪いもの・・・、と。
良心の声は、「そうだよ、ぼうや!いい子だね」と言った。
〔ウサギ〕 でも、悪餓鬼は食べたんでしょう?
〔エゾ鹿〕 ああ、食べたよ。そして坊やにも勧めたけれど、坊やは意志強固に我慢した。坊やは内心、誇らしく良心の褒める言葉を聴いていた。
〔ウサギ〕 いい話だね。
〔エゾ鹿〕 ところが、だね。
〔ウサギ〕 えっ!ところがどうしたの?
〔エゾ鹿〕 ところがそこへ、あの例の女の子が帰ってきたのさ。そしておやつを見ると、一目散にそのチョコレートを取って食べた。そして、あどけない無邪気な顔で坊やに一つさし出しだして、「どうじょ!」といった。坊やが、「要らない」ときっぱり言うと、良心の声は「そうだよ、それでいいんだよ」と褒めてくれた。そのとき、女の子は、「この間は食べたじゃない!どうして今度は食べないの?美味しかったでしょう?一緒に食べないのなら、一緒に遊んであげない!」と言った。良心が「坊や、駄目!」と鋭く叫んで、止めようとしたが、間に合わなかった。すでに坊やは、女の子の差し出すチョコレートを指でつまんで口に入れてしまっていた。一回目より心の葛藤は小さく、良心の声は前より力がなかった。チョコレートのとろける味は、少しずつ心を麻痺させていった。楽しく遊んで家に帰ると、また部屋にこもった。しかし、夕食には進んでテーブルに着いた。お父さんの目を見るのを避けてはいたが、なるべく普段と変わらないように振舞った。お友達のうちで何して遊んだの?の質問には、お友達と、その妹と三人で、これして、あれして、と雄弁に説明した。おやつは何だったの?の質問に、一瞬ぎくりとしたけれど、美味しいお菓子が出たよ、とぼかした。詳しく追求されずに、ほっとした。
良心が、遠くから小さな声で、「坊や、正直に言わなければ、それは嘘をついたのと同じだよ」、と注意したが、坊やはそれを無視した。お父さんは、お風呂にいっしょに入ろうとは言わなかった。坊やは、ほっと胸をなでおろした。お父さんは、全てを察し、見抜いていたが、あえて厳しくとがめだてはしなかった。ただ、ひどく失望し、子どもの健康を案じていた。その次からは、もう大きな良心の葛藤もなく、毎度チョコレートを女の子の手から受け取って、その甘さに中毒のように惹かれるようになった。初めのうちこそ、良心との葛藤に苦しむこともあったが、そのうち、それもだんだん麻痺していった。お父さんに対しても、いつもうまく嘘をついてその場をつくろうことに慣れていった。・・・・・・・もちろん、お父さんは全てを察していた。
〔ウサギ〕 似たようなことを、子どものころ、みんな体験したんじゃないかなあ。
〔エゾ鹿〕 これはあくまで喩えとしての寓話だけど、これで「ファンダメンタルオプション」を説明する材料としては十分かな、と思う。それはまたこの次に。