2008-06-16 08:16:18
何か変だよ?! カトリック新聞
★ 自作自演?一人二役?
今、私の目の前に二枚のコピーがある。
① 5月18日付け「カトリック新聞」の一面のほぼ半分を占めるトップ記事:
「混乱と分裂に解決を」
4司教、教皇に現状訴える
高松教区立国際宣教神学院
と、
② 3週間後の6月8日付けの3面の「意見」欄の記事:
「高松教区を弁護して」
(急な突っ込みのために差し替えがきいたのはこのスペースだけだった?)
の二つである。
不思議なのは、②の中に見られるまるで他人事のようなことばの数々。例えば、「本年5月18日付けのカトリック新聞は、高松教区のことに言及しているが、一般の読者にとっては、何のことかさっぱり分からないのではなかろうか」とか、「事の事情にまるきり通じていない一般読者の好奇心をそそるために、この記事がかかれたのなら、高松教区にとってはとても痛い傷を受けたことになる。」などである。
うーん、なるほど、そういう見方もあるか、と感心しながら、もう一度二つの記事をよくよく見比べて、「エーッ?? 何、これ?!それはないだろう!と絶句した。 笑い顔と渋い顔の違いはあるが、両方の記事を書いている(書かせている)写真の人は紛れもなく同一人物、高松の司教さんその人ではないか。
自分が書いて(書かせて)おきながら、「高松教区のことに言及しているが、一般の読者にとっては、何のことかさっぱり分からないのではなかろうか」はないだろう。それなら、もう少し親切に分かりやすくお書きになればよかったではないか。それとも、後で読み返してみて、自分自身でも何を書いているのかさっぱり分からない、と正直に告白しておられると言うことか。支離滅裂とは、このことではないか。
「一般読者の好奇心をそそるために、この記事を書いた」と本音をポロリと正直に告白しておられるが、ならば「高松教区にとても痛い傷を負わせた」のは、書いた人、つまり高松教区の司教さま御自身ではないか。自分で書いて、自分の教区に痛手を負わせておいて、バチカン大使から大目玉をいただくと、コロリと品を変えて、その自分の記事を、まるで他人事のように批判してみせる。こういう手合いを、世の中ではマッチ・ポンプ(自分で放火しておいて、殊勝顔にも消化に精出してみせる)と言うのではないか。
★ 3回目頃には空気が読めてなければ・・・・
いま風の若者は、「KY」と言う隠語を使うそうな。「KYさん」とはその場の空気が読めない人のことだと教えてくれた。3度目の正直、と言うが、3度同じことをやって見て駄目だったら、頭を冷やして考え直すのが普通だろう。ファーストクラスに乗って8回もバチカン詣でをしてもなお埒があかなかった。それで、9度目には、(一人では会ってもらえないから?)ご大層にも3人の大司教をお供に従えて、日本の教会の最強のチームでバチカンに繰り込み、担当省長官ではお役不足とばかり、教会のトップ、ローマ教皇さまに直談判を仕掛ければ、必ずや説得して執念を遂げてみせる、と自信満々だったのだろうか。しかし、またしてもなんの成果もなくすごすごと引き下がったと言う報告が、5月18日一面のトップの虚勢を張った内容の空虚な巨大記事だったことは、読む人が読めば一目瞭然だった。
いささかでも識別の賜物を戴いておられるのなら、ローマの風がどこへ向かって吹いているかくらい、3度目には察しられてもよかったのではないか。信徒の貴重な献金を随分と無駄使いせずに済んだに違いないのに。
★ こんなにやったのに、「共通理解が得られない」
「教皇自身、この問題に関して福音宣教省からの報告を受け取っているものの、日本からの情報が十分伝わっていないようだと日本の司教ら(従って高松の司教自身)は感じていた」と記事にある。もどかしさ、欲求不満の苛立ちが痛いほど伝わってくる。
教皇様と日本の司教(高松の司教)との間に立っているのは福音宣教省だ。その長官はインド人のディアス枢機卿。聞くところによると、高松の司教とは旧知の仲とか。新求道共同体に関してはアンチ、乃至はクールに距離を置く立場の人と聞いている。新求道共同体積極支持派でないことだけは確かだろう。ああ、それなのに・・・・
★ ここで、小話を一つ
米ソ冷戦時代の話である。
クレムリンとホワイトハウスは、それぞれスーパーコンピューターを駆使して情勢分析を行い、その結論のデーターをアタッシュケースに忍ばせた外交官が交渉のテーブルに付く。コンピューターが間違うはずはなかった。それなのに、交渉は一向に進展しないのはなぜか。両大国のトップは思った。それは、交渉に当たる外交官の人間的限界が解決を妨げているからに違いない。それでは、クレムリンとホワイトハウスの間に引かれたホットラインの回線を使って両国のスーパーコンピューターを直接繋げばいい。人間的限界のノイズは除去できるはずではないか。合意はすぐ出来た。
二つの巨大人工頭脳が冷戦の壁を越えてはじめて直接繋がれた。はじめ、両者はクールにデーターのやり取りをしていた。しばらくすると、コンピューターの温度が微妙に上がっているのが計器で読み取れた。数時間が経過した。温度計は徐々に上がっていった。両国の首脳はよい結果を待ちわびた。しかし、コンピューターはカッカと加熱するばかりで、いつ終わるとも全く見通しが立たなかった。突然、巨大なコンピューターは唸り始めた。がたがたと身をふるわせ始めた。そして、これ以上いったら爆発する、とみなが身の危険を感じて逃げようとしたその時、両国のコンピューターはほとんど同時に一枚の紙をスリットから吐き出した。
アメリカの大統領とソ連の首相は恐る恐るそれを見て真っ青になった。
その紙には「戦争以外の解決の方法無し!」と書いてあった、とさ。
これは、アメリカの投資銀行、リーマンブラザーズで飯を喰らっていたころ、仲間同士のくつろいだ酒の席で、頭のいいユダヤ人の同僚がしてくれた、コンピューターをネタにした二つの小話の内の一つだ。
★ 話を本題に戻そう
日本の司教は、ディアス枢機卿が間に立つから、話のパイプが詰まる、直接教皇と話をつければ必ず説得できる、高松の神学校閉鎖について色よい同意を引き出すことが出来るはずだ、と自信満々ローマに繰り込んだのだろう。
ところがドッコイ、直接頂上会談ではじめて明らかになったのは、ディアス枢機卿がパイプを詰まらせていたのではなく正しく日本の司教の意向を伝えていたのに、教皇自身が初めから一貫して日本の司教たちの申し入れを繰り返し却下していた、と言う事実だった。枢機卿は、個人的心情としては仮に新求道共同体に対してアンチであったとしても、卑しくもバチカンの大臣である。教皇様の意向を正しく日本の司教に伝えるのは当然の職務ではないか。一回目で分からなかったのはまあ仕方ないとしても、3回目あたりで、おや?何か変だぞ、これはひょっとして自分たちのほうがおかしいのではないか、と敏感に空気を読むべきだったのではなかろうか。
私は、直接ピッタリと重ならないにもかかわらず、なぜかふとあのコンピューターの小話を連想したのであった。
★ 「道」の規約は未承認
(注:6月13日に目出度く承認されている)
エッ!何でここに「新求道共同体の道」の話しが出てくるの?関係ないでしょう?このあたりに郡山司教のブログの謎めいたことば、「神学校の問題と運動そのものの問題とはまったく別の問題なのに」が関係しているのではないだろうか?これはまさに、新聞記事 ② の高松司教のことば、「何のことだかさっぱりわからない」「ことの事情にまるきり通じていない一般の読者の好奇心をそそるために」、それも否定的なトーンで!なにやら胡散臭いぞ、係わり合いにならないほうがよさそうだ、と言う心象を残すために、意図的に挿入されたものに違いないのではないか。
カトリック新聞と言えば、日本の司教団のいわば官報、別の名を「御用新聞」とも言うべきものだろう。
それが、事もあろうに、歴代の教皇様が第二バチカン公会議の貴重な成果として、目の瞳のように大切にし、雛鳥のように羽の下にはぐくみ慈しんでいるものを、まるで危険な原理主義、カルト集団、分裂と対立の諸悪の元凶であるかのように書き立て、「何のことかさっぱり分からない」(司教のことば)、「事の事情にまるきり通じていない一般の読者」(これも司教のことば)がいたずらに不安を抱き、「君子危うきに近寄らず」的雰囲気になるよう、また、一般信者の心が新求道共同体から離反するように巧妙に仕掛けるとは、一体どういうことだろう。
言いたいことはまだ山ほどある。しかし、あまり長いと誰も読んでくれないから、今日はここらでやめることにする。(つづく)
(冒頭の写真はルルドの大聖堂の部分)