2008-06-06 11:19:27
深堀司教様が帰ってくる。司教を辞して4年間、一度もその土を踏むことのなかった四国に。
いま、なにを祈っておられるのか・・・・・
わたしは、彼に拾われ、首輪をつけてもらった野良犬だった。そして、彼にとってのわたしは、恩のある飼い主の手を噛むような、疫病神だった。そんな私を、彼は無条件に赦している。
ノーマルな状態では、引退司教は、教区内に留まり、自分の息のかかった後任司教と、彼を慕う教区民に囲まれて、幸せな老後を過ごすはずだった。それが、司教としての最後の日々を、世俗の法廷で被告の汚名を着せられて過ごし、引退後は熊本の繁華街の真ん中の教会で一司祭として黙々と激務に耐え、孤独に耐え、不本意な日々を過ごしてこられた。
高松の緑に縁取られた小川のほとりを散歩するのが、長年の日課だった司教さまにとって、市の中心の排気ガスにむせ返る繁華街での生活は、いかに耐え難いものか。
何もかも、この疫病神が招いたことだった。彼の中に受難のキリストが透けて見える。
それが、6月30日に閉鎖と決まった神学校の最後の行事を執り行うために、4年たって初めて現司教から四国の土を踏むことを赦された。自分の創った神学校の最期を自分の目でしっかり見届けなさい、という有り難い配慮なのだろうか。
行事と言うのは、次の写真の4人神学生の、二人は朗読奉仕者、二人は祭壇奉仕者への選任式だった。
自分が翼の下のひな鳥のように慈しみ、目の瞳のように大切にして来た神学生たちの成長ぶりに目を細め、4年の間になめた孤独と苦しみを振り返りながら、司教の声は振るえ、目には涙が浮かんだ。日本での福音宣教の熱意に燃える彼らは、司祭に叙階されることもなく、間もなく散り散りに故郷に帰っていくのだろうか。それなのに、彼らの底抜けの明るさは、一体何なのだ?
聖霊の息吹が充満した聖堂での式とミサが終わって、香部屋で撮った写真には、彼によって司祭に叙階された群れの一部が納まった。本当は全部で約この3倍はいる筈だ・・・・
わたしは、司教様の二人目の子供。並んでみると、彼はあの頃より一回り小さく、心なしかやつれておられた。
お祝いのパーティーが食堂で開かれた。乾杯!カンパーイ!司教様の左がグレゴリオ神父。右は院長と副院長。(司教様のすぐ後ろは給仕の神学生。)
苦しみを知っている人、苦しみになれた人の微笑み。
グレゴリオ神父の日本の歌の甘いメロディーに、司教様のお茶目な一面が覘く。
食事もたけなわ。
歌って、
踊って、
画面の左右にそれぞれまだほぼ同数があふれているのだが・・・
深夜を待たずに、みんな潮が引くように消えていった。もらった部屋に入っても、色々思うことがあって寝付けなかった。やがて、朝日が田んぼに映り始めた。朝5時、寝静まっている神学院を後にして、司教館にもどった。司教館に来て初めてのミサを一人で立てた。年内にあの神学院は無人の館になる?そんなことありえない。
朝日の中の神学院の玄関。
坂下の目印、キリシタン織部灯篭 (復刻)
わたしが学んだローマのレデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院の中庭から持ち帰った松の実から生えた地中海松も、太さ10センチあまりに育っていた。レスピーギの音楽が聞こえる。
イタリアの白大理石のマリア様。水主(みずし)は神学院のある土地の名前。