2008-06-20 09:16:31
6月16日の私のブログ「何か変だよ、カトリック新聞」に veni さんからコメントと質問がありました。お返事が遅れている間の、maria さんが代わって答えてくださいました。若干の補足を書いたのですが、たくさんのコメントの中に埋もれてしまっては残念と、新しいブログの形でアップすることにしました。以下は、コメントのコメントへのコメントです。
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さいたま教区の veni さんへ
旅烏で、席が暖まらなかったので、気になりながら、お返事が遅れてしまいました。その間に、 maria さんが、すっかりお答えくださいました。 maria さん、どうもありがとうございました。
veni さんのご質問と maria さんのお答えを併記して、さらに若干の補足をさせてください。誰のことばか、話の流れは〔 〕で区別します。
〔mariaさんが書きました〕
あれれ、usagi 様、答えないのかな?
veni 様、あまり詳しいことは分からないのですが、①と②と④の件は、そうだと思います。典礼等については、今回の永久規約でも、前の5年規約でも、きちんと認められています。
〔usagiの答え〕
veni さんのご質問は以下のとおりでしたね?!
①『典礼憲章』『ローマ・ミサ典礼書総則第3版』その他、最近の典礼秘跡省指針や、教皇様の回勅に則った(遵守した)ごミサをささげられますか?
②ミサの式次第、諸秘跡の儀式書は、ローマの規範版、または、日本の司教協議会が認めたものを使用されますか?
お答えしましょう。①も② maria さんのお答えどおりです。ただし、詳しく言うと、ミサの式次第の中で2箇所について、違いが認められます。「平和の挨拶の場所」と「聖体拝領のしかた」がそれです。何れも、新求道共同体ではローマの典礼省の許可の下にやってきました。恒久的に承認された規約の最終版に正式な許可とともに固定されたものと思います。(まだ規約の全文読んでいませんが)後で詳しく書きます。
〔 veni さんのご質問〕
③主任司祭から聞かされた、火曜日の集まりとは、その日の典礼暦に則ったミサのことですか?
〔 mariaさんのお返事〕
③ですが、火曜日と決まっておらず、その共同体で都合の良い曜日ですが、週の真ん中あたりの水曜日も多いですよ。ちなみにミサは、行っていません。
〔 usagi の補足〕
水曜日が一番多いですね。メンバーや司式者の都合で、火曜、木曜などもありえます。ミサではありません。「みことばの祭儀」と呼んでいます。夜行われるのが一般です。テーマに沿って新約・旧約の聖書のみことばを聴き、賛歌を歌い、分かち合いをし、司祭のホミリアを聴きます。聖書を目で読み頭で理解するのではなく、耳で聴き心で受け止めて回心するためのいい訓練です。
〔 veni さんは書きました〕
④主任司祭から聞かされた、土曜日の集まりとは、その日の典礼暦に則ったミサのことですか?
〔 maria さんは答えました〕
④の件は、そうだと思います。
〔 usagi の補足〕
ただし、土曜の晩のミサで言う「その日の典礼暦」とは、翌日の主日のミサを指します。旧約のイスラエルの民にとって、一日は日没に始まり、次に日の日没まででした。第二バチカン公会議はその伝統を蘇らせ、土曜日の晩に主日のミサをすることを認めました。新求道共同体の土曜日の晩の感謝の祭儀(ミサ)は、それに則ったものです。
〔 veni さんは書きました〕
⑤独自の(一般の日本の信者が知らない)信心業をすすめられますか?
〔 maria さんは答えました〕
⑤は、どういう意味なのでしょうか?朝や晩の祈りとかかでしょうか。子供がいる家族は、日曜日の夕(とは限っていないけど)揃って、親御さんから聖書の話をしてもらったり祈ったりするけど、一般にはすすめられないですよね。でも、熱心な信者さんならしてるかな。ですので、一般にはない信心業をすすめられているかといえば、そうかも。他にもあります。私にとっては、子供に信仰を伝えていったり、自分の回心の為に役立っています。
〔 usagi の補足〕
新求道共同体の価値を評価しご自分の教区に導入された司教様たち、深堀司教(高松)、平山司教(大分)、佐藤司教(新潟)等、そのほかにも、は小教区が分裂するという批判をかわすため、土曜の晩に感謝の祭儀をしても、翌日曜日に教会の主日のミサにも必ず与るよう指導しておられたので出来ませんが、海外の新求道共同体では、日曜の朝は両親が子供たちと一緒に「教会の祈り」をすることを習慣付けています。教会の祈りは、公会議以前には、聖職者、修道者のためだけのもので、分かっても分からなくてもお構い無しにラテン語で唱えられていました。司祭にとってはそれ(ブレヴィアリウム)は重大な義務で、深夜12時までに全部唱え切らないと大罪とされていた、とか。それが、公会議後は、各国語に翻訳され、すべての信者に薦められるようになりました。新求道共同体はその薦めに忠実であろうとします。そのほか、「一般の信者が知らない」ことではありませんが、「赦しの秘蹟」(和解の祭儀)にしばしば与ります。個人的告白を含む共同告解の形で典礼暦の節目、節目には必ず、また、大きな集いは必ず赦しの秘蹟から始まります。共同告解以外でも新求道共同体のメンバーの中にはしばしば告解をする人が多いです。
〔 veni さんは書きました〕
⑥ミサにギターや独自の(ローマ聖歌集・簡易ローマ聖歌集・司教協議会が歌詞を認めたもの以外の歌)聖歌を持ち込まれますか?
〔 maria さんは答えました〕
⑥は、そうですよ。ギターが主ですが、他の楽器を演奏できる方がいれば(典礼の雰囲気を妨げず、またある程度は、ちゃんと演奏ができる方)入ることもあります。普段の日曜日に歌わない聖歌集?を使います。
規約で、全く問題ないとされています。でも、司教協議会で歌詞が認められてるとかがあるのですね。子供のミサでは、昔からよくプロテスタントの聖歌集から取ってきたりしてました。
〔 usagi の補足〕
ヨーロッパの新求道共同体の祭儀では、ギターのほかに、ボンギ、タンバリン、マラカスなどのパーカッション、ヴァイオリン、フルート、稀にはハープやクラリネットなども使われるのを見てきました。要するに、心を高揚させ、神様を賛美するのに役立つ楽器なら何でもOKと言うことです。大きな教会やバジリカを場所として使うときは、もちろんパイプオルガンは必須ですね。日本なら、お琴や三味線や尺八を加えては如何でしょうか?歌詞はほとんどが聖書のみことばや詩篇からです。曲はキコさんの作曲が多いです。ジプシー音楽の影響や、ユダヤ教の歌の影響を私は感じています。
〔 usagi の補足の補足〕
① と②の関連ですが、ローマ典礼では「平和の挨拶」は奉献や聖変化の後、主の祈りに続いて行われることになっていますが、新求道共同体はローマの典礼省の特別の許可のもとに、司祭のホミリア(説教)の後の共同祈願にすぐ続いて「平和の挨拶」をします。これは教会の極めて古い伝統で、イタリアのミラノ教区のアンブロジオ典礼(これもローマ典礼の一つ)では一貫してその場所を守ってきました。
そこには深い意味があります。平和の挨拶は、一週間ぶりに会って、やー今日はごきげんよう、の単なる儀礼的挨拶ではありません。「私とあなたの間に、何の心のわだかまりもありませんね、いま私とあなたの間には全てにおいて許しあい和解しあった本当の平和がありますね」、と言うことを、あらためて確認しあう大切な儀式です。これ(和解と一致)が先になければ、ささげ物を持って主の祭壇に近づき、ご聖体を戴くことは、神を冒涜することになるからです。だから、平和の挨拶は奉献の前、共同祈願のあとにすることは典礼的に正しいのです。
もう一つ、新求道共同体の感謝の祭儀ではパン(主のおんからだ)とぶどう酒(おん血)の両形色での拝領が原則です。今までは、会衆は自分の席に座ったまま、司祭又は祭壇奉仕者がご聖体を配りに来るのを待ち、司祭も配り終わると席に戻って座り、全員一緒に拝領しました。御血についても同じでした。最終承認された規約では、御血に関してはそのまま変更ありませんが、御体に関しては、司祭が信徒の席に近づくと信徒は立ってそれを受けることになったようです。いずれにしても、祭壇の下に立つ司祭のところへ信徒が行列して進み、一人ずつ順に拝領するやり方ではありません。15-20人のミサでも、2000人―5000人の大ミサでもやり方は同じです。ざわざわと立ち上がり、ぞろぞろと行列して進むのに比べると、整然としていて荘厳です。