今日は、宿泊した唐津から名護屋城へ。唐津城はバスで眺める。ここもいつか登城してみたいなあ。
そして今日最初の目的地、肥前名護屋城へ。この城は特殊な城だ。秀吉が天下を統一した後、明国・朝鮮に遠征するための基地になった城だ。糸島半島に全国百五十もの戦国武将が七年間、集まった。その中心となったお城だ。
まずは、秀吉が住んだ上山里丸、その入口の山里口。石垣がはっきり残っている。ここに秀吉が住んでいたのか、ただ、秀頼が生まれたらさっさと大坂に帰ってしまったそうだ。
次は、名護屋城博物館。山中に突然、立派な建物が現れる。
文禄・慶長の役で使った、船が二艘展示されている。ひとつは亀甲船、最強の船だったそうだ。
名護屋城近くに集合した、全国の戦国武将達、徳川家康に前田利家、伊達政宗、真田昌幸、毛利輝元、小早川隆景、長曾我部元親、上杉景勝、島津義弘云々、これはすごい。オールキャストだ。
文禄・慶長の役で日本軍が朝鮮の兵に取り囲まれた図があった、すげええな、この人。
そして、いよいよ名護屋城に登城。大手口から東出丸へ。そして三の丸から本丸へ。石垣がV字にカットされているのは、もう二度と使わせないように石垣を壊しておく、破城(はじょう)の址だ。
そして本丸へ。本丸は広い広い。
天守台の址。天守は作られたが、早い段階で滅失してしまったようだ。
そして、水の手曲輪に遊撃丸、二の丸。
馬場と三の丸井戸、この井戸は何と74mもの深さだ。これって、たぶん日本一の深さじゃないか。
さらに、搦め手口、ここからは玄海原発がよく見える。
最後は、巨石が三つ。それに旗を掲げるための旗竿石。
この城は、とにかく規格外で巨大。しかも堀がない。誰も攻めては来ない、これって、城主秀吉の自信の表れなんだろう。秀吉は、外征なんて、とんでもないことを考えたものだ。