北九州の百名城巡り、最後は吉野ヶ里遺跡。吉野ヶ里って、お城? 吉野ヶ里は発掘された当初は、弥生時代のこと、平和に暮らしていたんだろうと思われたが、お城の址が出てきて評価が変わってきた。
吉野ヶ里は広大な敷地だ。行きは歩いて、帰りはバスを使う。城柵に環状集落、物見台は、それぞれ、石垣に、お堀、櫓に相当する。敵がいたんだろうと推定される。そして主祭殿に王の墳墓と、かなりの施設が揃っていた。以下、写真でご紹介。
(吉野ヶ里の入口の城柵、戦国時代で言うと石垣だ)
(敵の侵入を防ぐ逆茂木(さかもぎ))
(物見、戦国時代の櫓だ、これ、吉野ヶ里のシンボルだね)
(城柵に囲まれた家、当時結婚しても男女は別々に暮らしていたようだ)
(環濠、V字の谷、薬研堀になっている、落ちたら登りずらいね)
(葬祭殿、二階には王様、三階には巫女がいる。弥生時代にこんな大きな建物、あったのかな)
(王墓の入口、中はホンモノが展示されている、さきたま古墳にもあったね)
(王墓の中、中国の兵馬俑みたい、空調もしっかりして保存している)