島原城に続いて、この日の二城目は、佐賀城。佐賀城は、鍋島藩の城だ。天守は焼失、本丸御殿が再建されている。まずは、十代目の鍋島直正の像から。十代目が像になってるなんて、よっぽど賢人だったんだろう。
現存する鯱の門(しゃちのもん)、鯱は、水を吐き、建物を火災から守るシンボルだ。門には鉄砲の址が残っている。明治後維新後、江藤新平かが起こした、佐賀の乱の址だ。
本丸御殿。320畳という、とてつもない広さの大広間がある。製鉄や蒸気機関など、ここから佐賀藩の近代化エネルギーが生まれたそうだ。
鍋島公がおわす。
鍋島焼、輸出用だ。これで鍋島藩は金を稼いでいた。だから、製鉄所なども作ることができた。
城内を歩く。土塁が残っている。石垣には、目印がついている。施工した藩や石工のものだ。
最後は、天守台、天守は火災で焼失してしまった。さほど広くもない。天守は、もともと城主が住んでいたわけではない、周囲を威圧するのが目的で、中は、倉庫などになっていることが多い。城主は御殿が住居で、執務室になっていた。だから、平和な時代には、金のかかる天守は再建されなくなってしまった。