kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

走り込む

2010-11-10 | 陸上競技
水曜日、色々とやることがあって放課後バタバタしました。締切を決めて提出させたモノがあったのですが、それを印刷してラミネートした後に「間違えていた」という事が判明。頭に来ました。他の先生が聞いて謝りに来ましたが、本人は適当…。イライラは最高点まで達していましたが我慢。普通本人が謝りに来るだろうという感じですが、空気が全く読めない。何なんでしょうか(怒)。
その後は履歴書の志望動機を考えました。倍率がかかっていて簡単なことではないですが、何とかしてやりたいという気持ちがあります。試験日が決まる前から面接練習を必死にやっていきたいと思っています。全力で取り組みたいですね。

同時展開でクラスの生徒が文化祭の企画を考えていたのでそれに対して一緒に考えたりしました。今回は女子よりも男子が協力してくれます。基本的に「生徒主体」で取り組んでいく事に意味があると思っていますから、サポートはしますが私が中心というのでは良くないと考えています。なかなか全体が動くという感じにはなりません…。今は全体的にそんな感じですね。リーダーシップが発揮できる生徒が少ないのかもしれません。少しずつでも成長してもらいたいですね。

そのため練習はほとんど見ることが出来ませんでした。私は見ていませんがesaki先生がウエイトの合間に気にかけて練習を見てくださっていたとの事でした。選手にも声をかけてもらえました。「誰かが見ている」というだけでも緊張感が違ってきます。本当は自分達だけでもしっかりと取り組まないといけません。どのような意識で取り組めていたのかは本人しか分からないですが、そういう積み重ねが大きな差になっていくと思います。

サーキットをやってから階段ドリル、平地でドリルと通常通りの流れでやりました。その後は壁を使っての脚運びの確認、タイヤ押し、スタートの確認を繰り返しました。この指示を出してから一気に他の仕事が入ってきたので練習は本当に選手任せとなりました。思った以上に時間がかかってしまったので、急いで(実際はかなり遅かった…)グランドに戻りましたがひたすら加速練習を繰り返していました。良い傾向です。

少し遅くなりましたが、そこから走り込むことにしました。どうしても学校でやらなければいけない状態ですから組み合わせで負荷をかけることにしました。走ることとタイヤ引きを組み合わせました。走ってタイヤを引いて更に走る。色々な要素が複合的に強化できると考えています。
ずっと見ていたわけではありませんが、数人の動きがかなり良くなって来ています。膝が前まで引き出されるようになってきました。何か1つをやったから改善されつつあるというのではなく、今やっている事の全てに意味があると考えています。スピードが上がってくれば、高い質の練習を消化できるようになっていきます。高いスピードで走ると1本1本の負荷が大きくなります。これを積み重ねていく事が強くなるための近道であり、唯一の手段だと考えています。

最後にスキップ走。かなりやっていますね。自分達がどれだけの事をやっているかをしっかりと理解していかなければいけません。周りと比べると目指す所が高いところにあります。まだまだ止まることは出来ません。身体作りのためにもしっかりと身体に対する意識を向けさせていきたいですね。
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必死になれるか

2010-11-10 | 陸上競技
火曜日、いろいろありました。あることで激怒したら事務室から「怒ることがあるんですね」と驚かれました。普段と違うのでしょうか(笑)。単なる感情論ではなくダメなものはダメだと教えることは大切だと思います。ギャップがあるのか分かりませんが、その辺りは厳しく教えているつもりです。

練習開始時に少し話をしました。前日に感じた部分、日誌に目を通して感じた事があったので。自分達は頑張っているんだという雰囲気が少なからずあります。県体が終わって2週間が経過しました。練習を再開して1週間半。前日rinaが来て「前に来たときよりも明るくなった」とメールしてくれました。外から見て変化があるのは悪い事ではありません。
しかし、自分達で意識が変わった、自分は頑張っているとやっている本人達が思っている間は本物ではありません。少しの変化に満足してしまっている。だから本当に必要な努力まで到達しないのです。自分でも気付かないうちに「こんなに頑張っているんだから十分だ」と自分自身を納得させている部分があるのです。

例え話として適切かどうかは分かりませんが、チリの鉱山の事件を例に挙げて話しました。今回は救出されるのを待つ状態で数ヶ月過ごしましたが、自分達が事故で生き埋めになって自力で脱出しなければいけない状態になった時にどう感じるかです。10m穴を掘って「今日は頑張って穴を掘った。自分はすごい。」と思えるか?命がかかっていたら「こんな努力では助からないかもしれない」と深刻に考えるはずです。「頑張っているから何とかなる」とは思えません。1センチでも地上に近付きたいと力を合わせ、手を抜かず満足せずに掘り進むはずです。
今の自分達はどうか?地上に少し近づいただけで命が助かった気になっている。本当はもっともっと掘り進んでいかないと助からないのに…。自分で自分を評価して納得している間は何も変わりません。必死になって掘り進んでいる時間は自分が頑張っている、成長しているという事にはなかなか気づけません。必死になれば周りを気にしている暇はないからです。本当に必死になれば、どうすればもっと前に進めるかを常に考えるようになる。そこが出来ていない間は「やっている」気になっているだけです。

「地上に出たい」という強い願望があれば何でもできる。「もういいや」と諦めてしまわない限り進めるのです。あとはどれだけ真剣にその事を考えられるかです。「地上に出たい」というのは「目標」に置き換える事が出来ます。何が何でも「目標」を達成したいと思えば形振り構わず必死になります。周りの目を気にしている暇はないからです。これまでやってきた努力に比べると数段上のことをやっているのは確かです。しかし、それは「自分の中」だけであり、「地上に出る」という大きな目標に対しては小さな事です。この成長は大切なことなのですが、これだけで満足してしまうと絶対に先には進めません。認めますがそこで穴を掘るのを止めるわけにはいかないのです。

成長はしています。しかし、目標設定が不適切、不十分だと思います。あと何メートル掘り進めば地上に出られるかは分かりません。だから毎日必死に掘り進む。毎日の取り組みの中で「今日は絶対にここまでやる」て決めて進まないと時間だけが過ぎてしまう。やるからには真剣に、全力で取り組んでいくことが大切になります。やらないと見えてこないものです。

どこまで伝わったでしょうか。例えが不適切かもしれません。最近、例題で叩かれている教員が多いですから…。しかし、この話しは間違っていないと思っています。メッセージ性のある例え話は絶対に必要です。自分に置き換えてイメージ出来る話をしていかなければ伝わりません。必死になるから見えてくるものがある。「心」に刻んでもらいたいですね。
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