kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

見直す

2013-10-11 | 陸上競技
国体のこともありもう一度、大会のときのアップを見直すことにしました。以前から細かく指示を出していたのですが、気が付くとどんどん省略されている気がしています。本当に必要なアップの部分がなくなっている。ここは問題です。

アップ内容を見直す。で、それを文書化しておくことにしました。口頭で伝えてそれで大丈夫だと思っていた部分がありますが、ここは本当に大事な部分です。春先の大会でアップを全くしないでレースに出場する1年生がいましたが、こういう部分は細かく指導していかないと絶対に力は出せません。

具体的な内容はここには書きませんが「ベースとなるアップ」を示しました。これまでは4継があるのでそのアップが中心となり個人種目のアップの指示ができていなかった部分があります。考え方は同じなのですがリレーが入るとバトンあわせなどでかなりの量を走ります。個人ではその部分がないのでアップが不足してしまう可能性もある。ここは十分注意しなければいけない。

県総体のようなレースと中国大会、全国大会では「力の余裕」が全く違います。本当に強い選手であれば県レベルの予選は適当に走っても通ります。ここに大きな落とし穴があると感じています。まーこれ以上は書きませんが(笑)。先の大会を考えるとやはりしっかりとしたアップを考えておく必要があります。それがどれくらいの時間でできるのかを考えながらです。

1次アップ。この考え方を大きく変えることにしました。正確に言うと今までも同じような考え方だったのですが、選手に上手く浸透していないなと感じた部分があります。この1次アップといわれる朝の練習時間の使い方で結果は大きく変わってくるのではないかと思います。ここが上手くいけばレース前のアップのやり方も変わってきます。戦うためのアップをしっかりと行っていきたい。そう思います。

中国新人に出場する4人を集めてミーティング形式で話をしました。アップの量が多くなった感じはあるので前日練習の中で内容の精査をしておきたいと思います。私が考える量と選手に必要な量が多少異なる可能性があります。そのなかで一番いい状態に持っていく。これができれば大きく結果は変わっていくと思います。

ある程度指示を出したから大丈夫。こういう慢心が大きな失敗を生む。レース展開も大事ですがやはりアップをしっかりとできなければ持っている力は出せません。大会前日までの準備ができていても当日のアップで大きく結果は変わると思っています。選手を全面的に信頼して終わりではなく指導する側が細かく見ていく必要があると思います。

「選手任せのアップ」で終わらないように、私自身も細かく細かくやっていきたいと思います。なんとか戦える状態に引き上げたいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑感2

2013-10-11 | 陸上競技
前の記事の続き。ちょっと私の話を書きます。これは「めったにない例」だと思ってみてください。「1%の確率」で上手くいった例です。万人に当てはまるとは到底思えません。

私自身それほど「才能」があるとは思いませんでした。高校時代は故障もありインターハイには出場できませんでした。高校時代の最高順位は中国新人6位。「普通」よりは少し上のレベルという感じでしょうか。同学年に「才能」あふれる選手が何人もいました。練習をほとんどしなくても速い。全く練習をしなくても大学になりいきなり大幅ベストを更新して中国四国の学生記録を樹立。遠い存在でした。

それでも私は必死に練習をしました。とにかく勝ちたい。この一心です。誰からも指導を受けることなくがむしゃらに強くなりたいと遠回りをしながら進んでいき、2年生になった時点で始めてそのライバルに勝つことができた。これは「記録」ではなく「順位」でしたが・・・。記録的にはまだ1秒以上差があった。「努力すればきっと勝てる」と信じてずっと練習し続けました。

3年生になったとき、ライバルは陸上を辞めました。「勝てない」ということで陸上に対する想いもなくなったのかもしれません。それでも私は「強くなりたい」とだけ考えて練習をした。結果、4年生になったときにそのライバルのベスト記録を超えることができ全日本インカレ、全日本選手権に進むことができた。「強くなりたい」という想いが原動力となったのだと思います。当時の全日本インカレのB標準記録が52秒30、私のベスト記録が52秒29。これも何度かblogには書いていますが「神様がくれた0.01秒」だと思っています。この記録が出せなければ私が全国大会に出場することはできませんでした。たった「0.01秒」ですが、人生の中では本当に大きな「0.01秒」です。

もともと「才能」のある選手はそれほど努力をしなくても速く走れます。ここに「平等」は存在しません。努力をしなくても走れる。きつい練習をしなくても「勝てる」から試合に出る。努力をして記録を短縮しようという感覚ではなく「勝てるから試合に出る」という部分があると思います。だから勝てなくなったら面白くない。別に「陸上に全てを賭ける」という感覚ではないので「勝てる=面白い」「勝てない=面白くない」という関係が成り立ち、力はあってもそれを最後まで引き出して引退するという話にならないのだと思います。

こういう選手を数多く見てきました。現役時代も指導者になってからもです。

私は大学時代、ハードルの先輩の背中を追いかけていました。運動能力が高く誰からも慕われる素晴らしい先輩でした。しかし、実際のスプリントは11秒5前後だったと思います。100mがめちゃくちゃ速いという選手ではありませんでした。しかし、「絶対に強くなってやる」という姿は他の誰よりもありました。自分が強くなるためには何でもやるという姿勢があり、自分も負けないようにやらないといけないと常に思う存在でした。

その先輩、4年生のときに大きく記録を伸ばし14秒76の当時の県記録を更新し、国体に選出されました。全日本インカレの標準には届かなかったと思いますがそれでも当時の記録的には素晴らしい記録でした。「努力をすれば目標に近づける」というのをずっと見続けていたからこそ私自身も「もっと練習をしなければいけない」という気持ちになれたのだと思います。

私や先輩のケースは実際は「稀」だと思います。「努力すれば夢は叶う」というのは理想論であり幻想的な部分があります。努力をしても勝てない相手がいる。それが現実です。それでも自分が最大限の努力をして力を付け、相手がそれなりの努力であまり力が付かなかったら「勝てる可能性があるかもしれない」というレベルです。1%かもしれません。その少しの確率に賭けて努力をすることができるかどうか。普通の選手にはできないでしょうね。それでも「強くなりたいならやるしかない」と思えれば何でもできると思います。

強い選手を指導する。これが全国入賞するための一番の近道だと思います。当然です。しかし、全てにおいてそのような条件がそろうことはありません。強い選手だけを集めて指導できる環境というのは存在しません。強い選手が一人でも目立つとそのチームは「すごく強いチーム」という印象付けがされます。しかし、それだけは面白くないと感じています。もちろん強い選手だけを集めて勝ち続けることが面白くないというわけではりません。いつかそのような環境で全国で戦えるチームを作ってみたいという気持ちはあります。いつか・・・ですが(笑)。

今私自身が目指すチーム。それは全員が最大限の努力をするチームです。力があるないは基本的に関係ない。口だけではなく心から最大限の努力をするチームにしたい。それができなければどのような選手がいても結果的には同じだと思います。力がない選手が努力をしなければいつまでたっても追いつくことはできない。これが現実です。自分たちが本当に目指すものがあるならやるべきことは見えてくる。そう思っています。

ここ最近強く思っていることです。良いチームとは何か?指導スタイルを大きく変えて選手に合わせてそれなりにやるというのは今の私にはできません。本当に強くなりたいと思う選手と一緒に競技をしたい。それだけです。

なんとなく思っていることを書いてみました。お許しを。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑感1

2013-10-11 | 陸上競技
火曜日、久々に練習を見ることができました。練習開始前には日誌についての話をもう一度しました。結局、伝わらない者には伝わらないと分かってはいるのですがそれでも放置するというのはいいことではありません。少しでも良い方向に進んでほしいという気持ちがあります。簡単なことではありませんが言い続けていくしかないと思っています。

「強くなりたい」という想いがある選手と「それなりに」という選手を比べる。良いことかどうかは分かりません。しかし、「覚悟」がある選手とそうでない選手にかかるエネルギーの必要量は大きく違います。まずは「競技と真剣に向き合う」という水準に引き上げる必要があるのです。かなり力がある選手であっても「何が何でも強くなりたい」「絶対に強くなる」という想いが少ない選手は多々います。

強くなるためな何でもやる。という強い気持ちがあってもその方法が分からないといパターンも多くあります。「練習をやればいい」というわけではないからです。どのような目的を持って練習をすれば力が付くのか。ここを指導する側が理解できなければこれもエネルギーの浪費となります。「強い選手は何をやっても強い」という現実があります。本当ならもっともっと強くなれるのにやり方が間違っているから最大限の力は出せない。しかし、それでも「強い」ので周りからは「いい指導だ」と評価される。同時に「いい選手だ」と評価される。本当なのでしょうか・・・。

典型的な例があります。これは経験則なのですが元々速い選手というのは基本的に補強を嫌います。補強は地味できついですから誰も好んでやるものではありません。中学時代は補強などしなくても速く走れていた。きついことをする必要性を全く感じないのです。だから「補強をするように」と言われても「なんでやるの?」という水準で終わってしまう。これは中学などでの実績がある選手ほど多い傾向です。「生まれもって速い」のですからそこまで苦しいことをして自分を追い込む必要はありませんから。

これも「やればもっと強くなる」というのと同じです。元々速い。そこに満足するのではなくもっともっと自分のために努力できれば力はあがるのです。しかし、そこに目を向けることができない。強い選手はそれなりに練習をすれば強くなります。しかし、普通の選手は絶対に強くなりません。間違いない事実です。

世の中は「平等」を好み、「不平等」を嫌います。しかし、実際はこの上なく「不平等」です。「生まれもって速い選手」が存在するのです。これはいかんともしがたい事実。この「不平等」を普通の選手がひっくり返すためには通常では考えられない努力が必要となるのです。それだけやっても立場は変わらないかもしれない。それでもやらない限り絶対に逆転することはないのです。

長くなったので記事を変えます。本当は全く違うことを書こうと思っていたのですが内容が大きく変わってしまいました(笑)。お許しを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする