kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

日誌

2013-10-09 | 陸上競技
国体関係とは少し異なるのかもしれませんが思うことを少し書いておきます。

学校に戻って自分の所の選手の練習日誌を見ました。正直、「情けないな」と思う部分が強くありました。間違いなく朝適当に書いて終わっているレベルの内容の者が複数見受けられます。国体で「強くなりたい」と思っている選手たちを目の当たりにして戻ってきてこのギャップは大きかったですね。「書けと言われたから書く」というレベル。これで「強くなりたい」というのは間違いなく「ウソ」です。自分のために時間を使えていないのが分かります。

国体や県合宿ではその選手の「一部」しか見えません。表面的な「強くなりたい」を過大評価する部分もあるでしょう。実際のその選手たちが普段どのような意識レベルで競技をやっているかは分かりません。「特別な場面」だから「一部分」だけを評価してしまう。参加選手も「特別な場面」だからいつもと違う雰囲気で取り組むことができる。その可能性は十分にあります。毎日の練習でその選手たちを見ていたら「足りない」部分が目についてしまう可能性も十分あります。

しかし、自分のチームの選手は「普段」が見えます。この「普段」の取り組みがきちんとできないようであればやはり強くなる可能性はありあません。私は指導の中で「競技力」と「日誌」の相関関係はかなりあると思っています。本当に自分で強くなりたいと思うのであれば日誌の中身が全く変わってきます。「書くだけ」の日誌には意味がありません。日誌を見ると「どのような意識で取り組もうとしているのか」というのが明確になります。「想い」がない者は絶対に日誌が書けないのです。

「強くなりたい」「~しなければいけない」と「見てもらうため」の内容を書く。これはこのようなことを書いておけば私が納得するだろうという感じで書いています。本当に本人が何かを成し遂げたいと思うの出ればそのような内容にはなりません。これは学年に関係なくです。1年生でも本当に強くなりたいと思えば「心」の動きを日誌に書けるようになります。逆に学年が上がっても「え?この程度?」という日誌を書く者もいる。こういう選手は間違いなく強くなりません。100%と言っていいほど相関関係があります。

「今日は良く走れた」「調子が悪かった」と書くだけの日誌は次につながりません。事実を書いているだけ。「だからどうした?」という内容です。このblogが「今日は天気が良くて走れた」としか書いていなかったら誰も見てくれないと思います。誰かに見てもらいたくて書いているのかどうかは非常に微妙なところですが、「自分の考え」「自分の感じたこと」を記録として書いています。だから何かしら見ている人に伝わることがある。「事実の羅列」は無意味です。それは「日誌」ではない。事実の記録簿でしかない。こういう日誌しか書けない選手は注意を受けても「何が悪いのか分からない」のです。

「強くなりたい」「自分の課題は○○だ」と書く。だったら何をすればいいのか?そこを考えて書くのが日誌です。課題は練習中に私が言ったこと。それを書いておけば注意を受けることはないだろうというレベルの日誌を書く選手にこちらが本気で指導をする必要があるのか?大いなる疑問です。

「強くなりたい」と思う選手を見た後に「言われたからやる」という選手を見ると大きなギャップを感じます。うちの選手の中にも「強くなりたい」と思っている選手はいます。なんとなくやっている選手もいるでしょう。そのような選手にどれだけ時間を使えるのか?チームを作るという意味では全体を指導しなければいけません。しかし、今後戦っていくためには「選択」と「集中」が求められます。競技力が無くても一生懸命に取り組む選手であればどれだけでも力を注ぎます。基本的に「弱いから指導をしない」というスタンスはありません。強くても意欲がない選手に力は注げません。

あれだ言い続けても日誌が書けない。ちょっと深刻な状況だと思います。このギャップを自分の中で処理できるでしょうか・・・。甚だ疑問が残ります・・・。
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国体雑感

2013-10-09 | 陸上競技
国体にコーチとして参加させてもらって何年経つでしょうか・・・。あっという間に時間が過ぎていきます。

今回レースを見ることができませんでしたが成年400mH選手、残念ながら決勝進出できませんでした。この選手ももう22歳、本当に早いものです。一番最初に出会ったのは中学生のころだったと思います。まだ身長も低く110mHを3歩でいくのが精一杯という感じでした。それが高校生となり大学生となり・・・。新潟国体で入賞してからもう4年が経ちます。昨年今年と国体に選ばれて代表選手として走っています。日程の関係で私は昨年、今年とレースを見ることができませんでした。残念です。

国体は自分が普段から見ている選手ではありません。県の代表選手を預かって最後に関わるという部分です。普段の練習を見ているわけではありませんが、関わっていく中で選手の人柄が分かり「上で戦いたい」と思う選手の想いも伝わってきます。できることを最大限にやっていきたいと感じる場面でもあります。もともと、「選手を強くして自分が周りから認められたい」という感覚はありません。人によってはそういう部分があるという話ですが・・・。これも価値観の部分なのでどちらを向いていても良いかなとは思います。基本的に私は「選手」を向いていたいと思います。

選手によっては「どんな練習をすればよいか」と積極的に聞いてきます。普段見ている顧問の先生の指導を聞くのが一番だと答えますが、細かい部分はある程度アドバイスします。これが本当に良いことなのか悪いことなのかは今は分かりませんが。「もっとこうすれば強くなるだろうな」と思うことがあっても、国体の場面だけのコーチですから必要以上のことは言えません。県に戻れば自分のチームが最優先ですからあまり情報を与えてしまうのもどうかと。心が狭いと言われるかもしれませんが(笑)。以前に比べるとその辺りのことが少し甘くなってきたかなという感じもあります。「強くなりたい」という気持ちに多少なりと答えたいという想いが私自身にあるのかもしれません。

他の指導者と比べると「選手との距離感が近い」のかもしれないなと感じています。これは普段の練習の時からですが。距離を置くというのが苦手なのかもしれません。県の合宿や国体などで指導をするとそういう部分が改めて感じられます。これが良いことなのか悪いことなのか。「自分の所だけ強くなればいい」という気持ちももちろんあります。でも目の前に「強くなりたい」と思っている選手がいればそれに手を差し伸べるのも必要なのか。すごく難しい部分です。

ドライな指導者になれば「関係ない」と割り切れる。その場限りの指導で終わり。どちらかというとそういうのが苦手なので・・・。逆にその姿を見る自分のチームの選手はどう感じるか。他校の選手と一緒にあれこれしている姿は決して快くないのではないか。最優先すべきはやはり自分のチームの選手です。当然ですが。この辺りがどうも自分の中で上手く処理できませんね。

選手はどう感じるのか?ここも分かりません。それでも「自分なりの指導スタイル」を持ちたいと思ってやってきました。それが本当にできるのか?正直見えない部分もあります。

話を聞くと「自分のチーム以外は一切指導をしない」という指導者も県外には多数おられるようです。県合宿なども参加しないで自分で練習をする。良い部分もあるでしょうし悪い部分もある。師匠が「他のチームの選手と仲良くするなんて考えられない」という話を以前されていたことがあります。レース前にライバルになる選手が選手紹介をされている時に拍手をする選手がいる。勝負に対してシビアになりきれない。確かにそうですね。他校の選手を応援するというのは「勝負の世界」では良いことではない。最後の最後にその「甘さ」で負けてしまう可能性もある。

国体を通じて色々と考えさせられる部分があります。もちろん、山口県チームとしては全面的にバックアップしなければいけないと考えていますが、心の中に微妙な想いが残ります。難しいですね。

また書きます。
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