kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

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2013-11-23 | 陸上競技
競技のことを少し。

思うことがありもう一度技術的な部分について考えていました。気が付くとある程度のことはできるようになっていますがもう少し動きの部分を細かく確認する必要があるかなと感じていました。脚運びという地味な部分を丁寧にやっておきたいと考えました。「走っていたらそのうち速くなる」と考える指導者もいるでしょうが、私は「地道な積み重ね」で速くなると思っています。どの考え方が正しくて間違っているというのは分かりませんし、すべてが正しいのかもしれません。私は繰り返し練習しかないと思ってやっています。

脚運びに意識を置くことで「進まない状態」が生まれます。何を言っているのか分かってもらえないのかもしれませんがこれまで見てきた中でこれは間違いない事実だと思います。うちの練習で脚運びや階段をひたすらやることがあります。このことにより「目指す脚運び」に近づきますが一番大切なところができていないので進みません。

数日間脚運びを中心に行いました。長い目で見たときには絶対に必要だと思います。じっくり見ていると「脚が流れる」「回転が後ろになる」選手には共通する特徴がありました。これは顕著な特徴です。走っていて「流れる」というだけではなく、基本的な脚運びの段階で「流れる要因」があるのです。ここは意識的に改善していく必要があると感じました。時間はかかると思いますが・・・。

同じ動きを行わせてもやはり各自で異なります。「個性を生かした走り」が理想だと言われます。腕ふりも脚運びも修正する必要がないと。私はある程度は修正が必要だと考えています。身長が違えば走りも異なる。当然のことです。うちにはタイプが全く異なる選手がいます。その選手達が全く同じ動きを目指すというのは不可能ですし意味がありません。ストライドで持っていくタイプとピッチで持っていくタイプ。2人が同じ動きをしているとは思えません。しかし、「基本的な部分」は共通する意識でやらないといけないと思います。

身長が低くピッチで走るタイプは他の選手よりもスピード持続能力が必要になります。筋持久が身長が高い者よりも優れていなければいけない。ダラダラ走る持久力ではなく速い動きを持続する力です。だから走練習がすごく大切になる。疲れてからのスピード持続(心肺的)な部分も必要になりますが負荷をかけて後半でピッチを維持させる練習が必要だと考えています。タイヤ引きなどはすごく苦手な練習になるとお思います。それでも後半の持続のことを考えると短い距離でのタイヤ引きは効果があると感じています。時には長い距離(120mくらいまでですが)やりますが・・・。しんどい練習に耐える力が求められる。かなり精神的に強くならないといけないと思います。

身長が高くストライドで走るタイプの選手は筋力が必要になります。大きな身体を動かすというのは簡単ではありません。手足が長くなるということは支点からの足先までの距離が大きくなりそれを動かすというのは簡単ではありません。大きな力を必要とします。脚運びの部分も他者よりは必要な部分です。支点から足先までの距離を小さくしなければ回転が上がりません。身長が低い者よりは間違いなく大きな筋力が必要になります。走る練習も重要ですがトレーニングの必要性は大きいと思います。筋力を上げるというのもかなり大変です。余程の意識でなければ必要な筋力は上がらないからです。

タイプが違えば必要な要素も変わってくる。それは当然のことです。しかし、根本的な部分は同じ。特に「脚運び」と「移動」は絶対にはずせない要素です。これまでは「脚運び」を最優先してきました。これはこれで大事だと思います。しかし、これだけに特化すると「移動」の部分が疎かになり全く動かなくなる。脚運びだけがきれいになっても一番大切な部分ができなければ意味はなくなってしまいます。これが今までの一番の反省点だと考えています。

基本的ない部分に力を入れながらも「移動」も入れていく。これが正しいかどうかは分かりません。繰り返しになりますが走っていたら速くなるという可能性も十分あるからです。しかし、継続的に結果を残す学校にはそれなりのノウハウがあるはずです。良い選手が集まったから一時的に強いというのではなく高校に入ってから伸びるというのには必ず理由があると思います。この部分が確立できたらと考えています。

長くなりました。競技にかなり意欲がわいてきてたということでお許しを。
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「月」と「太陽」

2013-11-23 | 陸上競技
思うことを少し。

昨日親しい人と4時間以上話をしていました。その時感じたことを記録として残しておきたいと思います。かなり真面目な話を何時間もするというのはなかなかできることではありません。ある程度価値観が近かったり向いている方向性が同じ人としか時間は共有できないと思っています。雑談というよりは真剣にあれこれ話したという感じでしょうか。

ここ最近(数年?)ずっと感じていたことがあります。前も書きましたが私自身「エネルギーは無限大」だと思い込んでいました。「何かをしよう」と思ったらそれに対してエネルギーが沸いてくる。特に何かを意識しなくても活動ができるという部分がありました。周りから「よくやるね」というようなことでも自ら進んでやるという感じがありました。これも「性分」なのだと思います。とにかく動き続けておきたい。活動することで次のエネルギーが発生するという感じでしょうか。

しかし、少し前に「エネルギーが尽きた」と感じる時期がありました。これはしんどかったですね。どう考えても活動できない。モチベーションが低下するというのもあるのでしょうが本当に「活動できない」と感じていました。「疲れた」としか言えない状態。本当に疲れ切ったという感じがありました。肉体的にも精神的にもしんどいなという時期です。

自分の中ではそれが「許せない」というところがありました。いつもアクティブにいたい。自ら進んで動いておきたいという気持ちが強くなるのですがそれが行動に移せない。そんな自分自身が嫌だなという感じがありました。結構大変な話です。これまでとは違う自分がいてそれを自分自身が受容できない。とはいえ、行動ができるかというとそれはできない。うーん、という感じですね。

そこで「他の人にエネルギーをもらおう」と考えました。自分自身で動けないなら他者からエネルギーをもらってそれを力に変えて動きたい。それ以外の方法が思い浮かびませんでした。「頑張りたい」という人間のそばにいることでそこからエネルギーをもらえるのではないかと考えたのです。しかし、それは一瞬でした。他者からもらったエネルギーを自分のものにしてその力で動き続けるというのは私にはできませんでした。自分の中から湧き出てくるエネルギーがない限り「kaneko」という人間は動けないのだと悟りました。

「動き続ける」というのは簡単なことではありません。誰かと真剣に向き合ったり、多くの人を動かすというのは楽な作業ではないのです。大きなエネルギーが必要になる。そのエネルギーをどこから手に入れるのか。「そういう気持ちになるのを待つ」しかないのかもしれません。それでも私がエネルギーを発し続けなければ多くのものが動かないというのも感じました。休む間もなく動き続けなければ先には進めないのです。それをこの数週間で強く感じました。

逆にエネルギーを発し続ける人がいるから「力」を発揮できるタイプの人もいる。「月」と「太陽」の関係です。自ら輝かなくても「太陽」が輝くことで自分自身の「力」を発揮できる。「太陽」はその「月」がいてくれるおかげで夜の間は休める。常に「太陽」が出続けることはありませんし、常に「月」が出続けることもない。お互いがその存在に支えられて価値を見出しているのです。私は性格的に「太陽」なのだろうなと感じています。自分がエネルギーを発し続けることでその存在の価値がある。受け身になっていたらその存在は誰にも多くのプラスにはならない。私の存在を支えてくれる人がいるから輝き続けることができるということも忘れてはいけない。その人たちのためにも「動き続ける」ことが必要なのだと感じました。

正直、「太陽」であり続けることは簡単なことではありません。時にはエネルギー切れを起こすこともあるのかもしれません。しかし、これでは先には進めないのです。申し訳ないのですが少し止まりました。止まったことで多くの人に迷惑をかけたり、不快な思いをさせたのかもしれません。しかし、一人の人間として考える時間というか自分自身の時間が必要だったと思います。これが将来的にプラスになると信じたいと思います。

「太陽」として輝き続けることができるか。それは今後の取り組みを見ていただくしかないと思います。「太陽」でありたいと願います。
コメント (2)
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