kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

言葉で伝える難しさ

2013-11-20 | 陸上競技
今更ですが「言葉」で伝えることのむずかしさがあります。これはこれから先も解決しないのではないかと思いますが・・・。同じ言葉であっても捉え方によっては全く違います。前後の文脈によっても全く感じ方が異なる。ここ最近、「競技の指導がしたい」と強く思っていました。3か月間は競技の指導もしてきましたがそれ以上に日常生活の指導が大きい。「更生部」ではありませんから放課後の練習時間くらいは競技を指導させてほしい。そう強く思っていました。

そのため繰り返し繰り返し話をする。練習の時間を割いてまでやるというのが本当に良いのか分かりませんが・・・。「強ければいい」とは思いません。他者から応援されるようなチームでなければ今後活躍しても意味がないと考えています。物事に全力で取り組むということができなければ上の大会に勝ち進んでもそれほど意味がないのではないかと。ここは選手とは大きなギャップがあると思います。競技は競技、日常生活は日常生活と完全に区別して考える者もいるでしょう。

ある選手の日誌に「一人が乱しても良いではないか。他の者がそれをカバーすれば問題ない。」と書いてありました。本当にそうでしょうか?これまで話をしてきたことは伝わっていなかったのだなと強く感じました。この状態で練習をしても何も生み出さない。がっかりするというよりは諦めるという感じでしょうか。本当に難しい。「一度きりの高校生活だから文化祭も練習も楽しみたい」と書いている者も。それはそれで良いと思いますが、部活動の方針とは大きく異なります。文化祭を楽しむなとは一度も言っていません。できる時間にやれば良い。練習の開始時間が遅れてまでも何時間も準備をするというのは違うのではないかと思っています。こういう書き方をすると「価値観の押し付け」といわれるかもしれませんね。こういう時代ですから書いたことの「表面的な部分」だけをとらえられる可能性は十分ありますから。

「普通に練習する」ということがどれだけ大事か。結局、こちらの思っていることが選手に伝わっていないからこのような話になるのだと思います。基本的には練習優先。勉強があれば勉強優先。いつも通りにいつもの練習をする。これだけです。ここ最近日常生活の指導が中心となり競技面の指導が不十分だと感じています。自分たちのためにやっていてその時間帯に指導する側が合わせているのです。そのことさえも感じ取ってもらえない。勤務時間外に指導するということの意味。見ているだけではありません。選手一人一人を見ながらあれこれ考えています。それは分かってもらいたいと思うのは私のワガママでしょうか。

強くなりたいという意欲はあると思います。しかし、それだけで本当に良いのか?全て選手中心で選手の思い通りにやる。そのようなチームになるのは絶対に避けたい。そう思って何年も指導してきました。

私が「指導したくない」と思ったのは勘違いで起きたことでも何でもありません。この状況に置いて「基本的なこと」を何度も確認しなければいけない状況に疲れたのです。そのことが理解できずに「本当は違うのに」「自分たちは強くなりたいのに」という話の流れになっていたというのは「言葉」で伝えることのむずかしさがあるのだと思います。

一人の人間として「疲れる」ことは許されないのでしょうか?教育に関わる者は24時間全てを犠牲にして他者のための務めるのが「当然」なのでしょうか?こういう部分を考えるとすごく疲れます。競技の指導に持っているエネルギーを使いたい。特に放課後は。それができないのであれば部活動の指導をしないでのんびり過ごすほうがストレスを感じません。

何時間もかけて話をしました。個別にも。これでどれだけ分かってくれるでしょうか。大きなエネルギーを使うという部分が分かってもらえるでしょうか。なかなかしんどい部分です。
コメント
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