長い話をしました。この時点で分からなくなっている者もいるかもしれません。
最初から「負ける」と考えてレースをする。練習をする。このことの無意味さ。県総体で1位になれる人間は1人、中国大会で1位になる人間は1人、インターハイで1位になる人間は1人。それ以外は必ず「負け」を経験します。だから「負けるのが当然」という考え方になる。しかし、それで本当に良いのか?最初から「負け」を考えて走っていたらレースに出る前から負けているのです。同じ地区に5人強い選手がいる。それなら6番目を狙う。当然の考え方かもしれませんがそれでは絶対に6位にはなれないと思います。「負け」を意識した勝負となるのですから。
今回の大阪室内、間違いなく「負け」が最初からありました。それを経験することも大切だと思って細かい部分は指摘しませんでした。この指導が良いのか悪いのか分かりません。しかし、実際に経験しないと分からないのです。自分とは「別次元」で競技をしている選手がいる。そこの「差」を痛感する。それがスタート。そして「勝つ」ことを目標に練習をしなければいけないと思います。「勝利至上主義」を批判する考え方もあります。「勝つためには何をしてもいい」という考え方には私も反対です。しかし、最初から「負け」を意識した競技をするのは面白くないのです。
午前中に話した話をもう一度しました。今、遠征に行く、合宿に行く、スパイクを買う、携帯を使う、食事をするという自分では「当たり前」だと感じている事に対して真剣に考える必要があります。保護者は子供が「陸上競技をしたい」と言えばある程度の援助をしてくれます。うちの学校で競技をやると言ったときに反対があったかもしれませんが最終的に本人が強く望むのであれば「頑張れ」という意味で許可してくれているはずです。選手はそのことを忘れてはいないか?保護者からやってもらって当たり前という感覚を捨てなければいけない。「義務」と「権利」です。自分がやりたいことをやる。そのためには何かしらの「義務」が生じるのです。ここでいう選手の「義務」とはなんでしょうか?
それは「一生懸命に取り組む」事だと思います。自分が「やりたい」と言って始めたことです。保護者はそれを応援してくれています。指導者に注意を受けて辛そうにしている姿、怪我をして思い通りに練習ができない姿も日ごろから一番近くで見ています。それでも本人が「目標」を持って「強くなりたい」と思ってくれていると信じるから無償の愛を注いでくれるのです。「お金がかかるからバイトして競技をしなさい」とは現時点では言われないはずです。多分。
そうであればどのような形かで保護者に「恩返し」をする。それが「義務」だと思います。ではどうするか?一生懸命に練習をするのです。それで一生懸命に目標に向かって進むのです。「結果」にこだわり勝負をするのです。「強くなれたらいいな」というような形では「恩返し」にはなりません。全力で取り組んでその姿を保護者に見せる。「勝つための努力」をしている姿を保護者に見てもらうのです。「勝つ」ことを考えたら2位になったら悔しい。レースが終わった瞬間に「悔しい」という想いがあふれてきて涙するかもしれません。それくらい一生懸命に物事に取り組めば保護者もどのような気持ちで子どもが競技に取り組んでいたのかが分かります。「結果」を追求する。負けるかもしれません。しかし、最初から「負けるための努力」をする姿を保護者が望むでしょうか?
人生の中で何か一つに没頭して「一生懸命になる」というのは大切なことです。その中から人は多くのことを学びます。それは一生の宝となり自分自身の人生を大きく変えていきます。こんなことを高校生に話しても伝わらないと思います。それでも関わる者が「負けてもいいよ」と押してるのは違う気がする。最終的に何を持って「勝ち」とするのか。自分自身の殻を打ち破りこれまでの自分から大きく変わることが「勝ち」かもしれません。正解はこの子たちが大きくなったときにきっと分かると思います。
私は「憎まれ役」で充分です。選手に好かれるために媚びるつもりはありません。保護者から与えられた「才能」を持った子供たち。自分たちでは絶対に頑張りきれません。それをどうやって「一生懸命」にするのか?指導者が選手から好かれるようになるはずがないと思っています。生徒も同様ですが。基本的には嫌なことを言わなければいけない。自分の耳に痛いことを言われるのは人は好みません。当然です。それでも私は指導をしていかなければいけないと思っています。
持っている「能力」は本当に高い。これを引き出せるかどうかなのです。世の中には「能力」があってもそれを引き出せないまま終わってしまう人が大半です。何故なら「能力」を引き出すためには「4つの柱」が必要になるからです。それには大きな「痛み」を伴います。簡単に手に入れることができないのです。ここをどれだけ理解できるか?
選手は「また指導された」というレベルで終わっているかもしれません。私が本当に何を伝えようとしているのかを理解できずに反発する選手も出てくるでしょう。そうなると「能力」を引き出すのが難しくなります。「素直に受け入れる」という感覚がなくなりますから。頃合いが難しい部分ですが。私は本気で選手を伸ばしたいと思っています。それは預かっている保護者への「義務」だと思います。「適当でいいや」と思うような指導はできません。多くの金銭的な負担をしていただいている部分もあります。「うちで競技をやらせたい」と思って進学させてくださった方もいると思います。その「想い」に答えるためにはやはり「結果」で恩返しするしかないと思います。
この子たちが「本気」になればどこまでも戦えると思っています。「中国地区で勝つ」というのが私が抱いている目標です。もちろん、簡単なことではありません。「6番以内に入ればいいや」という指導はしたくありません。高すぎる目標でしょうか?この子たちの「能力」からすれば不可能ではないと思っています。どれだけ分かってもらえるかだと思います。
結局、1時間近くミーティングを行うことになりました。途中休憩をはさみましたが。
長くなりました。書きたいことを書いていると収拾がつかなくなります。分かりにく文章で申し訳ありません。
最初から「負ける」と考えてレースをする。練習をする。このことの無意味さ。県総体で1位になれる人間は1人、中国大会で1位になる人間は1人、インターハイで1位になる人間は1人。それ以外は必ず「負け」を経験します。だから「負けるのが当然」という考え方になる。しかし、それで本当に良いのか?最初から「負け」を考えて走っていたらレースに出る前から負けているのです。同じ地区に5人強い選手がいる。それなら6番目を狙う。当然の考え方かもしれませんがそれでは絶対に6位にはなれないと思います。「負け」を意識した勝負となるのですから。
今回の大阪室内、間違いなく「負け」が最初からありました。それを経験することも大切だと思って細かい部分は指摘しませんでした。この指導が良いのか悪いのか分かりません。しかし、実際に経験しないと分からないのです。自分とは「別次元」で競技をしている選手がいる。そこの「差」を痛感する。それがスタート。そして「勝つ」ことを目標に練習をしなければいけないと思います。「勝利至上主義」を批判する考え方もあります。「勝つためには何をしてもいい」という考え方には私も反対です。しかし、最初から「負け」を意識した競技をするのは面白くないのです。
午前中に話した話をもう一度しました。今、遠征に行く、合宿に行く、スパイクを買う、携帯を使う、食事をするという自分では「当たり前」だと感じている事に対して真剣に考える必要があります。保護者は子供が「陸上競技をしたい」と言えばある程度の援助をしてくれます。うちの学校で競技をやると言ったときに反対があったかもしれませんが最終的に本人が強く望むのであれば「頑張れ」という意味で許可してくれているはずです。選手はそのことを忘れてはいないか?保護者からやってもらって当たり前という感覚を捨てなければいけない。「義務」と「権利」です。自分がやりたいことをやる。そのためには何かしらの「義務」が生じるのです。ここでいう選手の「義務」とはなんでしょうか?
それは「一生懸命に取り組む」事だと思います。自分が「やりたい」と言って始めたことです。保護者はそれを応援してくれています。指導者に注意を受けて辛そうにしている姿、怪我をして思い通りに練習ができない姿も日ごろから一番近くで見ています。それでも本人が「目標」を持って「強くなりたい」と思ってくれていると信じるから無償の愛を注いでくれるのです。「お金がかかるからバイトして競技をしなさい」とは現時点では言われないはずです。多分。
そうであればどのような形かで保護者に「恩返し」をする。それが「義務」だと思います。ではどうするか?一生懸命に練習をするのです。それで一生懸命に目標に向かって進むのです。「結果」にこだわり勝負をするのです。「強くなれたらいいな」というような形では「恩返し」にはなりません。全力で取り組んでその姿を保護者に見せる。「勝つための努力」をしている姿を保護者に見てもらうのです。「勝つ」ことを考えたら2位になったら悔しい。レースが終わった瞬間に「悔しい」という想いがあふれてきて涙するかもしれません。それくらい一生懸命に物事に取り組めば保護者もどのような気持ちで子どもが競技に取り組んでいたのかが分かります。「結果」を追求する。負けるかもしれません。しかし、最初から「負けるための努力」をする姿を保護者が望むでしょうか?
人生の中で何か一つに没頭して「一生懸命になる」というのは大切なことです。その中から人は多くのことを学びます。それは一生の宝となり自分自身の人生を大きく変えていきます。こんなことを高校生に話しても伝わらないと思います。それでも関わる者が「負けてもいいよ」と押してるのは違う気がする。最終的に何を持って「勝ち」とするのか。自分自身の殻を打ち破りこれまでの自分から大きく変わることが「勝ち」かもしれません。正解はこの子たちが大きくなったときにきっと分かると思います。
私は「憎まれ役」で充分です。選手に好かれるために媚びるつもりはありません。保護者から与えられた「才能」を持った子供たち。自分たちでは絶対に頑張りきれません。それをどうやって「一生懸命」にするのか?指導者が選手から好かれるようになるはずがないと思っています。生徒も同様ですが。基本的には嫌なことを言わなければいけない。自分の耳に痛いことを言われるのは人は好みません。当然です。それでも私は指導をしていかなければいけないと思っています。
持っている「能力」は本当に高い。これを引き出せるかどうかなのです。世の中には「能力」があってもそれを引き出せないまま終わってしまう人が大半です。何故なら「能力」を引き出すためには「4つの柱」が必要になるからです。それには大きな「痛み」を伴います。簡単に手に入れることができないのです。ここをどれだけ理解できるか?
選手は「また指導された」というレベルで終わっているかもしれません。私が本当に何を伝えようとしているのかを理解できずに反発する選手も出てくるでしょう。そうなると「能力」を引き出すのが難しくなります。「素直に受け入れる」という感覚がなくなりますから。頃合いが難しい部分ですが。私は本気で選手を伸ばしたいと思っています。それは預かっている保護者への「義務」だと思います。「適当でいいや」と思うような指導はできません。多くの金銭的な負担をしていただいている部分もあります。「うちで競技をやらせたい」と思って進学させてくださった方もいると思います。その「想い」に答えるためにはやはり「結果」で恩返しするしかないと思います。
この子たちが「本気」になればどこまでも戦えると思っています。「中国地区で勝つ」というのが私が抱いている目標です。もちろん、簡単なことではありません。「6番以内に入ればいいや」という指導はしたくありません。高すぎる目標でしょうか?この子たちの「能力」からすれば不可能ではないと思っています。どれだけ分かってもらえるかだと思います。
結局、1時間近くミーティングを行うことになりました。途中休憩をはさみましたが。
長くなりました。書きたいことを書いていると収拾がつかなくなります。分かりにく文章で申し訳ありません。