kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なんだか2

2014-02-28 | 陸上競技
もう少し思うことを。

部活動において主体は「生徒」であるべきです。本当に「生徒」が「やりたいくない」と思っているのであれば指導する側だけが本気になって指導する必要はないのではないかと思います。100人いれば10人はすごくやる気がある。逆に70人は「普通にやりたい」と願う。残りの20人は「やれと言われるからやる」という状況が生じる。これも当然のことだと思います。クラブチームであれば「やる気のある者」だけが集まるので「やりたくない」という生徒は存在しません。学校の「部活動」においては少なからず混在します。

部活動よりも「クラス」の方が難しいのは当然です。「部活動」では「部活をやる」ということにおいて同じ方向性を向いていますが、クラスは本当に多種多様。「勉強」に向いている者(僅か)、「部活」に向いている者、異性関係に関心がある者、何となく学校に来ている者ect・・・。同じ方向を向くことの難しさがあるのはクラス経営だと思っています。その中で「共通するモノ」を見いだしていって進んでいく。これ以外に方法はないと思っています。

部活動ではある一定方向を向いている。が、細かく見ると全く違う方向だったりする。「強くなりたい」という気持ちがある。その「強くなりたい」がどのレベルなのか?日本一になりたい、インターハイに行きたい、中国大会に出場したい、県総体で決勝に残りたい、県総体に出たい、みんなで運動をしたい。それぞれが混在するのが今の現状。その中で一律の指導は本当に難しい。

どうするのがベストなのか?答えは見つかりません。選手は一生懸命にやっている。その事実は変わりません。一生懸命にやる選手であればサポートすることは惜しみません。競技をする中で多くのことを我慢します。「時間」は限られているのでその時間の使い方をどうするか?一方をとればもう一方はできない。限られた「時間」をどのように使うかというのは「人」次第です。

そこを「競技に使う」ということを求める。これが「悪」なのか?「正義」なのか?分かりません。強制的にやらせる「部活動」というのは面白みがないのです。もちろん、強くなるためには避けては通れないことがたくさんあります。30分程度身体を適当に動かして「日本一になりたい」なんてことはありえません。やりたくはないが強くなるためにはやるしかない。そこの「選択」だと思います。だから「やりたくないならやる必要はない」と思う。それは私の考え方であって「正義」か「悪」かではない。難しい部分です。

部活で結果を出したい、一生懸命練習するのは嫌、先生に何か言われるのはいらつく、身体は動かしたいけど学校のルールを守れと言われるのは嫌などのことが並列することは無いと思っています。やりたいことがあるのであれば絶対に「我慢」をしなければいけない。嫌だけどやらなければいけないこともたくさんある。そこを避けて通れるのか?不可能です。

我々が何かをやる。「やって当たり前」という風潮がある。それを私自身がきちんと受け入れることができるのか?今の自分の中でそこが釈然としません。「何を青くさいことを言っているのか?」と思われるかもしれませんが「納得できないことをやる」というのはものすごいストレスです。自分自身の人生や生き方について考えることを放棄して「やるのが当たり前」と言われるコトに対して強い憤りを感じます。今の現状で私が言われているのではない。ここだけは言っておきます。が、私個人が言われないのは「好きでやっているから」であり、それを自分自身が「苦痛」だと思わないから。逆にこちらが求める様な部活動ができなかった場合はどうなるのか?「強くなりたい」と言ってもそれに見合う努力ができない。「そんなに頑張らなくても良い」という雰囲気を持った選手が数人存在する。こんな時でも「自分の人生の時間を削って他の人に尽くすことが当然である」と言われてそのことを受け入れられるのか?大きな疑問です。

今37歳、今年38になります。60歳が定年だとしてあと22年。現在、3分の1が過ぎ去ったという状況です。本当にこのままで良いのか?自分の人生について考える必要はないのか?本当に教員という仕事が自分に合っているのか?根本的な部分から考えています。他者から「やって当たり前」と言われることが本当に「当たり前」なのか?感謝されるためにやっているわけではない。基本的に「自己満足」でしかない。そうであれば自分自身が「やってよかった」と思えるモノでなければいけないのではないか。自分自身が「満足」できないことをやり続ける。これを「やれ」と言われ続けたら・・・。どうなるでしょうか。

本当に面白くない内容ですが、結構真剣に考えています。一人の人間として。読み飛ばしてください。
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なんだか

2014-02-28 | 陸上競技
なんだか競技の話がほとんどかけていませんね。テスト週間ということもあり練習について詳しく書くほどではないのかなという気もしています。水曜日はなんと子供がインフルエンザにかかるという恐ろしい話が・・・。いつも一緒に行動をしている一番下の息子なので私も感染している危険性があります。できるだけ生徒や選手との接触を避けることに。万が一私が感染していたら他の人に迷惑をかけることになりますからね。

ここ最近強く考えることがあります。1週間くらい前にblogに書いた「中学校の部活顧問の話」についてです。このblogは炎上していました。賛否両論。「生徒のためにやるのは当然だ」という書き方、「公務員よりも一般企業の方がハードなんだから偉そうなことを言うな」という批判。「理不尽」に向き合う、声を大にして「おかしい」と発言したことの意味を称賛する、同業者が「分かってもらえない」という感覚を示す。多くの意見がありました。ここの部分というのは「相容れない意見」だと思います。どこまで行っても平行線。交わることはない。

このblogの内容について思っていることを書いていましたが、それに対して親しい指導者から意見がありました。長電話の中でですが。どれだけ陸上関係者がこのblogを読んでいるのか分かりません。「アクセス解析」という機能もあるのですがお金を払って「誰が見ているのか?」なんてことを調べても無意味です。一方的な投げかけでしかないblog、双方向性を持たせることは難しい。こうやって電話の中で意見を聞けるというのも大きいなと思います。よくもまあこんなに長い文章を読む気になるなという気はしますが(笑)。だったら端的にまとめろという話なのですが。

ここについて考え始めてから色々と思うことがあります。「誰かのために時間を使うことを強要される」ということに大きな違和感を感じるからです。自分が「好き」でやるのと「やらされる」事に関しては全く別物。それを「やるのが当たり前だ」と評価されるのは大きな疑問です。教員になったのは生徒のため、だからやりたくないことであってもやるのが当然。本当に教員になりたいのなら「強制的違法労働」も覚悟の上だろうという話。みんなが納めた税金で生きているくせに偉そうなことを言うな。奉仕の気持ちで働くのは当然だ。こういう意見を見ると今の仕事の在り方について考えさせられます。

勤務時間内の仕事であれば「やるのが当然」だと思います。「苦手だな」と思うことであっても職務として全うしなければいけないことはやる。当然です。ここを批判されるのであれば問題はない。議論の余地はありません。今の仕事は「人」を相手にする仕事ですから勤務時間はあってないようなものかもしれない。相手の状況によっては勤務時間外の対応が必要になる。そこも受け入れています。生徒指導をしているのに16時50分になったから「もう今日は終わり」ということはできないでしょうから。時間に関係なく生徒対応が必要になる仕事です。そこの認識はあります。

だからといって「勤務時間外の労働をするのが当たり前」と言われるのは絶対に違うと思います。必要があればやりますが、「自分の人生を犠牲にして行うことが当然の職務」と言われるのは違うのではないかと思うのです。土日祝日の部活動指導は「手当」が出ます。時給にすると微々たるものです。それが労働の対価として適切かどうかというと分かりません。やらなければやらなくてもよい。しかし、「生徒のために」という大義名分のもとに「やるのが当然だ」と言われる。それが本当に「正義」であり、土日に自分のやりたいことをやることが「悪」なのか?ここには納得がいかない。

今は部活動を「好き」でやっています。ここに関しては「自分の意思」でやっている。「やりたいからやる」のです。しかし、「面白くない」「距離を置きたい」と思った時、どうするのか?ここに関しても「おかしい」と言われるのか?「個」を全て否定されて「働くのが当然」と言われるのを受け入れるのか?「個」の存在を認められるかどうかというのは「生きる」という意味では大きいと思います。「個」の犠牲の上に成り立つ社会。うーん、どうなんでしょうか。

少なからず何かしらの「犠牲」は必要です。何かをやるためには「時間」が必要。その「時間」をどのように使うか?働いて「お金」に変える人もいれば自由に使って「生きがい」を作る。どちらか一方が「正義」でどちらか一方が「悪」ではないはずです。そこを「当然だろう」と他者から言われることに大きな違和感を感じる。今の仕事は「個」としての存在を無視されるものなのか。ここが自分の中で「釈然としない」のです。

こういう性格ですから。納得できないことが本当にできるのか。考えています。部活をしないというわけではなく「不条理な要求」を求め続けられるというのは絶対におかしいと思っています。

面白くない内容ですみません。「個」として考えています。こういう「公」の場に「個」の意見を書くことが「正しい」かどうかわかりませんが。考えます。
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