kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

電話する

2014-02-27 | 陸上競技
思うことがあってここ数日間かなり電話しています。まー最終的に「人任せ」にできる部分ではないのですが。しっかりと考える必要がある。それだけは確かです。

そんな中で「人生観」というか「価値観」の話になりました。こういう話は嫌いではありません。というかかなり好きです(笑)。自分の考えていること、思っていることを「言葉」にする。これは簡単なことではありませんが「コミュニケーション」という部分では避けては通れない部分。自分の感情を言葉にできるという人は実際のところそれほど多くないと思います。「知識」という部分ではなく「感情」です。何かについて知っているという部分であればいくらでも話はできます。しかし、自分が感じた部分や微妙なニュアンスを含むような事柄は「言葉」というツールを使って説明するのが本当に難しい。ずっとここは考えていました。

「一つの事柄」に対して自分の考えを多方面から展開する。「自分の考え」を一方向からしか見れないというのでは視野が狭くなり大きな弊害を伴います。例えば「部活の在り方」。「強ければよい」という指導。これが本当に「悪」かといえば断定はできないと思います。「強くなる」ためには間違いなく努力が必要となります。その努力がなければどんなに才能があっても「結果」は出せないと思います。本当の力はもっと上であってもある程度の努力は「結果」を出すためには必要な部分です。「強くなるために努力する」という観点で言えば程度の差はあっても間違いなく「プラス」の側面がある。しかし、同時に「競技で結果を出せば何をしてもいい」と感じるような選手がいるかもしれない。海外の選手で「ドーピング」が横行するのは「結果」を残すことで「自分の存在を示す」という感覚もあるでしょう。「手段を選ばない」という方法で「結果」を求めることもある。

「人間的な成長」を求める指導。私はこのスタンスです。が、ある程度強くなってきて「結果」が見える選手であれば「これから強くなるためには人間的な成長が必要だ」と感じるかもしれません。ある程度力があっても「感情的」になりやすく気分が上下する選手も多くいます。そういう選手には「人間的な成長」の話をしても通じないかもしれません。難しい。それでも言い続けることは必要となりますが。「強くなりたい」という欲求があればある程度のことは「我慢」できるようになる。当然のことかもしれません。
逆に「それなりにやりたい」という選手に「人間的な成長」の話をしても通じないかもしれません。「そこまで本気でやるつもりはないし」という前提の選手に「このままでは強くなれないよ」というアプローチは無意味です。そこを求めていないのですからどれだけ話をしても入りません。同じスタンスであっても、同じことを求めているのであっても「条件」が異なればやはりアプローチの仕方は変わってくる。

「正解」というものがこの世に存在するのか?難しいですね。

「最近疲れてますね・・・」とも言われました(笑)。blogの内容的にですね~。まー結構疲れています(笑)。致し方ない部分もあるのですが。色々と考えながら生きています。表面的な部分だけではなく細かいところまで考えるとしんどいですね。

悩みます。
コメント (4)
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