kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

忘れないように~金曜日の練習~

2014-02-22 | 陸上競技
金曜日、この日は少しいつもと予定を変えました。朝練を行わず朝の時点で勉強会。45分程度ですが勉強時間の確保をしました。毎日毎日朝勉強でもよいかなと思いますがこれもなかなか難しい。

午後は会議もあり練習の最初に参加できず。この日は大学生が3人参加。毎日のように来てくれています。感謝しなければいけないことだと思いますね。うちのように部員がそれほど多くない学校ではどうしても元気が出ません。大学生が来てくれることによって刺激となります。その刺激で選手も普段とは異なる気持ちで練習に臨めます。大学生が大きな声を出して盛り上げてくれるとは思っていません(笑)。さすがにアウェイですから普段の自分は出せないと思います(笑)。それでも来てくれるだけありがたい。そう思っています。

練習は短い距離を中心に。私が練習に顔を出した時にはフレキを始める前でした。時間がない時だから基本的なことをやる必要はないという気もするのですが、丁寧にやっておく必要はあるのかなと。本当に全く時間がない時は基本を省略してすぐに走るというのでも良いとは思いますが。翌日が休日ということもあり気持ち長く練習をできると考えていました。そのための朝勉強です。朝練をやらずに始業時間に間に合うように登校させる。これも一つの考え方ですが規則正しい生活を送りたいと考えていますから考査期間中も早めに集めています。その時間を有効に勉強に充てる。この日は「勉強45分」を朝確保しています。少し長めに練習。

そのまま並走を行い30m&60mを2セット。ここからバトンパスをやろうと考えていたのですがそこまでやると間違いなく時間オーバー。キャプテンと相談して止めました。やりたいことはたくさんあります。しかし、それをすべてやるのは不可能。優先順位を付けてできることをやる。性格的に「あれもやりたい」「これもやりたい」と思うタイプなのでこういうところは気を付けないといけないと思います。そのままスタブロへ。本当であれば少しだけやっておきたいという感じだったのですが、時間の関係で「中間マーク」と組み合わせることに。

スタブロから出ての60m。本当は前段階でしっかりとスタートの確認をしておきたいのですが時間的に難しい。中間マークもやりたい。悩んで一緒にしました(笑)。スタンディングで中間マークは何度もやっていますがスタブロからの中間はまだやっていません。大学生もいるのでどうなのかなと思うところもありましたが本数を限定してやることに。スタートの動きも見たい、中間の動きも見たい。難しいですね。どちらも一緒に見ることはできないのでこの日は中間を重視。意識するポイントだけ指示を出しながらやっていきました。大学生も前回と違ってきちんと走れていました。良い傾向です。

この練習中に少し選手と動きの話をしました。本人の感覚を確認するためです。スタートが上手くいくと中間以降の伸びがない。スタートでもたつくと中間で爆発的な伸びを見せる。本人の感覚では「その場足踏みになると進む」というのです。スタートが出たときは中間以降で腰ア残る感じがする。この部分はすごく大切な感覚なのではないかと思っています。結局、腰が残って脚だけの動きになっている。それでもパワーで進むから中間でエネルギーが不足する。また、腰が残っているので中間で身体がきちんと起こせない。結局減速するのです。逆に上手く進んでいない時は腰のポジションがちょうどいい場所に来る(表現は微妙ですが)ので最初もたつく感じはあるが抜群に伸びる。いや、難しい話です。禁止されている「師匠への相談」しかないと勝手に決めました(笑)。

うちの選手は早めに終わらせてまたも大学生は居残りで練習。短時間だけでしたがスタート練習をしました。卒業生、びっくりするくらい動きが雑になっています。仕方ない部分かなと思いますが。それでも本人の意識次第で対応できるはずです。少し時間をかけて確認をさせました。無理やりパワーを使って走っている感じが強くあり「足音」がすごい。元々そのような走りをする選手なのですが、完全に動きが遅れています。後半は何とか持ち直してきたかなという動きをしていました。やはり時間は必要です。400m系の選手も一緒に。パワーを使わずスムーズに加速できないといけません。爆発的にスタートで力を使ってしまうとエネルギーが足りなくなります。18時半くらいまで行ったでしょうか。

結局、陸上競技と関わっています。それで良いと思っています。「一生懸命やりたい」「強くなりたい」と思って競技に取り組む選手のサポートをしたいですからね。なんとなくやっているのではなく「全力でやりたい」という選手とともに進みたいというのが「条件」という感じですね。忘れないで書けました(笑)。安心(笑)。
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忘れないように・・・木曜日の練習

2014-02-22 | 陸上競技
書きたいことを書いていたら「練習」について完全に疎かになっていました。性格的に「視野が狭い」ので(笑)。

木曜日、この日から学年末考査です。勉強時間の確保は絶対にしなければいけません。その中でどうやって工夫するか?大きな課題だと思います。通常であればトレーニングを実施するのですがすべてやろうと思ったらなかなか難しい。その中でやらなければいけないことは何か?できることは何か?という部分です。

結局、朝練の時点でバランスディスク系の練習を終わらせることにしました。本来であれば筋肉に刺激を与えた後にバランス感覚とつなげていきたいと思っているのですが、朝からシャフト補強をさせるわけにはいきません。可能と言えば可能なのですがさすがにヘロヘロの状態で授業を受けさせるわけにはいかないかなと。優しさです(笑)。バランス系の練習をした後にダイナマックスのキックを行いました。これは思いつき練習なのですが結構いい練習なのではないかと思っています。股関節周辺に大きな刺激が入ります。

午後は1時間程度の練習と思っていました。自然とやる種目も限られます。ダイナマックスとシャフト補強。これのみとしました。大学生も2人参加していたので種目説明を簡単にしながら実施。とはいっても私は最初会議だったので選手が説明しながら行うという形になりましたが。体幹トレーニングの部分は絶対にやっておきたい。学校によっては考査期間中は「一切の部活動禁止」というところもあります。うちは「1時間程度」部活動をやることが認められています。「想うこと」でひたすら書いていてた部分とは逆行するのかもしれませんが。1時間程度やってその後は勉強会というのが流れです。私の拘束時間も長くなります。繰り返しになりますが別に「苦痛」だとは思っていません。普段練習をひたすらやらせているので、考査期間は「勉強時間の確保」をさせないといけません。家でやらないかもしれないという「不安」があるので強制的に勉強をさせています

選手が勉強会に移動した後もしばらく大学生にトレーニングをさせました。「好き」でやっているので「強くなりたい」と望むものは拒否する必要はないと思っているので。これは選手に対してのスタンスと変わりません。「強くなりたい」「一生懸命にやりたい」と選手が望むのであればそれに応えたい。一生懸命になれないのであればお互いに苦痛だと思うだけです。これがうちの選手だろうが一般の人だろうが「陸上競技を真剣にやりたい」という人であれば関係ないと思っています。それこそクラブチームの指導のほうが向いているのかもしれませんね。多様な生徒を受け入れるのが「部活動」というのであれば現時点では受け入れが難しい状況ですから・・・。

18時半までトレーニングを行いました。普段やりなれない練習ですからきついと思います。それでもしっかりとやっていくことが重要。うちの選手は19時まで勉強会。どれだけ集中してできたか分かりませんが。効率の面から考えると「勉強会」が終わってから「練習」の方がスムーズです。この時期は暗くなるのでなかなか実施が難しい。もう少し明るくなってくるとそちらの方が良いのですが。まーこれもバランスを見ながら実施していきたいと思います。

保護者の皆様、一応学校で勉強させています。それでも足りなくなるのではないかと思うので家でも「勉強した!?」と確認してやってください。「帰ってから3時間は最低でもやるように」と言っていますがなかなか実施できていないのではないかと思うので。

ある選手が「部活だけやっていると言われる選手になりたくない」と日誌に書いていました。こういう意識は重要だと思います。学内においても学外においても「陸上だけやればよい」というのは違うと思っています。生活の中心に「陸上競技」があるのは間違いありません。しかし、それだけやればよいというわけでもない。全てのことをきちんとやっていく姿勢を身に付けてもらいたいと強く願っています。全ては「選手の成長のため」です。「自己犠牲」というつもりはありません。これも「個人の思想」の話ですから。しっかりと取り組ませたいと思っています。
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想うこと4

2014-02-22 | 陸上競技
更に。実際にこうやって書こうと思った理由は「blog」ではなく今回のオリンピック報道について感じることがあったからです。「想うこと1」に書いた内容は前から書いていました。ひょっとしたら炎上する危険性もあったのかもしれません。何度か複数の方からコメントをもらったこともあります。ここに関しても考えるべき内容があるのかもしれないと思っています。繰り返しになりますが「100人いて100人に受け入れられることはない」のです。私のやり方に「同意」してもらえる人もいれば激しく「批判」される人もいる。当然の話だと思います。実際に生徒や選手がどのように感じているのか?選手&生徒が100人いて本当に100人に受け入れられる指導ができるのか?永遠の課題だと思いますね。

フィギュアスケートの浅田選手のSP(ショートプログラム)の演技が終わった後にインタビュアーが質問をします。浅田選手は自分の演技が全くできずに茫然自失。何が起こったのか自分自身でも把握できない状態。それでもインタビュアーは質問をしなければいけません。「ちょっとまだ私たちもなかなか気持ちの整理がつかないですけども、」との前置きをした上で、「この雰囲気の中の演技というのは、どうだったんですか?」と質問しています。浅田選手はほとんど答えられない。インタビュアーもそれを察して2問程度で終わり。

このことがyahooの記事となり批判の対象となっていました。「まだフリーがあるのにあの質問の仕方はなんだ?」という批判。もっと言葉を選べというもの。ここまできたら「何が正解なのか」という部分が完全に不透明になります。「プロなんだから聞き方があるだろう」と言われる。確かにそうかもしれませんが今までに見たことのない浅田選手の演技を見てインタビューアー自身も「何が起こったのか分からない」という状況だったのではないかと推測されます。浅田選手を心から応援していたため「感情移入」していたのだと思います。良いことがどうかはわかりません。

しかし、「頑張ってほしい」と応援しているから失敗をして茫然としている浅田選手へ「なんと声をかけていいのか分からない」という状態。それが「私たちも気持ちの整理がつかないのですが」という言葉に率直に出たのではないかと思います。「プロとして」と言われると確かにそうなのかもしれません。全てを想定して質問を考えておく必要がある。が、「感情移入」するとどうしても目の前のその人の様子を見てしまいます。仕事としてそこ(失敗)に触れなければいけない状態。心苦しいものがあるでしょう。だから質問は最低限にしたと思います。それに対しての「批判」が生じる。マスコミもここに対して煽るような記事を公開しますからさらに炎上します。

何年か前、うちのリレーがインターハイに限りなく近づきました。選手も私も本当にインターハイに行くことだけを考えていた。主力選手の故障もありましたが何とか中国大会の決勝へ。が、目指しているものには届かず7位。タイムはずっと目標にしていた4分を切って3分59秒。涙が止まりませんでした。これだけやってきても最後届かない。あと一歩。本当にあと一歩。この状況で「よく頑張った」と選手たちに声がかけられるでしょうか?私にはできませんでした。一緒に泣き崩れるだけ。「私の力が足りないからインターハイに導いてあげることができなかった」と詫びるしかできませんでした。声をかけることさえもできない。そのような状態が目の前にある。顧問です。みんなを元気づける発言ができなければいけないのかもしれません。そういう立場を求められていたのかもしれない。インタービューとは違いますが「選手の気持ちを考える」なら何かしら声をかけてあげなければいけなかったのかもしれない。できませんでした。

また、2年生でインターハイに出場した選手が3年生となり再びインターハイを狙う場面がありました。春先から全く調子が上がらず。それでもインターハイを目指すという本人の背中を押しながら中国大会へ。中国の準決勝で敗れインターハイへの夢は絶たれました。その時も声をかけに行きましたが何もできず。本人は「すみませんでした」と泣いています。「先生に何も恩返しができなかった」と言われました。この言葉、私こそ本当に申し訳ないと思いました。私が力不足で何もしてあげられなかった。前年と同じように「私の責任だ」と詫びるしかない。選手は頑張っています。それでも「届かない」ものがある。それに対して私は何もしてあげることができない。この時の気持ちを察して納得できる言葉をかけることはできませんでした。

更に翌年(昨年)、中国大会を賭けた県総体の決勝。ランキング3位で決勝に残った4継。まさかのバトンミス。最も信頼していた1走と2走のところでした。目の前で見ていた私は茫然。その現実を受け入れることができませんでした。一番辛いのは選手です。1走はキャプテン。「個人で戦うのは厳しい。4継にすべてをかけろ。」という話をしていました。厳しい言い方だったかもしれませんが自分が一番輝ける場所を示すという意味でこの4継にかけていました。が、中国大会の勝負の場に立つ前に終わってしまう。さらに2走は個人でも中国が狙える実力がある。目の前で起きている現実が「夢だったら」と強く願いました。が、変わりません。泣き崩れて動けない2走に「100mがあるから」といって召集所に連れて行く。どれだけしんどいことか。「出たくない」という気持ちがあるのは当然です。それでもこれで今までやってきたことすべてを終わらせてしまうわけにはいかない。そういう話はしました。

この私の行動、批判されてもおかしくないのかもしれません。有名選手がテレビの前で失敗してしまった。TVで取り上げられたからインタビュアーは叩かれる。私も保護者や関係者から「なんでもっと適切な言葉をかけてやってくれなかったのか」と言われる可能性もあるのです。何度も書きますが100人に受け入れられるのは不可能。その時その時に最善だと思って関わるしかないのです。今回のインタビュアー、本当に批判されるべき行為だったのでしょうか?私にはわかりません。

何かを発すれば誰かに「気に入らない」と言われる。全てが完璧で非の打ちどころがない人物になるしかない。そんなことは可能でしょうか?私のようなちっぽけな人間には不可能です。到底そのレベルまで届きません。そう考えていました。だからこんなに長々と書いている。人はそれほど「完璧」になれるのでしょうか?教員になると「弱い」部分を持つことは許されないのでしょうか?世界大会に出る選手がミスをすることは国民から非難されるべきことなのでしょうか?考えさせられます。

インタビューの方法よりももっと叩かれるべきことはある。「大切なところで必ず転ぶ」という発言。これを許容することが本当にできるのか?叩いたら問題が解決するわけではない。手抜きをしていたわけでもないし、一生懸命にやった結果です。そこに対して何か発言するのはどうなのか??大いなる疑問です。

危ない記事ですね。あくまで私見。これに対しても様々な意見があると思います。繰り返しますがあくまで「私見」です。私個人の考えです。ひっそりとここに書き続けていけることを祈ります。炎上したらそこで終了。火消しにあたって弁明し続ける気もありません。

長々と書いてしまいました。読み飛ばしてください。
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想うこと3

2014-02-22 | 陸上競技
こんな内容を書こうと思った出来事がいくつかあります。声を大にして発言すると120%叩かれる。こういう世の中ですからね。それでも少し考えたいことがあります。

今回、オリンピックが開催されています。このこと、実は「公務員叩き」に近い部分がある。「時間外労働」云々とは違うのですが。「教育のためであれば個人を犠牲にするのは当然だ」という風潮があるのは確かです。「教員」は「税金で生活しているのだから」という大義名分のようなものがあります。「自己犠牲」は当然である。まー「時間」とか「お金」のことを言い出したらきりがない部分はあるのですが。「生徒のために」という感覚は強くあります。そうでなければ今の私のスタンスで人と関わることはできないと思いますから。

それでも「税金で生活しているのだから当然だ」と言われるのは微妙です。それを言ったら「企業」も我々が働いて得たお金でそこの商品を購入して給料を得ています。税金とは異なりますが。皆それぞれの立場で誰かが働いて得たお金を別の形で得て生活をしています。公立学校がなければ小学校から高校までかなりのお金を支払って勉強をさせなければいけなくなります。全ての学校が私学だったらどれだけ経済的負担が大きくなるでしょうか?公共の施設を利用するのと同じで多くの恩恵を受けています。もちろん、私も同様です。

今回、オリンピックでメダルを取れなかった選手に対して「我々の税金を使って行っているんだから謝れ」というようなコメントが多数されていました。「楽しかった」という発言は不謹慎だ。「税金使って観光に行ったのか?!」というような批判のされ方です。うーん、どうなんでしょうか。

確かに「国」の代表として出ています。しかし、全員がメダルの獲得が可能か?と言われたら間違いなく違います。不可能です。メダルを取れるのは世界でたった3人しかいません。それ以外の人はどれだけ実力があってもメダル獲得は不可能です。ある選手が入賞しましたが、メダル獲得ができずに泣いていました。「申し訳ないので旅費は自己負担でも構わない」というニュアンスの言葉で謝っていました。本当に謝る必要があるのでしょうか?ここは本人がどう感じていたのかが分かりませんからなんとも言いにくい部分ですが。

オリンピック代表になるだけでものすごい苦労と努力をしています。何とかオリンピック代表になったというだけですごいことです。その上メダルを取るという行為は普通の人達が考えられない程のことです。メダルを取ったから景気が回復するのかといわれたらそれはないと思います。経済的に大きな効果はないかもしれません。それでも選手は必死になって努力を重ねてその場に立ったのです。

それを「税金泥棒」のような表現の仕方で叩くというのは如何なものか?勝てば官軍負ければ賊軍のようなものです。メダルが期待されていて取れなかった選手は涙ながらに謝る、それほど期待されていなくてメダルを取った選手は一躍時の人となる。周りのためにこれまで長い時間をかけて努力をしてきたのでしょうか?絶対に違うと思います。

応援してくれた多くの人達にの期待に応えられなくて申し訳ないと涙を流す。特に家族や同僚、周りの人達の支えがあったからそこまで頑張れたのだと思います。その人達の期待に応えられなかった。分かりませんが「結果を出して恩返しをしたかった」という意味があると思っています。オリンピックは国家の代表としての「代理戦争」と見る人もいるのかもしれません。他国ではその意味合いを持たせているかもしれません。イチローやダルビッシュがメジャーリーグで活躍する。「日本人は海外でも戦えるんだ」という部分を「選手」に重ねているのでそのことを喜ぶ。自分自身が活躍したのではなく、他の選手が活躍したことで「日本人は海外でも戦える」と感じる(小難しく書くとナショナリズムの話になるのですができるだけ平易な言葉を使いながら書きます)。

マスコミが取り上げるので選手を「身近な存在」として感じ始める。で、過剰な期待をする。上手くいかなければ激しく叩く。イチローやダルビッシュ、サッカーの本田選手は「自分の力だけ」で海外に進出しています。が、オリンピック代表は「税金」を使って出場することになる。自分がほんの少しだけでも関わっていると感じることができるのかもしれません。だからこそそのことに対して「税金を返せ」という攻撃対象になりやすい。選手が本当に「税金でオリンピックに出場させてもらっている」と感じるのでしょうか?そんなことを感じるような国で本当に良いのか?純粋にスポーツに打ち込む姿を見て心打たれる。そのために少しの税金が使われても十分ではないか?そう考えるのはダメなことなのでしょうか。

これがうちの選手だったらどうでしょうか。県総体を勝ち上がって中国大会に行く。県総体で6番以内に入れなければ中国へはいけません。どれほど一生懸命にやっていても7位になれば中国には進めないのです。同じく中国大会で6番以内でインターハイ。それでは7位になった選手は批判されるべきなのか?学校の教育後援会費の中から「遠征費」を負担してもらっています。「インターハイに行くために中国大会の遠征費を出した。行けなかったのだからお金を返せ。みんなの前で謝れ。」と言われる。こんなことがあり得るでしょうか?

そんなことを言い出したら全てのことが「無駄」となってしまします。 もし「金返せ」という批判になるのであれば、「選手選考」の部分からすべて考え直さなければいけないと思います。高校の陸上で言えば「県で6位以内」でもインターハイに行ける可能性が低いのであれば「無駄遣い」になるので中国大会に進めない。標準記録を設定してその記録を突破できなければ優勝してもインターハイに行けない。いや、極端なことを言えばインターハイに行っても優勝できないのだから出場を認めないという話につながっていきます。これで本当に良いのか?

陸上の世界選手権などは「標準記録」が設定されています。その標準記録を突破した者が日本選手権で3番以内に入れば世界選手権に出場可能となるようなシステムです。しかし、標準記録を突破したからと言って大会で勝てるわけではありません。何人もが記録を突破しているわけですから。参加資格を得たのですから参加する。当然だと思います。それなのに「勝てなかったから謝れ」はどうなのか?負けた選手が笑顔で「力を出し切りました」ということさえ許されないのか?

うーん、これも私の「主観」ですから「おかしい」と言われるのかもしれません。しかし、今回の「税金で出場しているのだから」という批判はどうも受け入れられません。今はほとんどの人がインターネットにアクセスしてSMSで簡単に自分の考えを出したり、人のblogやマスコミにコメントすることができます。それも「匿名」で。それぞれの立場を考えず一部分だけを抜き出して「批判」する。それを見てさらに他の人が「批判」して炎上する。よくあるパターンです。実際に前の記事で紹介したblogは炎上。一人だけの問題ではなくなっています。そこまでこの日と個人の考えを否定する必要があるのか?直接面識がないからこそ「過剰な攻撃対象」になる。恐ろしいと思いますね。

こうやって書いている私のblogもどこかで誰かに紹介されたら「攻撃対象」となるのかもしれません。賛同の意見もあれば反対の意見もある。当然の話だと思います。しかし、「攻撃対象」となり立ち直れなくなるくらいまで叩かれるというのはどうなのか?考えさせられます。

もう少し書かせてください。どんどん、泥沼に足を突っ込んでいる気がしますが(笑)。この手のことを書くのは自分の考えの整理にもなりますが、かなりダメージも大きくなります(笑)。突っ込みどころが出てきますからね。文字だけで書いているとなかなか伝わらなかったり表現できないことが出てきます。難しいですね。高校生が読むような文章ではないと思いますが(笑)。
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