kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

もう一度前に進む

2014-12-06 | 陸上競技
木曜日の事は割愛。色々とありましたが書いていたらどんどん日が変わってしまってblog更新が滞ってしまうので。

金曜日の事から書いておいきます。金曜日で考査は終了。この日から本格的に冬季練習を始めることにしました。例年と比べると実は1ヶ月遅れています。この一ヶ月がプラスになるのかマイナスになるのかは現時点では分かりません。マイナスにならないようにしていかなければいけません。チームとしては大きな戦力ダウンをしました。これがどうつながっていくのか。正直分かりません。だからと言ってこの場で止まっておくわけにはいかないと思います。何をするのか?どこへ向かうのか?今回の経験は私の中で様々な「決断」へとつながっていくものでした。考え方の変換です。

一から作り直すために練習前にミーティングをしました。こちらもそれなりの準備はしてきました。練習の意味を理解させることが大切だと思います。この冬でやっていくことを明確に示しました。技術的な部分もですが、取り組む意識というかどこを目指すかという話です。これから先、きっと「負ける」と思います。多かれ少なかれ「負ける」経験は絶対にある。勝ち続けることなんて絶対に不可能です。県総体で優勝したら次は中国大会、その次はインターハイ。そうやって勝負は続いていきます。結果的にどこかで負けてしまう。その時に何を感じるか。good loserの話をしました。負け方を考えるという部分です。最初から負けることを考えて練習をするというのはどうなのかと思われると思いますが、理想論ではなくいつかは負けるという競技の宿命を受け入れないといけないと考えています。

負けるからやらなくていいと思うのであれば世の中で競技ができるのはたった一人だけです。勝者が一人だけだというのであれば他の者はやっても勝てないのですから練習をすることの意味さえもない。しかし、私は違うと思います。負けを意識していく中で最大限何ができるのか?負けるのは県総体かもしれない、中国かもしれない、インターハイかもしれない。その負けを迎えた時に何を感じるかだと思います。インターハイに進めたかは幸せかどうかは分かりません。しかし、そこを目指す過程で得るものがある。インターハイに進んでも得るものがないという選手もいるでしょう。それは絶対に避けなければいけない。教育云々というと偉そうに聞こえるかもしれませんが、そこができないのであれば今の仕事の価値はないと思います。

負ける時に向かって何をするのか。そこに向けて出来ることを最大限にやることが必要となると思います。が、多くの選手はそれが出来ません。途中で諦めてしまったり、全力で物事に取り組めなかったりする。そこが越えられない選手が多いのです。万人にそれは求められません。負けることが分かっていてものごとに取り組む。負けた時に言い訳をしたり、その現実を受け入れられなくて逃げてしまったりする。それで本当に良いのか?それが正しいと感じてしまう選手もいるでしょう。そのような選手に前に進むことを求めるのは不可能でしょう。これを求めるのは私にとって最適な選択とは言えないと思います。

あとは技術的な話をしました。本気で取り組む選手にとっては必要不可欠な話だと思います。これも本気で受け入れていくかどうかは選手次第。その事を考えながらやって行くようにしました。求められないことを押し付けるというのは誰のためにもならないのだと思います。それなりに競技の指導ができるレベルになっていると思います。たまたま強い選手を預かっていたからと言われればそこまでの話かもしれませんが、そなりに自負もあります。連続して結果を出せたというのは何かしら他のチームにはないことがある。うちのように少人数でやっているチームから力がある選手が育つというのは何かしら意味があることだと考えています。この冬はこの技術的なモノを身につけさせたいと思います。

もっと話をした気はするのですが、なかなか全部は書けませんし伝わりません。伝わらない中で何をするのか。そこを私自身模索しながらやっていきたいと思います。

雑文となりました。一先ず書いておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれこれ3

2014-12-06 | 陸上競技
更新滞っています。あれこれあるので(笑)。

水曜日、結構なバタバタの中で帰宅してさらに親しい陸上指導者たちと夜の会(笑)。ここ最近私自身が弱っていたのでその部分に気を使ってくれたのか、夏からやろうと言っていて先延ばしになっていたからなのかは分かりませんがわざわざ時間を作ってくれて一緒に食事をすることに。ほとんどノープランで集まってきたので食事にいく店も決まっていませんでした。一応気を使ってある程度の下調べはしていましたが店の名前を正確に覚えていない。これで10分くらいロス。地図を見ると間違いなく近いのですが店が発見できません。

よくよく調べてみると私が把握していたのは店の「ミドルネーム?」でした。店の名前があってその下に小さく書いてある名前を憶えていたので探しても見つからないはずです。何をやっているのか(笑)。発見して入ってみると完全に貸切。閉店までいたのですが私たち以外に来たお客さんは1組。1時間程度で帰っていかれたのでかなりお店に貢献した客だと思いますね。

ひたすら話をしました。雑談もあった気がしますがそれなりに真剣に話をしていました。後半の記憶があいまいになっていますが若干討論的になる(笑)。それぞれが思うことはあります。誰かの意見が正しくて誰かの意見が間違っているとは思いません。それぞれの視点でそれぞれがどう感じ取るかなのだと思います。この日に研修を受けた「順光」と「逆光」です。どちらか一方の立場で見れば「正しい」と言えることでも他の角度から見れば「ちょっと違うんじゃない」ということはたくさんある。

例えば「戦争」。2つの国が戦争をしている。それぞれの国にそれぞれの「正義」があってそれを受け入れられない。「宗教」による戦争などはその顕著な例です。物事に対する考え方、信仰が全く異なるのであればそのすりあわせは不可能。モノの見方、感じ方自体が違うのですからそれが同一線上に並んで同じ方向をするんで行くことはありません。だから「争い」が起きる。どちらもが譲歩し合っていけば「争い」といものは起きないと思っています。2国間の争いに誰かが割って入って無事におさまることもあれば、逆に収拾がつかなくなることもある。だから「戦争」や「争い」はなくならないのです。

それぞれの「価値観」で誰かを攻撃する。ある人にとっては「かわいい飼い犬」であっても隣人にとっては「吠えてうるさい犬」かもしれない。そこの「価値観」や「モノのとらえ方」の違いが火種となっていく。同じ「犬」をみてそれぞれがどう感じるかなのだと思います。飼い主にとっては大切な犬であっても毎日吠えまくるうるさい犬と思っている隣人にとっては「憎い」となるのかもしれない。それが大きくなると取り返しのつかない「争い」になるのです。

いや、別に私が喧嘩をしたという訳ではありません(笑)。こういう「価値観」のぶつけ合いができるというのは実はすごく貴重だと思っています。こうやって話をしたかと言って仲が悪くなるわけでもないですし。そもそも、そんなに大きな話をしているわけではありませんから(笑)。これから先、こうやって同年代(私が38歳、他の3人は37歳)で一緒に過ごす機会が増えると良いなと思っています。それぞれがどのような価値観で生きているのか。誰かの価値観の押しつけではなくそれぞれが生きてきた中で感じたことを話せる。そういう関係が続けばいいなと思います。技術論云々は酔っていない時の方がいいのかもしれませんが(笑)。

同年代で一生懸命に競技と向き合い、いろいろな方向に進んでいく指導者がいます。足りない部分は補い合い、長所となる部分はさらに大きくしていきたい。良い関係ができていると思います。なかなか我々の年代でこうやって「競技」を通じて知り合って一緒に飲む、真剣に話をするということは少ないと思います。自分たちに何ができるか?考えながら進んでいきたいと思います。

とにかく中身の濃い1日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする