あれこれあってもそれなりに練習はしていかないといけないと考えています。当然ですが。この冬はこれまでと違った方向性から取り組んでみたいと考えています。何を持って「正しい」というのは分かりません。絶対的な正解があるとは思っていませんから。「誰かがやっている」という理由で練習を組むつもりはありません。基本的に練習というのは「どこかのまねをする」ことからスタートすると思っています。全てオリジナルの練習をしていくことができるというのはほぼ不可能ですから。それ踏まえての練習パターン。
今年の春先「Tokushoは筋力のつけすぎだから走れない」と言われていると親しい友人に聞きました。何を持ってそのような評価をされるのかは分かりません。うちの練習がどのようなパターなのかはここに記しています。こう見えても結構根に持つタイプなのでこういうことを言われたというのは忘れません(笑)。筋力をつけたから全く走れなくなったというのが正当な評価であれば素直に受け入れたいと思います。しかし、今の練習パターンはウエイトを一切行いません。正確にはこの冬からは数人スクワットを実施することにしたのですがこれは「衝撃」に耐えるための筋力アップです。これ以外は一切止まったままのウエイトはしません。これで走れなくなるほど肥大してしまうことは考えられないと思っています。そのためにバリエーションを増やしていく。今は1時間と決めてやっていますからそれほどできませんが、テストが終わったらトレーニングだけで3時間はやるつもりです。もちろん様々な要素を入れながらですが。
これまでは「強くなるため」という感覚が強くてトレーニング系は「必要だから全力で取り組む」というのが当然だと考えていました。この感覚が選手とのギャップを大きくするのだと思いますが。これも師匠から言われ続けていることですが現役選手としてストイックに取り組んできた選手は「楽をしたい」という選手の気持ちが分からないから指導者になった時に難しいという部分があります。もう私が競技を辞めて10年以上たつのですからそろそろ「違う」という感覚を持たなければいけないのですが・・・。5年前、「強くなるためなら何でもやる」という雰囲気があってそれが自分の中で「当たり前」となりつつありました。そのくらいから一気にチーム力が上がってインターハイ出場選手がでてくるようになりました。
「普通の選手」が強くなるための唯一の手段が「全力で練習をする」ことだと感じていました。が、ちょっと感覚に差があるなと感じ始めています。「強くなりたい」という気持ちがあっても「きついことは苦手」という子が増えてきている感じを受けます。「過去との比較」では何も生み出しません。それは十分把握しているつもりですが・・・。この冬は厳し練習をするつもりではいますがそれだけの部分から脱却する必要があるのかなと感じています。トレーニングはします。が、それが「きつい」ということから抜け出す。
「普通の選手」ばかりが集まって結果を残してきたと自負していました。が、ひょっとするとそういう部分では「普通の選手」ではなかったのかもしれないと感じています。「努力する」という才能が優れた選手が集まっていたのかもしれない。そういう雰囲気もあったと思います。だからこそ自然と強くなった。長距離選手が0人で県総体トラック優勝、総合優勝を果たしたというのはすごいことだと思っています。それを達成できるということはやはり「普通の選手」ではなかったのだと思います。「努力をする」という才能があるからできたこと。それを万人に求めるのは不可能なんだと思います。そんなにストイックにできる選手が多いわけではない。
そう考えるようにしました。これは「思考の転換」かもしれません。選手云々ではなく私自身が現状を受け入れながら方向転換をしなければいけない。もちろん、やることは変わりません。方法論を大きく変える時期に来ているのではないかと感じています。それが正しいかどうかは分かりません。しかし、これまでとは違う取り組みの必要性も感じています。それにより新しい道が見えてくるのではないかと考えています。
分かりにくいかもしれませんが「目指すところ」は変えません。やはり「身体作り」が一番の基本だと思っています。だからこそトレーニング重視の視点は変えない。周囲から批判されるかもしれませんが、それはそれ。ここを気にしていたら先には進めません。選手が飽きずにトレーニングに取り組める環境を作ることがこれから先求められるのではないかと思っています。工夫ができればすべてが変わってくるのではないかと。止まっている場合ではないのかなと感じています。自分の将来のためにもしっかりと見極めていきたいと考えています。
雑文ですみません。
今年の春先「Tokushoは筋力のつけすぎだから走れない」と言われていると親しい友人に聞きました。何を持ってそのような評価をされるのかは分かりません。うちの練習がどのようなパターなのかはここに記しています。こう見えても結構根に持つタイプなのでこういうことを言われたというのは忘れません(笑)。筋力をつけたから全く走れなくなったというのが正当な評価であれば素直に受け入れたいと思います。しかし、今の練習パターンはウエイトを一切行いません。正確にはこの冬からは数人スクワットを実施することにしたのですがこれは「衝撃」に耐えるための筋力アップです。これ以外は一切止まったままのウエイトはしません。これで走れなくなるほど肥大してしまうことは考えられないと思っています。そのためにバリエーションを増やしていく。今は1時間と決めてやっていますからそれほどできませんが、テストが終わったらトレーニングだけで3時間はやるつもりです。もちろん様々な要素を入れながらですが。
これまでは「強くなるため」という感覚が強くてトレーニング系は「必要だから全力で取り組む」というのが当然だと考えていました。この感覚が選手とのギャップを大きくするのだと思いますが。これも師匠から言われ続けていることですが現役選手としてストイックに取り組んできた選手は「楽をしたい」という選手の気持ちが分からないから指導者になった時に難しいという部分があります。もう私が競技を辞めて10年以上たつのですからそろそろ「違う」という感覚を持たなければいけないのですが・・・。5年前、「強くなるためなら何でもやる」という雰囲気があってそれが自分の中で「当たり前」となりつつありました。そのくらいから一気にチーム力が上がってインターハイ出場選手がでてくるようになりました。
「普通の選手」が強くなるための唯一の手段が「全力で練習をする」ことだと感じていました。が、ちょっと感覚に差があるなと感じ始めています。「強くなりたい」という気持ちがあっても「きついことは苦手」という子が増えてきている感じを受けます。「過去との比較」では何も生み出しません。それは十分把握しているつもりですが・・・。この冬は厳し練習をするつもりではいますがそれだけの部分から脱却する必要があるのかなと感じています。トレーニングはします。が、それが「きつい」ということから抜け出す。
「普通の選手」ばかりが集まって結果を残してきたと自負していました。が、ひょっとするとそういう部分では「普通の選手」ではなかったのかもしれないと感じています。「努力する」という才能が優れた選手が集まっていたのかもしれない。そういう雰囲気もあったと思います。だからこそ自然と強くなった。長距離選手が0人で県総体トラック優勝、総合優勝を果たしたというのはすごいことだと思っています。それを達成できるということはやはり「普通の選手」ではなかったのだと思います。「努力をする」という才能があるからできたこと。それを万人に求めるのは不可能なんだと思います。そんなにストイックにできる選手が多いわけではない。
そう考えるようにしました。これは「思考の転換」かもしれません。選手云々ではなく私自身が現状を受け入れながら方向転換をしなければいけない。もちろん、やることは変わりません。方法論を大きく変える時期に来ているのではないかと感じています。それが正しいかどうかは分かりません。しかし、これまでとは違う取り組みの必要性も感じています。それにより新しい道が見えてくるのではないかと考えています。
分かりにくいかもしれませんが「目指すところ」は変えません。やはり「身体作り」が一番の基本だと思っています。だからこそトレーニング重視の視点は変えない。周囲から批判されるかもしれませんが、それはそれ。ここを気にしていたら先には進めません。選手が飽きずにトレーニングに取り組める環境を作ることがこれから先求められるのではないかと思っています。工夫ができればすべてが変わってくるのではないかと。止まっている場合ではないのかなと感じています。自分の将来のためにもしっかりと見極めていきたいと考えています。
雑文ですみません。