続きを書こうと思っていたのですがそこまで届かず。公人として個人として思うこともあります。なかなか。こうやってblogを書くことで頭の中をまとめる作業をしていますがそれもなかなか難しかったりする。頭を整理する前の整理が必要になるから。
12年前、前任校で陸上競技部の顧問に就いた。そこまでの2年間は硬式野球部の部長。私が陸上競技をやっていたのある程度知ってもらっていたが「うちは陸上競技部には力を入れていない」と言われて野球部へ。このことに関してはめちゃくちゃ思うことがある。書いたら色々と問題になるのだろうから止めておく。
2年後、私が顧問になった時には部員は3人。1人はすでに幽霊部員。2人は長距離。そこに素人男子4人と15秒台の女子が入ってきた。そこがスタート。このころも日記は書いていたがblogが始まる前だったので掲示板形式のものを自分で作って書き込んでいた。懐かしい。当時の記憶をきちんと残しておけたら面白かったのになーと思う。本当に0からのスタートだった。毎日練習に来ること、練習中にゲームの話で勝手に盛り上がらないこと、走っている他校の選手に突然話しかけたりしないこと。試合に麻雀を持って行って遊ばないこと(笑)。どれだけなんだという部分から。当時はストレスを感じていたが1からチームを作っていくという感覚の中での取り組みだった。
今考えると恥ずかしいが当時は自分の中で「専門的な指導ができる」と勘違いしていた。当時のblogを読み直すことはないが読んでみたら恥ずかしくて人前に出られないくらいの感覚。勘違い甚だしい(笑)。一生懸命にやっていたことには間違いない。が、やっぱり競技者としてやっていた部分から抜け出せなくて自分の経験論でしか練習が出来ていなかった。情報を得ることが指導の中心だと思い込み、新しいことに飛び付いていた。それでも一生懸命やっていたのが功を奏したのか3年目にして初めて個人種目、リレーで中国大会に進むことができました。
この年、色々なつながりの中で師匠と出会う。これがなかったら今の私はいないと思います。完全な勘違い野郎で終わっていたと思います(笑)。この時から様々な事を教えてもらいました。それこそ今ほど親しくなかったのにパソコンからひたすらメールをして色々な事を聞く。教えてもらうことの一つ一つが新鮮で目からウロコ。素直で一生懸命な選手達との出会いもあり本当に勉強させてもらえました。この数年間は本当に毎日が勉強だった気がします。何かあれば師匠に電話して質問をする。大変な迷惑をかけました。
それでもまだまだ視野が狭くていつも諭されていた。もっと冷静にならないとダメだ。何度も言われて分かったつもりになっていた。けど、本当は分かっていなくて選手達に死ぬほど辛い思いをさせてしまった。悔やんでも悔やみきれない。昨日も偶然学校の前で初めてインターハイに進んだ教え子に会った。この子達との出会いと師匠から言われた事。それが私の中での指導につながっている。
何の話か分からなくなっていますが(笑)。今でも師匠に諭される。あんたが前の学校で指導を始めた時とは自分自身の求める水準が明らかに変わっている。そこをいつの間にか見失っているんじゃないか、と。自分自身の感覚がその時その時で変わってきている。そこは常に頭に入れておかないといけないんだと思う。
悔しくて悔しくて涙した日と同じ気持ちは持ち続けたい。でも、同じ事を求める気はない。私自身が変わってきているから。当時の教え子達と話をすると「先生は本当に怖たった」と言っていた。そんな感覚はないが。この辺りも今とは違うかもしれない。
新天地で6ヶ月が過ぎた。もう一度チーム作りをしていきたいと思う。私が前任校で始めたジョギング部の時より始めた選手の数も多い。1年目は県総体に出られなくて長距離選手を無理やり4継を走らせて何とか参加したくらいのレベルだったから。やはり取り組みの姿勢を身につけるのには時間がかかる。それだけは確か。一瞬で変わるほど甘くはない。それでも変わってきている。そこを評価しつつ、出来ないところを変えていきたい。だからといって根本的に求める事は変わらない。がきちんと出来ないと何も変わらないから。
まとまりがありませんねー。すみません。思うがままに書きました(笑)
12年前、前任校で陸上競技部の顧問に就いた。そこまでの2年間は硬式野球部の部長。私が陸上競技をやっていたのある程度知ってもらっていたが「うちは陸上競技部には力を入れていない」と言われて野球部へ。このことに関してはめちゃくちゃ思うことがある。書いたら色々と問題になるのだろうから止めておく。
2年後、私が顧問になった時には部員は3人。1人はすでに幽霊部員。2人は長距離。そこに素人男子4人と15秒台の女子が入ってきた。そこがスタート。このころも日記は書いていたがblogが始まる前だったので掲示板形式のものを自分で作って書き込んでいた。懐かしい。当時の記憶をきちんと残しておけたら面白かったのになーと思う。本当に0からのスタートだった。毎日練習に来ること、練習中にゲームの話で勝手に盛り上がらないこと、走っている他校の選手に突然話しかけたりしないこと。試合に麻雀を持って行って遊ばないこと(笑)。どれだけなんだという部分から。当時はストレスを感じていたが1からチームを作っていくという感覚の中での取り組みだった。
今考えると恥ずかしいが当時は自分の中で「専門的な指導ができる」と勘違いしていた。当時のblogを読み直すことはないが読んでみたら恥ずかしくて人前に出られないくらいの感覚。勘違い甚だしい(笑)。一生懸命にやっていたことには間違いない。が、やっぱり競技者としてやっていた部分から抜け出せなくて自分の経験論でしか練習が出来ていなかった。情報を得ることが指導の中心だと思い込み、新しいことに飛び付いていた。それでも一生懸命やっていたのが功を奏したのか3年目にして初めて個人種目、リレーで中国大会に進むことができました。
この年、色々なつながりの中で師匠と出会う。これがなかったら今の私はいないと思います。完全な勘違い野郎で終わっていたと思います(笑)。この時から様々な事を教えてもらいました。それこそ今ほど親しくなかったのにパソコンからひたすらメールをして色々な事を聞く。教えてもらうことの一つ一つが新鮮で目からウロコ。素直で一生懸命な選手達との出会いもあり本当に勉強させてもらえました。この数年間は本当に毎日が勉強だった気がします。何かあれば師匠に電話して質問をする。大変な迷惑をかけました。
それでもまだまだ視野が狭くていつも諭されていた。もっと冷静にならないとダメだ。何度も言われて分かったつもりになっていた。けど、本当は分かっていなくて選手達に死ぬほど辛い思いをさせてしまった。悔やんでも悔やみきれない。昨日も偶然学校の前で初めてインターハイに進んだ教え子に会った。この子達との出会いと師匠から言われた事。それが私の中での指導につながっている。
何の話か分からなくなっていますが(笑)。今でも師匠に諭される。あんたが前の学校で指導を始めた時とは自分自身の求める水準が明らかに変わっている。そこをいつの間にか見失っているんじゃないか、と。自分自身の感覚がその時その時で変わってきている。そこは常に頭に入れておかないといけないんだと思う。
悔しくて悔しくて涙した日と同じ気持ちは持ち続けたい。でも、同じ事を求める気はない。私自身が変わってきているから。当時の教え子達と話をすると「先生は本当に怖たった」と言っていた。そんな感覚はないが。この辺りも今とは違うかもしれない。
新天地で6ヶ月が過ぎた。もう一度チーム作りをしていきたいと思う。私が前任校で始めたジョギング部の時より始めた選手の数も多い。1年目は県総体に出られなくて長距離選手を無理やり4継を走らせて何とか参加したくらいのレベルだったから。やはり取り組みの姿勢を身につけるのには時間がかかる。それだけは確か。一瞬で変わるほど甘くはない。それでも変わってきている。そこを評価しつつ、出来ないところを変えていきたい。だからといって根本的に求める事は変わらない。がきちんと出来ないと何も変わらないから。
まとまりがありませんねー。すみません。思うがままに書きました(笑)