前の記事がまとまらなかったのが私の中でショックで。前から文才がないんじゃないかと薄々感じてはいましたが本当にない(笑)。
人は時としてガムシャラにならないといけないと思っています。私は何度か書いていますが理系に憧れています。合理的でスマートな考え方。時としてドライになる。無駄なところにはエネルギーを使わない。そういう姿勢に強い憧れを持ってました。性格的に無理な話なんですが(笑)。
私の最大の長所は一生懸命になれることだと思います。昔から生徒や保護者に「熱血先生ですね」と言われていました。当時はそんな事はない、これは当たり前なんだと思っていました。が、よくよく考えてみるとそうではなさそうです(笑)。もっと早く気付けよという話ですが。今でもクラスの生徒には「教室が暑い」という話をすると「先生が入ってきたから温度が上がったから暑い」と言われる(笑)。私自身が一生懸命にならなければ生徒も選手も一生懸命になれるはずがない。
前の記事に書いていますが、いつの間にか「仕方ない」と自分自身を納得させていた部分がありました。これまでの流れの中であまりにも大きな変化を生み出すと歪みが生まれてしまう。少しずつ少しずつの変化が必要。きちんと考え方が浸透するのには時間というどうにもならない要素が必要になる。分かりきっています。焦るなと言われる。そういう部分もありかなり抑えていました。選手や周りからすれば「どこを抑えているんだ?!」と言われるかもしれません。が、親しい指導者達から見れば私が「死ぬ気でやっていた」時との差は見て取れると思います。
手を抜いているわけではない。今は今できる事を一生懸命やらないといけないのだと改めて感じた。「分からないから仕方ない」「言われてないから仕方ない」という感覚が自分の中にあった。しかし、それでは今後の問題は何ひとつ解決できない。そのうち出来るようになるだろうという感覚から抜け出していかないといけない。それが私自身の大きな課題なんだと思う。
やっぱり、クールで二枚目は無理なようです。私は「無駄に熱い三枚目」でしか生きていけません。理想と現実のギャップ。改めて感じましたね(笑)。選手との距離もきちんと考えていかないといけません。あまりにも離れ過ぎていたら選手は付いてきてくれない。逆に近すぎるとまー色々と問題が出てくる。そこは私自身がきちんと見極めていかないといけないところだと思っています。
練習をしっかりさせる。自分達で勝手にやる、与えられたメニューをひたすらやるという練習スタイルではありません。しつこくしつこく指導していく中で成長していきます。更にいうと練習で追い込む部分にもエネルギーが必要となります。「少しくらい良いか」という感覚を私自身が捨てないといけない。これまでやってきた事を全て同じように出来るとは思っていません。しかし、大切にしなければいけない事は徹底。いつの間にかこの部分のしつこさがたりなくなっていたのかもしません。
年齢を重ねたからそうなったのか?これは違う気がします。感覚的に「一歩引いたところから見る」という感じだった気がします。私自身が遠慮している。もちろん今だから分かることです。7が月前にそんなことを感じる余裕さえなかった。そして、7が月前に同じ気持ちで「ガムシャラにやろう」と思っていたら大変なことになっていたと思います。まーそれなりに突っ走っていたので選手や周りは大変だったと思いますが。本当にやるぞ!と決めたらこちらは止まらずに進みたいと思います。
ガムシャラにやる経験。これを今の中高生や大学生が経験できるのか?何となく「必死にやることはカッコ悪い」という風潮がある。そして、そんなに熱くならなくても良いじゃないかと言われる。スマートに生きていたら見た目は良いかもしれない。が、本当に苦しい時に力が出せるだろうか?こちらとしては考えないといけない。これから先、子供達は自分たちの力で生きていかないといけない。その時に「柱」になるものを持ってもらいたい。
苦しくて諦めてしまいそうな時にその人の本当の姿が出てくるんだと思う。かっこ悪くてもガムシャラに前に進む。どんなに苦しくても諦めず努力を重ねる。そんな姿を見てきっと誰かが手を差し伸べてくれる。簡単に「キツイから無理だ」と言うような子供達を育てたくて今の仕事に就いたのではない。夢や目標を抱ける子供達。そのためには私がアホみたいに一生懸命にならないとダメだと思う。
やり切ろう。苦しくても絶対に諦めない。自分にできることをひたすらやる。そんな子供達を育てたい。練習量も増える。当然キツイ。でもそれを越えていける「心」を育てたい。
まとまらないなー。暑苦しいですかね?でもそれが私なんだと受け止めることにしました。綺麗に生きていくのは無理。練習に関しても生き方に関してももっともっと泥臭くひたむきにやっていきたいと思います。
人は時としてガムシャラにならないといけないと思っています。私は何度か書いていますが理系に憧れています。合理的でスマートな考え方。時としてドライになる。無駄なところにはエネルギーを使わない。そういう姿勢に強い憧れを持ってました。性格的に無理な話なんですが(笑)。
私の最大の長所は一生懸命になれることだと思います。昔から生徒や保護者に「熱血先生ですね」と言われていました。当時はそんな事はない、これは当たり前なんだと思っていました。が、よくよく考えてみるとそうではなさそうです(笑)。もっと早く気付けよという話ですが。今でもクラスの生徒には「教室が暑い」という話をすると「先生が入ってきたから温度が上がったから暑い」と言われる(笑)。私自身が一生懸命にならなければ生徒も選手も一生懸命になれるはずがない。
前の記事に書いていますが、いつの間にか「仕方ない」と自分自身を納得させていた部分がありました。これまでの流れの中であまりにも大きな変化を生み出すと歪みが生まれてしまう。少しずつ少しずつの変化が必要。きちんと考え方が浸透するのには時間というどうにもならない要素が必要になる。分かりきっています。焦るなと言われる。そういう部分もありかなり抑えていました。選手や周りからすれば「どこを抑えているんだ?!」と言われるかもしれません。が、親しい指導者達から見れば私が「死ぬ気でやっていた」時との差は見て取れると思います。
手を抜いているわけではない。今は今できる事を一生懸命やらないといけないのだと改めて感じた。「分からないから仕方ない」「言われてないから仕方ない」という感覚が自分の中にあった。しかし、それでは今後の問題は何ひとつ解決できない。そのうち出来るようになるだろうという感覚から抜け出していかないといけない。それが私自身の大きな課題なんだと思う。
やっぱり、クールで二枚目は無理なようです。私は「無駄に熱い三枚目」でしか生きていけません。理想と現実のギャップ。改めて感じましたね(笑)。選手との距離もきちんと考えていかないといけません。あまりにも離れ過ぎていたら選手は付いてきてくれない。逆に近すぎるとまー色々と問題が出てくる。そこは私自身がきちんと見極めていかないといけないところだと思っています。
練習をしっかりさせる。自分達で勝手にやる、与えられたメニューをひたすらやるという練習スタイルではありません。しつこくしつこく指導していく中で成長していきます。更にいうと練習で追い込む部分にもエネルギーが必要となります。「少しくらい良いか」という感覚を私自身が捨てないといけない。これまでやってきた事を全て同じように出来るとは思っていません。しかし、大切にしなければいけない事は徹底。いつの間にかこの部分のしつこさがたりなくなっていたのかもしません。
年齢を重ねたからそうなったのか?これは違う気がします。感覚的に「一歩引いたところから見る」という感じだった気がします。私自身が遠慮している。もちろん今だから分かることです。7が月前にそんなことを感じる余裕さえなかった。そして、7が月前に同じ気持ちで「ガムシャラにやろう」と思っていたら大変なことになっていたと思います。まーそれなりに突っ走っていたので選手や周りは大変だったと思いますが。本当にやるぞ!と決めたらこちらは止まらずに進みたいと思います。
ガムシャラにやる経験。これを今の中高生や大学生が経験できるのか?何となく「必死にやることはカッコ悪い」という風潮がある。そして、そんなに熱くならなくても良いじゃないかと言われる。スマートに生きていたら見た目は良いかもしれない。が、本当に苦しい時に力が出せるだろうか?こちらとしては考えないといけない。これから先、子供達は自分たちの力で生きていかないといけない。その時に「柱」になるものを持ってもらいたい。
苦しくて諦めてしまいそうな時にその人の本当の姿が出てくるんだと思う。かっこ悪くてもガムシャラに前に進む。どんなに苦しくても諦めず努力を重ねる。そんな姿を見てきっと誰かが手を差し伸べてくれる。簡単に「キツイから無理だ」と言うような子供達を育てたくて今の仕事に就いたのではない。夢や目標を抱ける子供達。そのためには私がアホみたいに一生懸命にならないとダメだと思う。
やり切ろう。苦しくても絶対に諦めない。自分にできることをひたすらやる。そんな子供達を育てたい。練習量も増える。当然キツイ。でもそれを越えていける「心」を育てたい。
まとまらないなー。暑苦しいですかね?でもそれが私なんだと受け止めることにしました。綺麗に生きていくのは無理。練習に関しても生き方に関してももっともっと泥臭くひたむきにやっていきたいと思います。