火曜日、天候は雨。練習はトレーニングとしました。これまでやってきた内容をもう少し徹底していきたいという気持ちはあります。トレーニング、かなりやっている自負はあるのですがそれが結果として現れません。半年くらいやれば懸垂くらいはできるようになるのですが女子に関してはまだまだという感じです。やってはいるけれども「効果」として実感できるレベルではない。これは考え物です。同じことをやっても成果が出る者もいれば出ない者もいる。この差は何か?懸垂などは最初からできる選手もいます。努力したから懸垂ができるようになっているのではないという部分もあります。が、できない選手ができるようにしていくというのはすべての面での練習に大きく影響していくと思います。
1時間ほど会議があったので参加できず。事前にメニューに関して指示を出していました。シャフト補強なども距離が短くなってきているのできちんと40mでやるように。さらには「重心の移動を大きく」が狙いなのですが今は「きちんとした負荷をかけよう」という部分。やっていることの質を上げていかなければいけません。そこができて初めて次につながるから。まだまだ甘い部分があります。
見ていて感じた部分。種目を分けています。その分、休息が長くなっています。これは前から感じていました。レース後半での持久力。筋持久の部分です。ジョグなどをして持久力を上げるのではなくこういトレーニングの中で使える持久力を上げていきたいと考えています。が、気が付くと地味に休息が長くなり追い込むという感じではなくなっている。これも難しいところですね。選手が悪いとは思いません。人はやっているうちに緊張感が低くなりいつの間にか「慣れ」てしまう。この状況では質は上がりません。お互いに指摘しあいながらやっていければいいのですが「競技者」としてはまだ幼い。そこまではできないのです。
だからこそ厳しく指摘し続けました。そこまでして「やらせる」ことは自主性を生む部活動なのかといわれると違うと思います。が、「自主性」と「放置」は確実に違います。「自主性を育てる」というかっこいい言葉で誤魔化して結局「指導しない」という部分が往々にしてあります。それは避けたい。ある一定の競技者レベルになるまではこちらが主導権を握って取り組んでいく必要があるのです。自分たちでできるというのは机上の空論。少し前にも書きましたが「先達の存在」があって初めて分かることもある。今はわからないから私がリーダーのようにチームを引っ張っていかないといけないと思っています。
とにかく最後までやりきる。動きに関してもやりきらなければだめです。トレーニングに関しても最後の1歩まで丁寧に。そういう感覚を持たせたい。人は苦しい時に本当の姿が出てくると思います。表面的に「頑張る」といっても練習や勉強で苦しくなってきたときに「少しくらいいいや」と思った行動が出る。人はその「弱さ」を認めたくない。自分はやっていると思っているから。しかし、それでは成長はない。自分たちが「やっている事が全てではない」という感覚を持ってもらいたい。
そう考えてあえて30秒腹筋をやりました。もちろん、練習中に常に上述のような話をしながらめす。苦しいからやっぱり動きが小さくなったり、遅くなってしまう。ある程度は仕方ないことだと思っています。だからといってそれを認めるわけではない。キツイけどやらせないといけない。だから選手が腹筋をしている間はずっと話をしています。「勝手に強くなれ」というスタンスはとっていません。強くなるためのサポートを常にし続ける。それが必要だと思っています。
人はそれほど強くない。だからこそ「先達」がいて伝えていかないといけない。自分で自分をコントロールして貪欲に一切手を抜かない選手であれば技術論云々ではなく強くなります。大半の選手は「弱さ」を抱えているのです。だからやり切れない。挫けそうになった時にこちらが手を差し伸べて方向性を示す。時には「悔しい」と思わせることもある。考えて発言する事が多いですが、本当に頭にきて感情的になることもあります。様々な形で選手と向き合い、少しずつ背中を押していく。それしかないと思っています。
私にはわたしのスタンスがある。伝えたいものがある。私もやり切らないといけません。しっかりと。
1時間ほど会議があったので参加できず。事前にメニューに関して指示を出していました。シャフト補強なども距離が短くなってきているのできちんと40mでやるように。さらには「重心の移動を大きく」が狙いなのですが今は「きちんとした負荷をかけよう」という部分。やっていることの質を上げていかなければいけません。そこができて初めて次につながるから。まだまだ甘い部分があります。
見ていて感じた部分。種目を分けています。その分、休息が長くなっています。これは前から感じていました。レース後半での持久力。筋持久の部分です。ジョグなどをして持久力を上げるのではなくこういトレーニングの中で使える持久力を上げていきたいと考えています。が、気が付くと地味に休息が長くなり追い込むという感じではなくなっている。これも難しいところですね。選手が悪いとは思いません。人はやっているうちに緊張感が低くなりいつの間にか「慣れ」てしまう。この状況では質は上がりません。お互いに指摘しあいながらやっていければいいのですが「競技者」としてはまだ幼い。そこまではできないのです。
だからこそ厳しく指摘し続けました。そこまでして「やらせる」ことは自主性を生む部活動なのかといわれると違うと思います。が、「自主性」と「放置」は確実に違います。「自主性を育てる」というかっこいい言葉で誤魔化して結局「指導しない」という部分が往々にしてあります。それは避けたい。ある一定の競技者レベルになるまではこちらが主導権を握って取り組んでいく必要があるのです。自分たちでできるというのは机上の空論。少し前にも書きましたが「先達の存在」があって初めて分かることもある。今はわからないから私がリーダーのようにチームを引っ張っていかないといけないと思っています。
とにかく最後までやりきる。動きに関してもやりきらなければだめです。トレーニングに関しても最後の1歩まで丁寧に。そういう感覚を持たせたい。人は苦しい時に本当の姿が出てくると思います。表面的に「頑張る」といっても練習や勉強で苦しくなってきたときに「少しくらいいいや」と思った行動が出る。人はその「弱さ」を認めたくない。自分はやっていると思っているから。しかし、それでは成長はない。自分たちが「やっている事が全てではない」という感覚を持ってもらいたい。
そう考えてあえて30秒腹筋をやりました。もちろん、練習中に常に上述のような話をしながらめす。苦しいからやっぱり動きが小さくなったり、遅くなってしまう。ある程度は仕方ないことだと思っています。だからといってそれを認めるわけではない。キツイけどやらせないといけない。だから選手が腹筋をしている間はずっと話をしています。「勝手に強くなれ」というスタンスはとっていません。強くなるためのサポートを常にし続ける。それが必要だと思っています。
人はそれほど強くない。だからこそ「先達」がいて伝えていかないといけない。自分で自分をコントロールして貪欲に一切手を抜かない選手であれば技術論云々ではなく強くなります。大半の選手は「弱さ」を抱えているのです。だからやり切れない。挫けそうになった時にこちらが手を差し伸べて方向性を示す。時には「悔しい」と思わせることもある。考えて発言する事が多いですが、本当に頭にきて感情的になることもあります。様々な形で選手と向き合い、少しずつ背中を押していく。それしかないと思っています。
私にはわたしのスタンスがある。伝えたいものがある。私もやり切らないといけません。しっかりと。