色々なことを考えるようになりました。こう見えても基本的に小心者ですからあれこれ考えながら生活をしています。なかなか信じてもらえないかもしれませんが。私が何を目指し何をやろうとしているかはなかなか伝わりにくい部分だと思います。
自分が目指すところはどこなのか。これはなかなか自分でも分からない部分もあります。それでも進んでいくしかない。自分の人生のなかで陸上競技に関わる時間がたくさんありました。陸上競技と出会わなければ今の私は存在しなかったと思います。一つの事に本当に必死になる。周りから何を言われようとただ一つの事に自分の持っている力を注ぎ続ける。たぶん周りからは「あいつは変わっている」と思われていたと思います。本当に競技に全てを賭けてきた感覚があります。
高校時代も大学時代も本当に競技のことしか考えていませんでした。アホですね。今の高校生と違って携帯電話などもありません。毎日の練習が生活のすべて。だから遊び心がない。青春時代の全てを競技をメインに考えていました。大学を選んだのもそういう部分があります。中高と憧れていた先輩に「うちで一緒にやらないか?」と言われたのが大きな理由。本当は競技がやりたくて県外に出たいなと思っていました。そんなに実績のある選手ではなかったから県外でできるレベルではなかったと思いますが。安易かもしれませんがこの先輩と一緒にやりたい!というだけの理由。まー県内の大学は限られていますし、合格する可能性が100%ではなかったので運が良かったという噂もありますが。
アホみたいに一つの事だけを考え続けていました。一意専心。これが正しかったかどうか分かりません。本当はもっと趣味を持って遊びに行ったり、友人と飲み明かすという生活を送っても良かったかもしれません。が、私にはそれはできなかった。遊びに行くことも飲みに行くこともほぼなし。だからこんなに楽しくない性格になったのではないかと思います。もっと違う人生もあったかもしれません。が、後悔は一切していません。一つの事に馬鹿みたいに熱中する経験は生きている中でほとんどできないと思います。
昨日の記事を書いていて改めて思い出しました。マイルで本気でインターハイを狙っていた時、この子達も同じような気持ちで取り組んでいました。周りから見たら「何やってるの?」と言われるかもしれません。一昨年くらいに一緒に食事をしていた時にそんな話になりました。フットサルサークルに入っていて他の男性から「高校時代何をやっていたのか?」と聞かれたから「陸上競技」と答える。その中で彼女たちの取り組みの話をしたらその男性が「そんなに必死にやっている女子高生見たら引く」と言われたらしい。二人ともブチ切れる(笑)。彼女たちの中で「高校時代の陸上競技に対する想い」は大きいのだと思います。もう23歳くらいですかね。それでも彼女達の中にある「想い」というのは支えとなり大きなエネルギーを与えてくれているのだと思います。
高校時代、なんとなく過ごす子ども達もいる。それでも3年間は過ぎていく。一時的な楽しさも感じることができるだろう。が、最後に何が残るだろうか?そのような生き方を否定する気はない。誰かに強制されて生きていくというのは楽しくないから。しかし、本当にその高校生活が充実したものだっただろうか?逆の立場からすれば「馬鹿みたいに陸上競技ばかりやって何になるの?」と思われるかもしれない。お互いに分かり合えない部分なのかもしれない。
私は「一つの事に没頭できる時間や経験」というのは形には残らないかもしれませんが一生の宝になると信じています。勉強ももちろん大切。でも、それだけやっていてもダメなんだと思う。上手くいかないかもしれない。結果は残せないかもしれない。そんな事に向かって必死になれる経験というのはこれから先の長い人生のなかで絶対に生きてくる。それはどこで誰とやっても同じなのかもしれない。それでも私は自分が関わった選手に「陸上競技をやっていて良かった」と心から感じて欲しい。そんなに簡単なことではない。それでもやっていきたい。
全てを競技に賭ける。こんなスタイルは今の時代に合わない。分かっています。だから私と同じ事を求める気はありません。が、本質的な部分で「競技と真剣に向き合う」という姿勢を身につけてもらいたい。何かを達成するために一生懸命になる。達成できればそれはそれで価値がある。最大限の努力をしても届かないことだってある。そこには「見えない何か」がある。結果も大切。が、そこには向かうために本気になれるかどうかで得るものは全く異なる。「本当にやり切った」と感じられたらそれから先の人生というのは大きく変わってくると思う。
私に関わる選手達。暑苦しくて面倒くさい私から学ぶ事はそれほどないかもしれない。それでも真剣に向き合いたい。誰よりも一生懸命に選手にとって向き合いたい。それが「見えない何か」として選手の中に残ってくれると信じるから。
何を綺麗事を言っているのか?そう思われるかもしれません。このblogを読み続けてくださる方々にはそれが綺麗事で書いているかどうかは分かってもらえると思います。今考えること。それはこんなアホみたいなことです。関わってくれた選手達に「kanekoと陸上競技ができてよかった」と最後に感じてもらえたら理想。簡単なことではないですが。
真面目に考えています。これまで出会ってきた選手のおかげです。間違っていないと自信が持てました。私に私にしか出来ないことがある。それわ全力でやっていきます。温かく見守ってもらえると幸せです。
自分が目指すところはどこなのか。これはなかなか自分でも分からない部分もあります。それでも進んでいくしかない。自分の人生のなかで陸上競技に関わる時間がたくさんありました。陸上競技と出会わなければ今の私は存在しなかったと思います。一つの事に本当に必死になる。周りから何を言われようとただ一つの事に自分の持っている力を注ぎ続ける。たぶん周りからは「あいつは変わっている」と思われていたと思います。本当に競技に全てを賭けてきた感覚があります。
高校時代も大学時代も本当に競技のことしか考えていませんでした。アホですね。今の高校生と違って携帯電話などもありません。毎日の練習が生活のすべて。だから遊び心がない。青春時代の全てを競技をメインに考えていました。大学を選んだのもそういう部分があります。中高と憧れていた先輩に「うちで一緒にやらないか?」と言われたのが大きな理由。本当は競技がやりたくて県外に出たいなと思っていました。そんなに実績のある選手ではなかったから県外でできるレベルではなかったと思いますが。安易かもしれませんがこの先輩と一緒にやりたい!というだけの理由。まー県内の大学は限られていますし、合格する可能性が100%ではなかったので運が良かったという噂もありますが。
アホみたいに一つの事だけを考え続けていました。一意専心。これが正しかったかどうか分かりません。本当はもっと趣味を持って遊びに行ったり、友人と飲み明かすという生活を送っても良かったかもしれません。が、私にはそれはできなかった。遊びに行くことも飲みに行くこともほぼなし。だからこんなに楽しくない性格になったのではないかと思います。もっと違う人生もあったかもしれません。が、後悔は一切していません。一つの事に馬鹿みたいに熱中する経験は生きている中でほとんどできないと思います。
昨日の記事を書いていて改めて思い出しました。マイルで本気でインターハイを狙っていた時、この子達も同じような気持ちで取り組んでいました。周りから見たら「何やってるの?」と言われるかもしれません。一昨年くらいに一緒に食事をしていた時にそんな話になりました。フットサルサークルに入っていて他の男性から「高校時代何をやっていたのか?」と聞かれたから「陸上競技」と答える。その中で彼女たちの取り組みの話をしたらその男性が「そんなに必死にやっている女子高生見たら引く」と言われたらしい。二人ともブチ切れる(笑)。彼女たちの中で「高校時代の陸上競技に対する想い」は大きいのだと思います。もう23歳くらいですかね。それでも彼女達の中にある「想い」というのは支えとなり大きなエネルギーを与えてくれているのだと思います。
高校時代、なんとなく過ごす子ども達もいる。それでも3年間は過ぎていく。一時的な楽しさも感じることができるだろう。が、最後に何が残るだろうか?そのような生き方を否定する気はない。誰かに強制されて生きていくというのは楽しくないから。しかし、本当にその高校生活が充実したものだっただろうか?逆の立場からすれば「馬鹿みたいに陸上競技ばかりやって何になるの?」と思われるかもしれない。お互いに分かり合えない部分なのかもしれない。
私は「一つの事に没頭できる時間や経験」というのは形には残らないかもしれませんが一生の宝になると信じています。勉強ももちろん大切。でも、それだけやっていてもダメなんだと思う。上手くいかないかもしれない。結果は残せないかもしれない。そんな事に向かって必死になれる経験というのはこれから先の長い人生のなかで絶対に生きてくる。それはどこで誰とやっても同じなのかもしれない。それでも私は自分が関わった選手に「陸上競技をやっていて良かった」と心から感じて欲しい。そんなに簡単なことではない。それでもやっていきたい。
全てを競技に賭ける。こんなスタイルは今の時代に合わない。分かっています。だから私と同じ事を求める気はありません。が、本質的な部分で「競技と真剣に向き合う」という姿勢を身につけてもらいたい。何かを達成するために一生懸命になる。達成できればそれはそれで価値がある。最大限の努力をしても届かないことだってある。そこには「見えない何か」がある。結果も大切。が、そこには向かうために本気になれるかどうかで得るものは全く異なる。「本当にやり切った」と感じられたらそれから先の人生というのは大きく変わってくると思う。
私に関わる選手達。暑苦しくて面倒くさい私から学ぶ事はそれほどないかもしれない。それでも真剣に向き合いたい。誰よりも一生懸命に選手にとって向き合いたい。それが「見えない何か」として選手の中に残ってくれると信じるから。
何を綺麗事を言っているのか?そう思われるかもしれません。このblogを読み続けてくださる方々にはそれが綺麗事で書いているかどうかは分かってもらえると思います。今考えること。それはこんなアホみたいなことです。関わってくれた選手達に「kanekoと陸上競技ができてよかった」と最後に感じてもらえたら理想。簡単なことではないですが。
真面目に考えています。これまで出会ってきた選手のおかげです。間違っていないと自信が持てました。私に私にしか出来ないことがある。それわ全力でやっていきます。温かく見守ってもらえると幸せです。